自分語
寺山修司の没後40年を記念する論集『寺山修司の遺産』を手に取ったところ、思わぬ収穫があった。
それは、寺山が幼少期、青森の地で経験した「度重なる引っ越し」が、彼の言語観・表現法に少なくない影響を与えていた、という点である。
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寺山は「自分語」という言語観を提示することにより、所謂「標準語」に対する疑義を表明した。育った場所・人間関係の広がりから、人間の話し言葉は自由ではいられない。各人の生活環境に応じて、話し言葉にも違いが生まれる、とする。
一言で「東北訛り」といっても、その中には津軽弁・南部弁といったバリエーションがある。現地民にとっては、この聞き分けは容易であるが、他地域の人には同じ「東北訛り」と認識される。
この現実に、寺山は苦しめられた。東北内で同じ地域に住み続けることがなかったために、特定の方言に定着することがなく、現地民からすれば中途半端な「東北訛り」が身についた。一方、この"中途半端さ"は、他地域の人間には認識できない。結果、どちらのグループにも受け入れられない「どこのものでもない人間」が生まれることになる。
ここに垣間見える、寺山の話し言葉に対する劣等感は、彼が自身の表現法を生み出していく上での、重要な素地となった。
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「度重なる引っ越し」が、自身を「どこのものでもない人間」にしてしまうという現象は、個人的にも経験がある。
私は生まれてから小学校高学年の時期まで、親の仕事の都合で、九州の地を転々とした。その結果、特定の地域の訛りが定着することはなく、聞く人が聞けば九州出身だと分かる「標準語」を話す人間になった。
面白いのは、自分で話すことはできなくても、他者の話す九州の方言は、意味を正確に捉えられる点だ。他地域出身者には難解とされる宮崎弁・鹿児島弁も、話を聞く上での障害になったことはない。
地域地域に何とか適用しようとした結果、「どこのものでもない人間」になってしまう。このことへの劣等感を、創作の一つの出発点とした作家。私が寺山修司の作品に惹かれる理由が分かった気がした。
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