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@osenti_keizo_lovinson著『センチメンタル リーディング ダイアリー』試し読みページ公開!


2023年6月23日発売

欠点だらけの自分を小説に重ねて生きている──私小説のような語りと本の紹介が融合した新感覚[私]書評日記。

三月十日 『サキの忘れ物』 津村記久子(新潮社)

 その夫婦の顔を見た瞬間、「あ。」と思って、一瞬、下を向いて視線をそらしてしまった。
 間違いない、あの店のおじさんとおばさんだ。
 少しの間、声をかけようか逡巡している間に、向こうから「あら。」と声をかけられる。「あ、覚えてますか?」と問いかけた僕に対して、おばさんは柔らかな笑顔で「あれだけ毎日、ずっとうちの本棚を眺めていた子のことを忘れるはずがないじゃない」と言うものだから、僕は勤務中だということを忘れて思わず泣きそうになってしまった。
 僕が生まれ育った鷺ノ宮の街にまだ、駅近だけでも四軒の本屋さんがあった頃の話。
 クラスで唯一、少年野球チームに属していなかった僕の余暇の過ごし方は、その四軒をひとりでくまなく探索することだった。なかでも、駅前で夫婦ふたりが営んでいる本屋さんは、四軒の中でも一番、規模は小さく、四、五人お客さんが入ればいっぱいになってしまうくらいの狭い店だったけど、とにかく品揃えが最高で、文庫だろうとハードカバーだろうと音楽雑誌だろうと、僕が「読みたい」と思う本は、たいてい置いてあった。もちろん、今から物理的に考えて、そんなわけはないのだけど、とにかく僕が何かで知って「あ、この本、読みたい」と思った本は、その店に行けば半分以上の確率で見つかったのは確かだ。
 駅前の小さな本屋の主役は、雑誌とコミックだったはずだ。だから、文庫や文芸書のスペースなんて、ほとんどない。なのにその限られたスペースに、古今東西の名作から最新のハードカバーまで、幅広く網羅されていて。あれは、ほんと、ご夫婦の「書店員魂」の発露だったと、いま改めてそう思う。
 そして、逆の視点で考えて。魂込めて作り上げた「渾身の棚」から、毎回、嬉しそうに文庫だの単行本だのを買っていく少年がいたら。
 そりゃ、忘れらんねえよ。

 その駅前の本屋さんが閉店したのに気付いたのは、僕がもう鷺ノ宮を離れて暮らしていたときのことだ。年齢を重ねるごとに僕の行動範囲も広がり、新宿や高田馬場や阿佐ヶ谷の、圧倒的に品揃えが豊富な書店の存在を知っていくにつれ、地元の小さな本屋さんに立ち寄る機会は減っていたから、冷たい言い方かもしれないけど、それも時代の流れかなと思っていた。
 そして、巡りめぐって、社会人になった僕はとある書店チェーンで契約社員として働いていて、そこで、あのご夫婦と「再会」したわけである。
 そのときの感情については、ここまで読んでもらっておいて非常に申し訳ないですが、とても文章では表現できません。いろんな、ほんとにいろんな感情が、ぐわーって沸き起こったし、いま思い出しても、ぐわーってなる。
 あの日、おじさんとおばさんは書店員になった僕を見て、どう思ったんだろう、と考えてしまう。でも、ひとつだけ確かなのは、自分たちの店はもうないのに、ふたりは、僕に笑顔で話しかけてくれたということ。
 僕はふたりが営んでいた小さな本屋さんで過ごした時間を一生、忘れません。って、伝えられなかったことが、今でも心残りです。

 というような、ずっと忘れていたことを、津村記久子さんの『サキの忘れ物』の表題作を読んで、思い出した。
 特筆すべきは、他の八篇は、それぞれまた、まったく違う記憶を呼び起こすということ。読書に、感動とか共感とかめっちゃ泣けるとかこれは僕の物語だとか、そういうもの以外を求めているときに最適の、傑作短編集。

三月二十四日 『古道具 中野商店』 川上弘美(新潮文庫)

