マガジンのカバー画像

エッセイという名の日記

36
日常の中で感じたことや考えたことなどをつらつらと。
運営しているクリエイター

記事一覧

note1年目の振り返り

早いもので、noteを始めて1年経つようです。過去の記事を見てみると、去年の5月23日が初投稿日になっていて、あっという間だなとしみじみ。始める前に結構悩んだ割に続いているのは、記事を読んでくださる皆さんがスキしてくださったり、コメントをくださったりしているおかげだなあと本当に思います。いつもありがとうございます! 今回は、この1年で書いてきた記事の中で読まれているものを、ジャンル別にいくつかピックアップしてみようと思います。 *** 【エッセイ部門】①「決める」と叶う

きょうはただのよわね(日記)

忙殺され始めてから3週間、休んでいない。正確には、休日はあるんだけれど、休日も仕事をしている。仕事がやや特殊なのでしょうがない部分はあるけれど、休んでいないと人間おかしくなってくるなあ、と久々に実感した。 今、わたしは考えるエネルギーすらない。笑 この週末は仕事の時間が変則的だったので、noteを3日くらい見ていなかった。noteを始めてからそろそろ1年経つけれど、こんなことは初めてだ。というか、気づいたら3日、進んでいた。軽いタイムトラベル気分だ。 この、頭に何も入っ

他者と比較してしまうことこそ

ここ最近、モヤモヤすることがいくつかあったんだけれど、そのどれもが「仕事に関することで他者と自分を比較した結果」モヤモヤしていることに気づいた。家庭のこととかお金のこととかに関しては、不思議とモヤモヤすることは少ないのに、こと「仕事」に関しては他者と自分を比較して落ち込むことが多い。 なぜだろう? 子どもの頃は、○○ちゃんちはいいなあ、とか、家庭に関することも羨んだりしていた気がする。でも今はそれはほとんどない。いや、実際にはあるけれど、感情がどうしようもなく波打つほどに

離れていく縁、つながる縁

いつからだろうか。自分が選ばないほうがいい・結果的に自分に必要がない人や物が選べない、という体質(?)になった。 選ぼうとしても、どこかの段階で「相手から」断られたり、私にも相手にも非がない円満な方法で、第三の選択肢が現れる。そして、あとになってから『あそこで縁が切れたのは必然だった』と気づく。 そもそも、離れていく縁の場合は、第一印象の時点でなんとなく違和感があったり不信感があったりする。でもこの点については、つながる縁の場合も「(いい意味でも悪い意味でも)強烈な印象」

「才能」はいつも他者が教えてくれる

私は、行動力がある人間だと思われることが多いように思う。しかし、自分では全くそうは思わない。一旦やり始めたことはわりあい続くほうなのだけれど、「実際やるかどうか」「最初いつやるか」という部分を決めるのに時間がかかるのだ。 いつもの私の記事を客観的に見ると、自分のやりたいことに邁進しているような感じがする。衝動性が高く、勢いで突っ走っているようなイメージを持っている方もいるかもしれないが、案外慎重で初速が遅いので、周囲からは「考えてる暇があったらやったほうが早いよ」と言われた

旅はちいさな「生まれ変わり」体験、かも。

最近、無性に旅行に行きたい。特に「ここに行きたい!」というのはないんだけれど、とにかくどこか違う景色が見られるところへ行きたい。ずっと頭の中でぐるぐると旅行に行きたいなぁ、と思い続けているが、今のご時世では、なかなか素直に実行できないところが歯がゆい。 私は、旅行にはそこそこ行ってきたほうだと思う。両親が年に1回くらいの頻度でいろいろな場所に連れて行ってくれたし(当時は反抗期・思春期だったこともあって、あまり楽しいと思っていなかったけれど)、友達とも何度か旅行に行った。

『物は言いよう』は「胸に届く」ことばで

私は「物は言いよう」が下手だ。自分に利を得るために「うまいこと」を言って相手を納得させる一連の流れが苦手と言ったらいいか。遠慮深いと言えば聞こえはいいが、社会人として社会で活動している以上、「物は言いよう」ができないとまずいという危機意識が常にどこかにある。 「嘘も方便」もうまくできないし、なんというか、会話においてストレート以外のボールが投げられない。もともと、言い過ぎて後悔するよりも、失敗するくらいなら言わない、と黙り込むタイプ。良くも悪くもまっすぐだが、裏がなさすぎて

