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鬱って、戦うものなの?

20代のころ、4年ほど鬱と現実感喪失症候群で家からろくに出られない時期がありました。

そして30代の今、寛解しフルタイムで仕事をし始めて約10年目に多忙により再発。もうすぐ休み始めて10か月ほどになります。

詳細はおいおい書いていくことととして、二度経験して思うこと、それは、「鬱は間違えた道を突っ走る私たちに急ブレーキをかけてくれる体(脳)の機能」の一つではないか、ということです。安全機能装置とでもいいましょうか。

確かに抑うつ症状はきつい。希死念慮もでてくると心底きつい。
かかったことがない人には想像のつかない厳しさ、先の見えない辛さがあります。そしてもちろん、支えてくれる家族にも大変な苦労があります。

ただ、辛い生活の中でも私自身が鬱から学んだことは数知れません。
自分の考え方にゆがみがあったこと、そのせいで生きにくさを感じていたこと、生い立ちの問題、体の不調の原因。
私の場合は現時点でこの生きづらさの原因は大体(7~8割)特定できてきていると思っています(間違っている、かもしれませんが)。

学校や職場など、環境由来で鬱になった場合はこの限りではないと思います。
私のように、幼少期からの原因で今生きづらさを感じている場合、鬱が何かしらのメッセージを患者本人に送ってくれているケースも多々あると思います。

カウンセリングの本で読んだ一言。
「精神科の目標は「病気の前より安定した人」である。決して病気の前に戻ることではない」

心や体からのメッセージに耳を傾けて、”元通りの私”に戻ることを目標にするのではなく、「より安定した自分らしく生きられる道を」読んでくださっている方々と一緒に、模索していくことができたらと思います。

私は鬱と戦わず寄り添って、そのもつれをほどいていきたい。

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