「『隣の芝が青く見えたら気を付けろ』」
 井の頭公園の入口にある老舗の焼き鳥屋で一緒に飲んでいたTさんは、今しがた立ち去ったばかりの僕の友人に言われた言葉を復唱し、そしてじわりじわりと僕にからみはじめた。
「って、言われましてもさあ。ちょっと、なんなの、あの人。失礼な奴だなあ。青くなんて見えてねえっつうの。ねえ、ひらのさん、笑ってる場合じゃないれすよ」
 すでに目は据わっており、呂律もまわっていない。本来ならば、僕がかわりに謝るべき場面なのかもしれないが、僕は笑いをこらえきれず、Tさんの機嫌はますます悪くなる。
 取引先の営業マンであるTさんの口癖は「ひらのさん、僕はいつか独立してデカイことやってやりますよ」だった。
 仕事鞄の中には常にウイスキーの小瓶を忍ばせ、飲みに行けば名刺ケースから名刺の束を取り出し「これ、全員、僕のサポーターですから」と本気で口にするような人が独立して成功するとは思えなかったけれど、一方で僕は彼のことがなぜだか憎めなかった。
 ある日、Tさんが僕に「いよいよ時が来たと思ってまして。ひらのさんの知り合いに編集プロダクションに勤めてる人、いましたよね? 良かったら、いろいろ話を聞かせてほしいので、飲み会、セッティングしてくれませんか?」と言ってきた。Tさんが勤めていたのは大手の出版取次で、そこを辞めて編集プロダクションで何をやりたいんだろうという僕の個人的な興味も手伝い、とりあえず友人に打診してみますと引きとった。とはいえ、友人がそんなに簡単に了承するとは思ってなかったので、彼が「いいよ。ひらのくんの知り合いなんでしょ?」と二つ返事で引き受けてくれたのには少し驚いた。
 と、ここまでが、僕とTさんとキクチくんが、吉祥寺のいせやで一緒に飲むことになったいきさつだ。ところが当日、「話をいろいろ聞きたい」と言っていたはずのTさんは最初だけはキクチくんにいくつか質問をしていたけれど、酔いが進むにつれ、出版界の現状を憂い、自身の境遇に対する恨み辛みを話し始めた。
「やっぱり大手ではやれないことを、小さい会社でやりたいっすよね」と熱く語るTさんの横で僕は、ちょっと、失敗したなあと、ぼんやり考えていた。キクチくんが編集プロダクションという場で、どれだけ辛い目にあっているか、僕は嫌というほど知っていたから。
 そろそろお開きにしようかと僕が思い始めた矢先、キクチくんがおもむろにTさんに語りかけた。
「昔から僕がばあちゃんに言われてる言葉がありまして」
 突然の話に、きょとんとなったTさんにキクチくんは、こう続ける。
「隣の芝が青く見えたら気を付けろ」
 そして、続けざまに呟いた。
「僕が相手チームのベンチにいたら、こう言ってますよ。『ヘイヘイ、ピッチャー、ビビってるよ!』」

「ひらのくん、悪いけど、今日はこれで帰るわ」と僕に告げたキクチくんの顔はいつもと変わらず無表情で、だから僕は彼がどういう心境でそんなことを言ったのか分からず、でも、言われた方のTさんの表情がなんとも言えず間抜け顔で、だから僕はずーっと爆笑していた。
 後日、キクチくんに「この間はなんかごめんね」と謝ると、「うん。でも、あの人、俺は嫌いじゃないよ」と意外なことを言うものだから、僕も「あははは。そっか。実は俺も」と返した。
 嫌いじゃない、や、憎めない、という表現は、なかなかニュアンスが伝わりにくい。だから、あのときの、僕とキクチくんの「嫌いじゃない」が同じ意味だったかどうかは分からない。でも、「好き」と「嫌い」の間にある、そういう曖昧な感情が、あの頃の僕たちには大切なものだったのだ、ということは間違いない。
 Tさんは、結局、会社を辞めることはせず、それでいて飲み始めるとやっぱり「いつかやってやりますよ」とくだを巻き、そんなTさんを相変わらず僕は憎めなかったから、それまで同様、時々一緒に飲みに出かけては、うだうだと毎回似たようなことを語り合う関係は続いていくのだった。Tさんについては、仕事上でのグッジョブエピソードや、切ない恋の話もあるのだけれど、それはまた別の話だ。
 ある日、一度だけキクチくんに「そういや、Tさん、元気?」と聞かれたことがあって、「うん、相変わらずだよ」と答えたら、キクチくんは無言でニヤッと笑って、それからキクチくんと僕の間でTさんの話題が上がることは二度となかった。

