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出会い

 先日、友人から嬉しい報告があった。
 以前、友人の子どもに一冊の本を勧めたのだが、それをペラっと読み切ってしまった、というのだ。
 嬉しさよりも、驚きが先にきた。
 私自身は子どもの頃、大人が勧めるものを素直に受け入れるのが「ださい」と思っていて、色々なものを突っぱねてきた。今振り返ると、すごく勿体ないことをしたと思うのだが、生理的な拒絶感に打ち勝つのが難しいのも分かる。
 友人の話を聞くと、子どもさんも同じような性格であるらしく、きほん親の勧めたものには乗らないそうだ。それなのに、私が勧めた本は読んでくれたのだから、こんなに嬉しいことはない。

 報告のあと、友人に「もっと本を勧めてあげてほしい」と言われた。親の気持ちも分からなくはないが、正直これに「喜んで!」と対応する気持ちはない。
 どうしてか。その理由を述べる上で、一つ文章を引いてみたい。

「考えてみると、友だちにしても、私たちは、ほんとに仲よくなれる人にぶつかるまで、大ぜいの人たちと接触するのではないでしょうか。子どもと本との関係も、それとおなじと考えてよいでしょう。」
石井桃子・述、『石井桃子のことば』新潮社、P96)

 参照したのは、児童文学者・石井桃子を特集した書籍である。
 石井が述べるように、とっておきの一冊に出会うためには、とりあえず色々な本にあたってみる必要がある。今まで、数人の人としか交流してこなかった人間には、その数人が本当に「かけがえのない友人」であるかを判断するのは難しい。色々な人との出会いを重ねることではじめて、その判断が可能になる。本も同じだ。誰も勧めていない本の中に、とっておきの一冊が潜んでいるかもしれない。

「いい本を読んだことが、必ずしも世の中に出て立身出世ということに結びつかないんですけど(笑)、私は、それでいいと思っているんです。子どもの読書はたのしみで、心をふとらせるんです。」
石井桃子・述、『石井桃子のことば』新潮社、P97)

 読書に効率性や生産性を求めすぎると、本の内容にバラエティがなくなる。大人は子どもに本を勧めるとき、「どうためになるか」を強く押し出してしまうことがあるが、そこに反発は生まれやすい。シンプルに「ひたすら面白いから読んで」でもいいのではないだろうか。
 とはいえ一番いいのは、やはり自分の赴くままに、本を読み漁っていくことだろう。私の勧めた本がきっかけとなって、友人の子どもが読書好きになってくれたらいいな、と心から思う。



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