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びんざさらの音|文=北阪昌人

音をテーマに、史実をベースとして歴史的、運命的な一瞬をひもといていく短編小説。第4回は雨の浅草を舞台に、頭の中でふと鳴り響いた“浅草三社祭の音”をきっかけにして、ある初夏の恋をそっと思い出す「びんざさらの音」です。(ひととき2021年5月号「あの日の音」より)

「シャシャン、シャシャン……」

 軒先の樋(とい)から滴る雨粒が、路上に捨てられたビニール袋に跳ね返る音がする。

 雨宿りをしている私は、慣れないハイヒールの靴擦れを気にしながら、その音を聴いていた。新入社員研修を経て初めての営業業務。なんとか打ち合わせを終え外に出ると、突然の雨だった。春の終わりと、夏の始まりの境目のような、雨。

 やがて、「シャシャン、シャシャン」が脳内で大きく響き、記憶を呼び覚ます。ずっと思い出すことのなかった、引き出しの奥に仕舞ったままの記憶。そう、それは、初夏を彩る東京の風物詩。「浅草三社祭(さんじゃまつり)」。神事びんざさら舞のときの、音だ。

 びんざさらとは、編木あるいは拍板と書く。およそ長さ15センチ、厚さ0.6センチの檜の板を、108枚重ねたアコーディオンのような楽器。開いたり閉じたりすれば、板と板が触れ合って、「シャシャン、シャシャン」と音がする。108枚の板が奏でる邪気払いの音色。

 胸が、きゅんとなる。そうだ、あのとき、女子高生だった私は、恋をしていた。

 浅草神社から、隅田川の方に近づいた路地。その一角に、実家があった。家の向かいにはお豆腐屋さん。ある日、そのお豆腐屋さんに長髪の若者がふらりと帰ってきた。母の話では、放蕩息子で、高校を出ると方々を旅して暮らし、詩だか小説だかを書いているのだという。結局、生活できなくなり、戻ってきたのだそうだ。私はといえば、高校生活にうまくなじめず、不登校を繰り返していた。昼間、暇そうなお豆腐屋さんの息子と、仲見世通りでバッタリ会った。彼は、私を見ると、ニッコリ笑った。その笑顔があまりに無防備で邪気がなく、思わず私も微笑んでしまった。2人で、ただ歩いた。会話らしい会話もなく、隅田川沿いを歩いた。春の風が傍らを行き過ぎる。
「風が…… 郵便局で日が暮れる 果物屋の店で灯がともる 風が時間を知らせて歩く 方々に」。低い声で彼が言った。私は彼を見た。

「立原道造(たちはらみちぞう)だよ」。いい声だと思った。

「無理して学校なんて行くことないからね。自分を守れるのは自分だけだよ」

 私は恋に落ちた。

 5月の浅草三社祭。彼は、町内会を代表して、びんざさらを奏でた。私は、通りをやってくる彼を待っていた。この祭りが終わったら、自分の気持ちを打ち明けようか……。そう思うと、胸が高鳴った。聴こえる……路地の向こう。「シャシャン、シャシャン……」

 目の前で彼がびんざさらを鳴らす。

 そのとき、私は思った。やめよう、告白は、やめよう……。「シャシャン、シャシャン……」

 その音は、私に全てを封じるように聴こえた。なぜだろう……。

 雨は、同じ音を奏でていた。

 あのとき、もしも、告白してうまくいっていたら。私はお豆腐屋のおかみさんになっていたか? いや、それはない。彼は祭りのあと、再び家を飛び出し、行方知れずになった。

「シャシャン、シャシャン……」。私の中でだんだん、その音は遠ざかっていった。

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

※この話はフィクションです。次回は2021年7月頃に掲載の予定です

出典:ひととき2021年5月号


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