 川上弘美さんの『古道具 中野商店』を再読した。
「すき」がいつも隣にいることの苦しさと、「きらいじゃない」に囲まれる気楽さ。どっちの「幸福」がほんとうの幸せなんだろう、ということを、ぼんやりと考えているうちに、Tさんのことを思い出した。
 憎めない、とか、嫌いじゃない、という感情や人物を描かせて川上弘美の右に出る作家はいないが、しかし、この作品は、そういう曖昧なものばかりで構成されているわけではない。
 あー、そうだった、恋って、男女関係って、こんなにめんどくさいものだった。なんてことも、五ページに一回くらいは、思い出してしまう。
 かつての恋人たちが僕に苛立っていたその理由を、川上さんは見事に言い当てる。僕は、中野さんのように、ヘラヘラそれに気がつかないふりしてやり過ごそうとするけど、でも滲み出る切なさみたいなものは隠しきれない。特に何も起こらないけど、こんなにも水面下でいろいろ起こっている恋愛小説(本書を恋愛小説とするならば)は、なかなかお目にかかれない。
 発売時には、その水面下の神経戦には気がつかなかったなあ、なんて。もしかしたら、今の僕だって、いろんなことに気づいていないし、目をそらしているし、そういうものからいまだに逃げ続けているのかもしれないなって思った。
「そりゃ、怖いよ。わたしだって、怖いんだよ。」
 ヒトミさんの作中での叫びに、だいぶ年上になったはずの僕は、情けないことに、なにひとつ言葉を返してあげることができないでいる。

四月十一日 『おべんとうの時間がきらいだった』 阿部直美(岩波書店)

 それは、小学生の、自分ちの朝食についての、他愛もない会話のはずだった。
 パンにつけるバターがさ、と口にした僕に対して、まわりのクラスメイトたちは、「えー、バター? パンには、普通、マーガリンじゃない?」「うん、うん、マーガリンだよねー」と、若干バカにしたような口ぶりで囃し立ててくる。
 もしかしたら、クラスメイトたちは、若干バカにしたような口ぶりではなかったのかもしれないが、その時の僕はひどく悲しい気持ちになってしまい、挙げ句、彼らに対して激しい怒りを感じていたのである。あれは何だったのかを今から考えて、やはり、僕はあのとき間違いなく、「(普通じゃないことをしている)家族を侮辱された」と感じて、そのことに対して激しい怒りを燃やしていたに違いない、とそこまで考えて、小学生の自分がまったく分からなくなった。
 だって、おまえ、あんなに「家族」のことを憎んでいたんじゃなかったっけ?
 幼少の頃の僕は、両親を、中でも特に父親を苦手に思っていた。
 苦手というか、はっきり言えば好きではなかった。
 とにかく、なにものにも迎合しない時代錯誤な人だった。
 音楽はビートルズとボブ・ディランとプレスリー、プロ野球は中日ドラゴンズ(アンチ巨人)、小説はレイモンド・チャンドラーと夏目漱石、映画は『2001年宇宙の旅』。自分はエキストラのひとりだったくせに、主演の伊丹十三さんをくそみそに批判。たまたま
仕事で一緒になって、よくしてくれていたはずの平山郁夫さんに感謝するどころか、彼の描く絵を大批判。もちろん、母や僕が好きになる「流行りのもの」はすべて全否定。典型的な「俺の才能を何故世間は認めてくれないんだ」という、ダメな男だった。
 毎晩、晩酌をしながら母と大喧嘩になり、母もこれまたイカれていたので収拾つかなくなり、団地二間の家で僕たち兄妹は息を潜めてその成りゆきを見守る毎日だった。べろんべろんに酔っ払った両親が「子供の前だとあれだから、外で話すぞ」と言って出ていって、無事に帰ってくるのを確認するまでの、永遠に続くかと思った不安と恐怖は、今でも簡単に思い出せる。
 だから、はっきり言って、僕は、自分の家族が好きだなんてこれっぽっちも思ってなかったし、なんなら憎んですらいたはずだった。それを考えると、あのとき、「バターじゃなくてマーガリンだよね」という同級生に対して、彼らの嘲笑から自分の家族を守りたいと思ったあの瞬間は、いったいなんだったんだろうと、そこまで考えて、あれ? これ、読んでる人にちゃんと伝わる? 大丈夫?って思いながらこのキャプションを書いている。
 クーラーどころか扇風機もない生活。いつまでも鎮座し続けるモノクロのテレビ。家族四人分の布団を敷けば、あとは余分なスペースがなくなる、狭い団地住まい。休みの日には団地の中の公園で太極拳を強要され、毎日のランニング、長期の休みにはスキーと山登りとつまらない映画鑑賞。クリスマスのプレゼントは、僕が欲しかった超合金のロボットではなく、まったく興味のないミヒャエル・エンデという作家の『はてしない物語』だった。そしてその集大成として父は、パンにはバターと決めていて、マーガリンなんてあんなものはくそくらえだと、イキっていたのだ。
 そんなものを、あのときの僕は、どうして庇おうとしたのか。我ながら、永遠の謎だ。

