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あした

 我が家にまた一冊、「全詩集」がやってきた。『工藤直子全詩集』である。

 以前、noteの別記事で、私は「全詩集」という漢字三字が好きだ、みたいなことを書いた。今でもその気持ちに変わりはない。
 『工藤直子全詩集』を買うことになったその日は、午前中に自宅の本を何冊か手放したばかりだった。そのまま直帰すればよかったのだが、吸い込まれるように書店へ。胸騒ぎがしていたが、案の定、本を購入することになった。
 本を手放して得た紙(紙幣)は、一時間も経たないうちに、別の紙(本)に生まれかわったわけだ。『工藤直子全詩集』。766ページの紙の束である。

 こういう風に書くと、買ったことを後悔しているように思われそうだが、そんなことはない。『工藤直子全詩集』、大歓迎である。

 人生で想定される様々な場面に、そっと寄り添ってくれる詩を見出せること。全詩集の魅力はここにある。ある詩人が、一生をかけて紡ぎ出してきた作品が収録されているわけだから、その対応力は凄まじい。

「好きなもの というのは
 たいせつ です
 わたしの たいせつなものは
 「生きていること」です
 そのせいでしょうか わたしは
 ふしあわせ も 愛します」
伊藤英治・市河紀子編『工藤直子全詩集』理論社、P156)

 工藤直子の詩は、ありふれた日常風景にポッと光をあてて、その価値を読者に気づかせるものが多い。ここでは、「生の肯定」が前提とされている。
 誰もが「しあわせ」に満ち満ちた人生を望む中で、「ふしあわせ も 愛します」と宣言する詩人。そんな彼女の言葉にならば、喜んで身をあずけることができる。そう思える。

「「あした」というじかんは
 はじめて会うじかんだから
 あしたになったら ちゃんと
 あしたに
 「こんにちは はじめまして」
 と いおう」
伊藤英治・市河紀子編『工藤直子全詩集』理論社、P453)

 一日として同じ「あした」は存在しない。ただ、日常がルーティン化されることによって、私たちは「きょう」と「あした」を同一視するようになる。
 街の真ん中で言うのは度胸がいるとしても、部屋の中で一人でいるなら、躊躇する必要はない。「あした」はどこにいるか分からないから、とりあえず虚空に向かって、「こんにちは はじめまして」と言いたい。



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