見出し画像

祝!重版出来!!  徳永圭子『暗がりで本を読む』(本の雑誌社)の試し読みページを公開!

画像1

はかりきれないものを、本は包んでやってくる。

日々書店店頭に立ちながら、さまざまな媒体で凛々しく透明感のある文章で本を紹介してきた著者による初の著作『暗がりで本を読む』が、このたび重版出来となりました!

ラジオから流れて来る思わず耳を傾けたくなるパーソナリティーのウィスパーボイスのような、あるいは遠く離れた知人から届く手紙のような、心に届く丁寧な文章で綴られる書評集。

紹介されるのはひっそり本屋さんの棚で読者に手にとられるのを待っている本たち。決して大きな声ではなく、小さな声で本の良さが語られます。クラフト・エヴィング商會による四六判仮フランス装の装幀がとても美しく仕上がっています。

『暗がりで本を読む』徳永圭子(本の雑誌社)
四六判仮フランス装 208ページ 定価1760円(税込)

本棚一冊分の隙間

 そんなことも知らないのかと、憤慨するお客様を何度も目にした。書店員が覚えなくてはならないことは多く、何年続けていても知識は追いつかない。子どもたちの好きなアニメもファッションも、歴史ですら変わる。すべてにおいてプロはお客様の方で、店を愛し、育ててくださる方々に頭が上がらない。

 謝りそびれたこともある。お客様の背中を眺めながら、“そんなこと”も知らないあの子は、これから帰っておいしいご飯を家族に作りますよと、𠮟られて震える胸の中で言い訳をした。次はお答えできるようにと諦めず、ずっと門前の小僧のようにしている。

 本を読むのは偉いのか。

 お金や時間を本に費やす理由はさまざまで、不可解な世の中を何とかして理解するために、行き場のない思いを解き放つために。手に職を、おいしいものを、健康をという求めもあれば、ただの暇つぶしや、ただただ読まずにいられぬ人も。

 図書館や書店、電車の中で読者を別世界に誘う視線の先には、本や雑誌、タブレット、スマートフォンなどがある。活字離れで大変でしょうという答えの用意された質問に、相槌を打ってしまう事もあるが、どのようにして読むかは、読者が決めること。書店は抗うことはできない。

 恐れているのは、誰もが長い文章を読まなくなること。書かなくなること。それが気づかないうちに進むことだ。店員がそこまで考えても仕方がないけれど、つい思う。

 以前、河口のそばの店で働いていた時、夜遅く退社すると潮の香りがしたことを思い出す。建ち並ぶビルに隠れた夜の海が、奈落のようで怖かった。海は見えてもいないのに、本屋の足元は、一歩間違うと踏み外しそうな気配があるのだろう。

 役に立とうが立つまいが、おそらく編まれた書を読む姿は尊い。本が整然と並ぶ書店が住み慣れた街に似て居心地がいいのは、そんな姿を見かけるからだ。次なる読者を追いかけて街に出る方が性に合う。営業の人たちと、生まれたばかりの本の育て方、売り方を考えるのは楽しく、今にも語りださんとする背表紙の前でお客様と本の話をするのも面白い。

 会話にならなくても、お客様が棚から本を抜き取った隙間を見つけては、そこにあった一冊のことを思い浮かべてみる。本が売れることは素直に嬉しいが、隙間に傷跡を見てしまうこともある。

 誰かの体験や物語があるというだけで、安らぎや慰めになるだろう。黙って、次の本を探す。一人しか買わない本を一人のために一冊仕入れるのは、切実な仕事。守るべきものは何だろうかと迷う。

いつでも迎えてくれる「いい加減」の群れ

 春休みの親子連れが毎年、課題図書を探しにやってくる。合格発表から入学までの間にレポートを書くためだそうで、ここ数年は新書が多くなっている。

 十年程前は近隣の女子中学が澤地久枝『おとなになる旅』(新潮文庫)を採用していた。満州からの引揚体験、おてんばな少女時代、性への目覚めなど、厳しくも優しく人間の生きる姿を描き続ける作家の原点が子どもたちに向けて綴られていて、学校生活のスタートをこんな本で迎える少女たちを思うと、宿題とはいえ羨ましい。しばらく入手困難だったが、内容が近い集英社新書『14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還』が刊行された。帯に描かれた少女は真直ぐに読者を見つめ、心を掴んで離さない。

 岩波現代文庫に入った梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』の解説も澤地さん。一九三七年刊吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)の主人公コペル君と同じ愛称のコペル少年は、平和になったはずの現代の読者に訴えかける。

「人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。」

 都市に残されたわずかな自然を求めて、染織家の叔父ノボちゃんと親友のもとを訪ねることから始まる濃密な一日。親友ユージンが学校へ行くことをやめた理由も、少女インジャが身も心も引き裂かれた魂の死の体験も、大人になった私には覚えがあり、忘れてきた無神経な過去だった。

 コペル君の考える「群れ」は人がひとりになることも了解してくれ、いつでも迎えてくれる「いい加減」の群れ。自分を保ち、言葉を尽くす力の必要を知った彼は、考え続けて生きていく。

 売場でいろんな十代を思い、未来を塞がぬためにこの本を売る。コペル君の迸る思いに子どもも大人も揺り起こされるだろう。誰もが上昇を信じた時代、ぼんやりと過ごした自分の十代をすこし悔やむ。

コラム・記憶の蓋

 子どもの頃からずっと手先の不器用ぶりに困っている。すぐに失くし、驚くほど壊す。何もかも雑でどうでもよく、寝れば忘れるタイプなことが、辛うじて幸せだった。目が覚めたら突然、なんでもできるいい子になれないかしらと夢見がちな子どもだった。

