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へつらう

 書店の棚を眺める時間は、自分の過去の読書を思い起こす時間でもある。当時の私はどんな環境に身を置いていて、何を考えていたのか。本の表紙を目にするだけで、それらの情報がザッと頭を駆け巡る。

 『似て非なる友について』
 この本が、よく行く書店に面陳されていた。「だいぶ前に読んだな」とすぐに記憶が呼び起こされる。
 その記憶には「苦笑」の二字が貼り付いていた。そうそう。あの頃は、友人・知人のつてで、色んな読書会や勉強会に足を運んでいた時期だった。どれもしっくり来ず、結局継続して足を運ぶ会には出会えなかったことで、「これは私の性格の問題かな」と自分を責めたりもした。
 ただその自己批判にも納得がいかない部分があり、「本からヒントを得よう」と人間関係について書かれていそうな古典を、手当たり次第読んだ。その時に出会った一冊が、『似て非なる友について』である。

「へつらい屋の変身ぶりは甲烏賊が場所に応じて体の色を変えるのに似ていますが、どう変身しようと、相手がへつらい屋だということはこうすれば簡単に見破れるのではないでしょうか。つまり、まず自分もいろいろに変身する人間だと見せます。そして相手が以前に勧めていた生き方をけなし、行動でも暮らし方でも言葉でも、とにかく相手が嫌っていたものを、突然これがいいと認めるのです。こうすれば、相手が確固不動でなく自分自身でさえなく、愛するのも憎むのも、喜ぶのも悲しむのも、自分の気持からではなく、鏡のように、他人の感情や生活や行動の像を映しているだけだと分かるでしょう。」
プルタルコス著、柳沼重剛訳『似て非なる友について 他三篇』岩波書店、P22)

 当時、私が参加した読書会・勉強会には、(失礼だが)この「へつらい屋」が沢山いた。
 彼らの口癖は「分かります〜」であり、会話の一区切りごとに、この言葉が口にされた。
 私の性格が捻じ曲がっているだけかもしれないが、会ってほんの数分しか経っていない人間に、そう簡単に分かられてたまるかと思っていた。全面同意は怪しい。考え方が対立していてもいいから、「私は〜だと思います」と言ってほしい。
 「何てワガママなやつだ」。そんな非難が聞こえてきそうだ。ただ、上記の引用文のように、自分の意見を変転させて、相手が「へつらい屋」であるかを見破ってやろうとまでは思わなかった。そこまですれば、「へつらい屋」とはまた違ったタイプの嫌なやつになってしまう。

「私が転向すれば向こうも転向するとか、私が認める言い分を向こうも認めるとかいうような友人はいりません(そういうことなら影法師の方が上手にやってくれます)。欲しいのは私と同じ真実を言ってくれる友人、自分の意志に従っての決断が私の決断と同じになる友人です。」
プルタルコス著、柳沼重剛訳『似て非なる友について 他三篇』岩波書店、P23)

 言いたいことはとてもよく分かるが、そういう友人とはなかなか出会えない。そもそも自分自身が、誰かにとっての"そういう友人"になれているかも怪しい。
 高望みするなら、それ相応の覚悟が必要になるだろう。



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