へつらう
書店の棚を眺める時間は、自分の過去の読書を思い起こす時間でもある。当時の私はどんな環境に身を置いていて、何を考えていたのか。本の表紙を目にするだけで、それらの情報がザッと頭を駆け巡る。
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『似て非なる友について』。
この本が、よく行く書店に面陳されていた。「だいぶ前に読んだな」とすぐに記憶が呼び起こされる。
その記憶には「苦笑」の二字が貼り付いていた。そうそう。あの頃は、友人・知人のつてで、色んな読書会や勉強会に足を運んでいた時期だった。どれもしっくり来ず、結局継続して足を運ぶ会には出会えなかったことで、「これは私の性格の問題かな」と自分を責めたりもした。
ただその自己批判にも納得がいかない部分があり、「本からヒントを得よう」と人間関係について書かれていそうな古典を、手当たり次第読んだ。その時に出会った一冊が、『似て非なる友について』である。
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当時、私が参加した読書会・勉強会には、(失礼だが)この「へつらい屋」が沢山いた。
彼らの口癖は「分かります〜」であり、会話の一区切りごとに、この言葉が口にされた。
私の性格が捻じ曲がっているだけかもしれないが、会ってほんの数分しか経っていない人間に、そう簡単に分かられてたまるかと思っていた。全面同意は怪しい。考え方が対立していてもいいから、「私は〜だと思います」と言ってほしい。
「何てワガママなやつだ」。そんな非難が聞こえてきそうだ。ただ、上記の引用文のように、自分の意見を変転させて、相手が「へつらい屋」であるかを見破ってやろうとまでは思わなかった。そこまですれば、「へつらい屋」とはまた違ったタイプの嫌なやつになってしまう。
言いたいことはとてもよく分かるが、そういう友人とはなかなか出会えない。そもそも自分自身が、誰かにとっての"そういう友人"になれているかも怪しい。
高望みするなら、それ相応の覚悟が必要になるだろう。
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