「万人受け」はこだわりを貫くからこそ

万人受けする、という言葉がある。goo辞書で「万人受け」という言葉を調べてみると、『だれからも好評を得られること。広く人気があること。』というふうに書かれている。 万人受けという言葉は、一般的に『自分のこだわりがある』ことと対極の概念であると捉えられているように思う。そしてこの2つは、どちらか両極に振れやすい概念というか、バランスを取るのが難しいもののような気がしている。 少なくとも私は、この2つのバランスが取れていない。たぶん世間でも、「万人受け」した方がよいという風潮

夢を見て、無意識のしっぽをつかまえる

久しぶりに怖い夢を見た。怖い夢というか、私が定期的に見る「同じテーマの夢」だ。客観的に見れば怖い内容ではないのに、目が覚めたあとにすごく怖く感じたり、何時間も気分が落ち込んだりする。そういう夢。 この繰り返し見る夢を忘れた頃にまた「同じテーマの夢」を見て、ハッと目が覚める。そのたびに、ああそうだ、きっと私が今認識しなければならない問題があるんだ、と気づくのだが、この「認識しなければならない問題」や「現状に潜む意味」に向き合うのが怖くて億劫で、毎回最奥までは自分の内部を探らず

オタクになれなくなったのは

私はわりと歴史が好きである。いや、「好きだけれどニワカ」と言ったほうが正しいかもしれない。所謂、youtubeで動画を見たり、図書館で世界史関連の本を借りて読んだりする程度。そこまで深堀りしていないため、「ニワカ」だと自己分析している。 歴史と言っても、日本史は苦手で、世界史が好きだ。高校時代も、日本史は赤点ギリギリだったのに、世界史は3年間オール5だった。この違いはなんだろう。カタカナの地名や人名は覚えられるのに、漢字の人名は覚えられなかった。不思議。 最近、youtu

noteは私の「本音」の1ページ

私は、周りの人から見たら「何を考えているのか分かりにくい」タイプだと思う。noteでは自分のことをそこまで隠さずに書いているので、そういう印象がないかもしれないけれど、リアルの私は「読み取りにくい」人間だろうな、と感じる。 むかし、心理カウンセリングとか心理療法とかの仕事をしていたこともあって、基本的には口が堅いほうだ。これは、人から聞いたことを言わないことに加え、自分のこともノーガードであけすけに語らない、という形で自分自身にも影響を及ぼしている。 noteなどに書いて

吹雪みたいな1年でした(日記)

大晦日ということで、私もなんとなく今年のまとめを書いておこうと思います。わりとこういう時節の挨拶みたいなものに疎いというか、イベントに興味が薄いタイプなのですが、お正月は別で、1年の区切り!という感じで気持ち的に重要視しています。 2020年は、かなりブレイクスルーになった年で、自分自身も変わったし、引っ越したし、これからの生き方の方向性を決めた年になりました。 *** この町に移住してきたのは約2年前ですが、移住してから今年の春くらいまではかなり人任せというか、仕事も

シーチキンおにぎりの思い出

先日、出張でひとり遠出した日、お昼にコンビニおにぎりを食べた。 いつもはお手製のお弁当もどき(お弁当というほどちゃんと作っていないので、もどきである)を職場に持参しているのだが、出かける日は大抵コンビニで何か調達することにしている。 職場の同僚は「出張の時くらい、うまいもの食ってこい」とその場でいろんなお店を調べてくれるけれど、仕事中にどこかのお店に入って食事をするのが苦手で(時間に追われる感じが嫌)、ひとりで出張の場合は大抵買って済ませてしまう。 そんな私をみんな「こ

冬場、綿の服はタブー(日記)

私はわりと家事が好きなほうなのですが、唯一あんまり好きじゃないのが洗濯です。いや、「好きじゃない」というと洗濯していなさそうなニュアンスなので語弊がありますね。洗濯はちゃんと(?)しているけれど、洗濯だけはなぜか苦手で億劫で、いつも頭を悩ませているんです。 なんでかというと・・・乾かないから!! これは雪国あるあるかもしれませんね。10月から霜が降り、12月から積雪して、そこから3月いっぱいまでは雪の日の空特有の曇天がつづくこの町で、洗濯物を外に干せる期間は半年に満たない