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打ち上げ花火で終わらない

教育を本気で語る会のマサです。
今年度の異動によって95分の通勤時間が15分に変わり、
趣味のサッカーを再開しようと思っています!
プライベートが充実すると労働生産性も上がると信じて、
目一杯サッカーを楽しみます!
そんなとき、前任校の引き継ぎができていたのかがふと心配になってきました。
そこで今回は、打ち上げ花火に例えられがちな生徒の学びについて深めていきます。

1 儚い学びでいいのか?

夏の風物詩の打ち上げ花火は、一瞬の輝きである儚さが魅力的です。
では、学校の学びは花火のように瞬間的なものなのか。
学校で勉強することの目的の1つは「生きる力」を身につけることです。
つまり今後の人生につながる学び方が必要で、
継続性をつける必要があります。
やりっ放しの勉強を無くさなければなりません。

2 学校行事は大人の都合?

継続するために必要なものは生徒の当事者意識だと思います。
やらされる勉強よりもやりたい勉強の方がモチベーションは高くなるからです。
しかし、やらされる勉強がマサの現場には散見します。
例えば修学旅行や平和教育、震災学習などです。
生徒たちに修学旅行に行く理由を聞いてみたところ、
「行くのが普通だと思った」
「先輩たちも行ってたから」
「学校行事だから」
などという答えが返ってきました。
これらの共通点は学習理由の基準が他者にあることです。
これこそが、打ち上げ花火になってしまう原因だと思います。
学びに対しての当事者意識が低くなってしまうと、
継続したいと思える動機は得られにくくなります。
修学旅行や震災学習などの学校行事での学びを、その後の学びにどう生かせたか?
通常の学校生活に戻ってしまっていないか?
せっかくの学校行事のメリットが儚く散ってしまいます。

3 継続する学びの仕掛け

教師として大切なことは、生徒たちが「もっと学びたい」って思えるような仕掛けを作ることだと思います。
学びのきっかけは大人が作った学校行事でもいいと思います。
その学びを続けたいと生徒が思ってくれるような仕掛けを作るのは大人の役割です。
その仕掛けの1つに「学校以外の大人とのつながり」があります。
例えば、学校の宿題として修学旅行の感想やまとめを出すことよりも、
現地で出会った方々と定期的にやり取りをする方が継続性が生まれます。
良い意味での緊張感も持てます。
何よりも、学校の枠を超えた社会を学べることこそが「生きる力」につながります!

4 感謝がつなぐ学びと御縁

このことを教師目線で考えると、
学校という小さな枠から外れることで、新しい発見があります。
教師も生徒と一緒に学べることがたくさんあります。
生徒主体の学びを教師がサポートする。
このイメージは大空小学校元校長の木村泰子さんとつながります。
教師に必要な力は「人の力を借りれる力」です。
担任1人で完結しようとせず、
狭い世界に生徒を閉じ込めようとせず、
社会とつながる仕掛けこそが、
継続的な学びにつながるはずです。
「言われてないからやらない」のような
人のせいにする仕組みはなくしたいです。
行動の理由を他人に求めない。

学校行事を打ち上げ花火にしないことは、主体的、継続的な学びにつなげる手段の1つとして考え続けていきたいです!

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