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167 生きて、のち、死ぬ

きょうは愕然

 漫画家・鳥山明が死去、との知らせに愕然とする。
 最近では、八代亜紀の死も同様に愕然とした。
 不思議なことに、このどちらとも、それほど深く関わってきたわけではない。確かに鳥山明はほぼ同年代で、「Dr.スランプ」を最初からしばらくは読んでいた。「ドラゴンボール」も最初の頃は読んでいた。彼の描くメカは好きだったし、ギャグも楽しかった。その後、私は漫画をほとんど読まなくなり、鳥山明は大先生になっていった。国際的な著名人である。
 八代亜紀にいたっては、ちょっと上の世代であり、確かに音楽は知っているし、当時は歌謡曲を聞くつもりはなくても、自然に耳に入ってきてしまう時代だったから。それに、ドリフターズ「8時だヨ!全員集合」などにも気さくに出ていた人たちは、なんとなく知っているのである。
 あまり、心酔していない人の訃報なのに、なぜか愕然としてしまい、きょうはここに書くべきことがなにも浮かばない。

自分は生きているか?

 人は、生きて、のち死ぬ。そうなっている。だから、誰もが死ぬのである。
 そして、死者に突きつけられることは、「おまえは生きているのか?」だろう。
「私は、生きて、死んだ。おまえはどうなんだ?」
 まず生きなければならない。
 それが生きている者の勤めだろう。
 私は生きているだろうか。
 今日はそれを考えてみたい。いつか、このことについては、書けるようになったらいいな、と思う。
 そんなことを書きながら、明日になればシレッとバカなことをまた書くのかもしれないけれど。
 今日は、このnote、はじまって以来の短文となった。

中華そばの練習


 
 

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