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運び手

 全ての商品に「運び手」の活躍あり。このことに自覚的になったのは、大学生になってからであった。
 コンビニのバイトを始めると、運送業のお兄さんと会話を交わすようになる。指をパチっと鳴らせば、商品が補充されるわけではない。ここでは確実に人が動いている。人力で運ばれてきた食品が、誰にも口にされることなく、廃棄される現実を目にするたびに、運送のお兄さんの顔が頭に浮かんでいた。

 私たちが日常生活の中で、最も対面する機会がある「運び手」は、「宅配」の配達員である。スーパーやコンビニに商品を運ぶ運送業者と、直接会話をする機会がない人でも、「宅配」の配達員とは一、二言葉を交わしたことはあるだろう。

「個人間取引の荷物はもちろん、ネット通販で購入した重く大きな荷物でも玄関まで届けてくれる、日常生活を陰で支える配達員と日々対峙すれば、「物流」のイメージは必然的に「宅配」になるだろう。
 しかし、実は日本で運ばれている荷物量(トンベース)のうち、この宅配は割合にするとたった7%以下にしかならない。細かな数字はどのオープンデータを見ても出てこないのだが、この7%も他の運び方と合算された割合で、実際はもっと少ないのだ。
 じゃあ残り九十数%の正体は何なのか。それは、「企業間輸送(BtoB輸送)」で運ばれる荷物。その名の通り、企業間を結ぶ輸送のことを言う。」
橋本愛喜『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路』KADOKAWA、P12〜13)

 引用したのは、『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路』の中の一節。
 著者の橋本愛喜は、元トラックドライバーでライター。上記の引用文は、一経験者の見地から、「世間の認識」と「現実」の乖離を指摘した文章となっている。
 私たちは、生活を支える「物流」の、ほんの一部(数%)しか認識していない。それでいて、その一部である「宅配」に対する消費者の態度は、けっして柔和なものだとは言えない。
 それはなぜか。

「ちょっと考えれば分かることだが、「送料無料」は本当は「無料」ではない。これほど世の中に通販が蔓延るなか、仕事を無料で引き受ける配達員がどこにいる。いいかい各位、「送料無料」とされている商品でも、その代金に送料は含まれているのだ。」
橋本愛喜『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路』KADOKAWA、P43〜44)

「送るのには「カネがかかる」ことをしっかり示さないと、運び手が軽視される。いや、それだけでない。購入した商品を消費者都合で返品しようとする時にこんなことを言ってくるモンスターを生み出すことにも繫がる。「なんで私が送料なんて払うんだ」と。」
橋本愛喜『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路』KADOKAWA、P44)

 著者の橋本は、その大きな原因の一つとして「送料無料」問題をあげている。
 私自身、オンラインショップを利用しはじめた10代の頃、商品の代金以外かからない、つまり「送料無料」であることに感動し、その「お得感」に魅了された。
 感動というのは長くは続かないもので、「送料無料」は「そうであったら嬉しい」ものから「よくあるサービス」に変わり、しまいには「そうであって当然」に行き着いてしまう。
 こうなると、橋本の危惧する「運び手の軽視」は避けられない。今では「置き配」といった、「運び手」の姿を直接見なくて済むサービスも普及しているため、消費者の意識が変わらなければ、ますます「運び手の軽視」は深刻化していくだろう。

 「物流」の問題は、他人事では済まされない。



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