 住まいを転々として、子育てをせずに過ごすと、情景を焼き直すこともなく忘れていく。しかし思わぬところで記憶の蓋が開いたことがあった。

 東京で通勤のしやすい手頃な部屋を借りた時、地名に聞き覚えがあった。そこは子どもの頃に読んだ『ぼく日本人なの? 中国帰りの友だちはいま…』(ほるぷ出版)という児童向けのノンフィクションの舞台。江戸川区葛西にある小学校に通う中国残留日本人孤児二世の話で、拙い日本語で綴られた日記に先生たちが静かに奮い立つ姿が心の片隅に残っていた。八〇年代初頭、孤児が肉親を捜す番組が頻繁に流れていて、カメラに向かって流暢な中国語で訴えかける彼らは年老いて見えたけれど、私の両親とそう変わらない年頃だった。

 今話している言葉を忘れてしまう日がくるのか。もし私が遠い国へ遣られたら家族の名前、住所、電話番号、生まれた場所、誕生日、あとは何を覚えていれば私を見つけてもらえるのだろうと、幼いながらも誰かに相談できることではないような気がしてひとり考えていた。そんな思いも随分と遠い日のことのように感じる。

 ぼんやりとした自分を縁取るのに、言葉を欲し、探してきた。新聞やテレビやラジオに溢れかえる流行り言葉や、大人たちが使うちょっと懐かしい言葉、ことわざ辞典や漫才の頓智の利いた言葉を拾って使うのを、着る服を選ぶように楽しみにしていた。

 つながる日々を裏返せるほどの大きな嘘をつく度量はなかったが、小さな嘘でごまかしてなんとなく大人になった頃、重ねた嘘の裏付けが欲しくて、読書は始まったように思う。始まる動機は何につけ不純で、いつもどこかに隠しては漏れる。

目次

コラム・記憶の蓋  10

本屋の日々

本棚一冊分の隙間  14
カウンターの読書  17
ブックオカの“ドクフ”たち  20
残すこと、伝えること  23
本屋大賞の季節  26
棚の匂い  29
少女たちの手紙  32
深呼吸の時間  35
読み返す本   38
野呂邦暢のブルース  41
雨のブックオカ  44
ハコの力  47
コラム・細い道を  50

本屋の帰り道

いつでも迎えてくれる「いい加減」の群れ  54
言葉の深淵を知り、言語を奪う罪の重さ  56
絵を見て、文字を読んで繰り返し考える  58
日常を重んじつつ、あらゆる事象に疑ってかかる  60
すれ違いざまにそっと頭を下げる  62
根っからの「教えたがり」のサービス精神  64
積読していては手遅れになる本  66
曖昧な問いの本質  68
自身にもまとわりつく“虚”に気づく  70
その分量に似合わぬ軽さは「ベッタカ」みたい  72
こぼれる人生をすべて掬い上げる言葉が頭を離れない  74
どの雨にも空の思いがある  76
灰色の空の思念と謎を追って  78
縦横無尽、天才翻訳家の授業  80
絡み合った重さとユーモア  82
光を失って見える事物の本質  84
映画や古典戯曲から学ぶ原理  86
死んだ夫は何者だったのか?  88
しつらいの美しさと自由  90
繊細に描かれる自然と友情  92
喪失感漂う掌編 生死を写す詩  94
野生生物と共存する発想  96
のぞき見趣味と言われても  98
やわらかな光が照らす真実  100
老魔術師の美しい嘘と魔法  102
複数の「私」を明かす「鏡」  104
福岡時代の思い出重ねながら  106
黙々と生きることの美しさ  108
幸福感の中に孤独の侘しさ  110
年月を経て忍び込む死の影  112
生きる営みはかくも冷酷に  114
せつないだけでは終わらない  116
また書くことを静かに誓う  118
活き活きとした町のノイズが  120
美しい描写に、哀しみを反芻  122
愚直な女性の「聡明な狂気」  124
コラム・サンタがこない  126

暗がりで本を読む

呼応する戯曲とエッセイ  130
川上弘美『水声』の姉弟を思う  133
本棚とフーテン  136
彷徨う父子の物語  139
奔放でチャーミングな合田佐和子のエッセイ  142
『建築文学傑作選』と胸の中の小さな部屋  145
街の片隅に潜む「語りたがり」の声  148
続けて読んだ二冊の青春小説  151
家を出た娘が残した「骸骨」という詩  154
悲鳴と溜息が交錯する『星の子』  157
現代文の教科書を読み返す  160
鋭い真実を綴る『傍観者からの手紙』  163
それぞれの人生を丁寧に描く『光の犬』  166
「中動態」で生き抜く二人の物語  169
「おら」と語る桃子さんの一生  172
栄町市場のほろ苦くも楽しい日々  175
幼い日を思い出す小池昌代のエッセイ  178
季節を食で寿ぐ道子さんの言葉  181
笑いと涙のエッセイ集『ねみみにみみず』  184
戦火のセルビアの料理の記憶  187
時を経ても面白い深代惇郎エッセイ集  190
残酷さと憤りを届ける『戦時の音楽』  193
個性と美しさを備えた『紳士の名品50』  196
「読婦の友」たちの文読む月日  199

あとがきにかえて・タイムレコーダーの前で  202

著者略歴

1974年生まれ。1997年より書店に勤務する。雑誌や新聞で書評かコラムを連載。本作が初の著者。

暗がりで本を読むカバー版下

暗がりで本を読む
徳永圭子
本の雑誌社

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?