嫉妬
読書をしていると、「できれば、10代の頃に読みたかった……」と思える文章に出会うことがある。
例えば、次の文章。
こういう指摘は、人並みに嫉妬心を持っていた10代にこそ響くはずで、もはや嫉妬心が枯れかかっている今となっては、うんうんと頷くだけで終わってしまう。
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嫉妬の旺盛さは、自身への期待度と比例する、と勝手に考えている。自分の能力や将来性に、未知数の期待を抱けるからこそ、「あの人より、私の方がうまくやれるはずだ」「もっと注目されていい」と思える。
私は先程、「嫉妬心が枯れかかっている」と書いた。これはつまり、自分自身への期待度が薄まっていることを意味する。今更、自分の能力に未知数の可能性を見出すことなどできず、大体の限界値も把握し始めている段階だ。無制限に嫉妬する、そんな気力はもはや残っていない。
執筆者の山内志朗は、世間一般で考えられているよりも「嫉妬」というものを前向きに捉えているように見える。
他者に対する「嫉妬心」を、自身の成長の原動力に昇華できる人が、どれだけいるだろう。多くの場合、できるだけ自身の現状をキープしたまま、特定の他者より評価されることを望む傾向がある。
現代の辛さは、自身の比較対象となる他者の数が、インターネットやSNSの普及によって、無限に拡大した点だ。「負けず嫌い」を貫こうとすれば、身が持たない。
こういう社会で傷つかずに生きようと思えば、早急に「私は平凡な人間ですから……」と諦念の境地に達するのが一番だ。だがこれはこれで、何とも寂しい気持ちになるのは、私だけだろうか。
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