思春期に出ていた、心身からのSOS =自分史④=

今思い起こせば自分の気持ちが分からず一番苦労したのは大学受験の時でした。周りの友人が着々と勉強を進めていく中、自分が何を勉強したいのか、どの大学に行きたいのか見当もつかない。
結果私の決め方は苦手なものを排除していく、という消去法でした。

社会や理科が苦手。数学・国語・英語は比較的得意。なのでセンターではなく私立へ。文科系で興味がある学部がない。だから理系へ...

今まで自分の感情を無視し続けてきた分、急に心に何をしたいかを問いかけても答えてくれるはずがありません。
そもそも問いかけ方が分からないのです。
その当時、「どうしたらいいかわからない」とよく母に泣きついたそうです。それくらい、自分の中の子供、いわば自我が育たず迷子のような状態でした。

そしてふたを開ければ、私は優秀で憧れの兄と同じ大学へ進学することになりました。そう、
兄と一緒の大学ならば、きっと父も許してくれるはず・・・

それ以外にも生きにくさのヒントは随所にありました。
高校生ぐらいから、勉強の時にペンを持たない左手で自分の髪を抜くようになりました。しかも、ちょっとチリチリとしたまっすぐではない毛を選んで。あたかも自分の不完全さを消し去るかのように...
のちにこれは”チック”という症状であることを知りました。

また、中学校1年くらいから、少し脂っこいものを食べたり、ストレスがかかると強いみぞおちの痛みと嘔吐、下痢をする症状が出始めました。
これは今でも2~3年に1度救急外来にお世話になる症状です。

常に塾の看板娘でいられるように。
そして97点でなく、100点が取れるように。
そうして”父から見捨てられる・愛されなくなる”という恐怖心から、私は完璧でない自分を責めていくようになりました。

子供頃ノートに書きなぐった一言。
「誰か私に色を付けてください。」
それは、誰にも出されることのなかった私の心の叫びでした。

(続)


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