無邪気なステレオタイプ

発達障害者として生活していく上で、今までいろいろな支援者の方に助けていただいた。

そのことについては感謝しているものの、不満に思っていることがひとつある。

「このサービスを受けてみてはどうですか」

「うーん、人見知りだから人と話すタイプのはちょっとためらうんですよね」

「話す相手は発達障害の方が多いので大丈夫ですよ」

この、「発達障害同士だと話が合うだろう」と思っている支援者の方が結構な数いることである。


なぜこの発言が嫌なのか、理由はふたつある。

ひとつは、発達障害の特性の中にも「相性」があることである。

発達障害の人は、人との距離感が特殊であることが多い、やたらと近い人もいれば、人を遠ざけたがる人もいる。そして私は圧倒的に後者なのだ。

発達障害の人が多いところに行き、「人との距離感が近い発達障害の人」と出会って疲弊してしまうことが何度かあった。

また、聴覚過敏の傾向があるため、音声チックを伴う人と一緒に過ごすのはかなりつらい。

このように、障害そのものにも「相性」があるのだ。


ふたつ目は、その人とうまく付き合えるかどうかは、「障害とは関係がない」からである。

確かに同じ発達障害の人は話が合う。しかし、それはあくまで傾向の話だ。障害があってもなくても、嫌な人は嫌な人なのである。今までいた友人の中で、発達障害があるから、あるいはないから、好きになった人はいない。


「発達障害者同士なら上手くやっていける」と思っている人は、おそらく悪気はないのだろう。だが、それは「無邪気なステレオタイプ」である。これを言われても今すぐは困らないけれど、長期的にこの接し方をされると苦労が見える。

そして、「発達障害の人は才能がある」とか、「発達障害は個性」というのも無邪気なステレオタイプだなと思う。あくまでこれが、誰か個人にかかる言葉ならいいのだが、主語を大きくしてしまうと困る人が出るのだ。