 なんてことを、阿部直美さんの『おべんとうの時間がきらいだった』を読みながら考えた。
 本書は、「家族」に対して、どんな形であれ、鬱屈した感情を抱き続けているすべての人に読んでもらいたい一冊だ。
 手作りのお弁当には、家族の愛情が詰まっている。そう屈託なく考える人には、もしかしたら不愉快な内容かもしれない。だからこそ、そうではない人には、思わず途中で嗚咽をもらしてしまうほど、胸に迫る作品なんじゃないかなと思った。
 父が団地住まいのくせに、バターしか使わなかったことの矜持。それが、たとえ「普通」じゃなくても、まったく「恥ずべきこと」ではないこと。でも、それは今だから分かることであって、小学生の僕には分からなくて当然だということ。それにしても、なんで、僕はあのとき、あんなに腹を立てていたんだろう、ということ。
 そんなことを、本書を読み終えた今、ぼんやり考えている。「おべんとうの時間がきらいだった」を経て、阿部直美さんが夫の阿部了さんと綴った『おべんとうの時間』は必ず読みたい、そう思った。

目次


『できそこないの世界でおれたちは』11
『平場の月』12
『ゼラニウム』14
『さみしくなったら名前を呼んで』16
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』18
『水を縫う』22
『東京の異界 渋谷円山町』25
『サキの忘れ物』28
『だまされ屋さん』31
『古道具 中野商店』36
『正欲』41
『おべんとうの時間がきらいだった』44
『AMEBIC』48
『果てしなき輝きの果てに』51
『流浪の月』54
『すべて忘れてしまうから』56
『悲しい話は終わりにしよう』60
『初夜』62
『百年の散歩』64
『悪女について』66
『猫を抱いて象と泳ぐ』71
『アウア・エイジ』75
『震災風俗嬢』78
『星月夜』81
『あとを継ぐひと』85
『自転しながら公転する』89
『最後の命』93
『イン ザ・ミソスープ』96
『ビニール傘』99
『大阪』101
『暗渠の宿』104
『ア・ルース・ボーイ』107
『星を掬う』110
『タクジョ!』113
『夜行秘密』117
『これはただの夏』121
『その姿の消し方』125
『海炭市叙景』128
『光』 132
『終わりまであとどれくらいだろう』136
『真夜中の果物』138
『海鳴り』140
『長いお別れ』143
『あこがれ』144
『きみがつらいのは、まだあきらめていないから』146
『悲しみの秘義』147
『ダーティ・ワーク』149
『たそがれどきに見つけたもの』152
『私たちが好きだったこと』156
『いちばんここに似合う人』159
『母影』163
『ガリンペイロ』167
『アポクリファ』171
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』175
『今夜、すべてのバーで』177
『往復書簡 初恋と不倫』180
『逆ソクラテス』183
『息子たちよ』186
『流しのしたの骨』189
『センセイの鞄』191
『眠れない夜は体を脱いで』194
『推し、燃ゆ』197
『持たざる者』200
『愛の顚末』204
『家族最後の日』207
『死にたい夜にかぎって』211
『若者はみな悲しい』215
『小島』219
『愛がなんだ』224
『ガラスの街』228
『悪声』232
『季節風 春』236
『短編集』240
『虐殺器官』242
『永い言い訳』244
『私の男』247
『人でなしの櫻』252
『指の骨』254
『八月の母』258
『死んでいない者』262
『国境の南、太陽の西』266
『捜索者』270
『N/A』273
『クラウドガール』275
『最果てアーケード』280
『夜のピクニック』284
『フルタイムライフ』288
『アレルヤ』292
【あとがき】的なやつ297
【謝辞】302

著者プロフィール


@osenti_keizo_lovinson
1974年、東京都生まれ。大学4年時にロッキングオン社の採用試験で書いた文章を褒められたことを真に受け、大学卒業後に音楽ライターとして活動するものの、まったく食っていけず生活費を稼ぐために近所の書店で働き始める。書店員という職業の面白さに目覚め、約12年間勤務した後に退職。2019年にインスタの読書アカウントを開始。通称「おセンチさん」として書評や映画評にかこつけた自分語りを綴っている。本名は平野敬三。

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