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写真とジャーナリズムに共通する思考パターン

写真

私は元々写真が最大の趣味で、昨年から正式にフォトグラファーを名乗っている。(稼げてはいないが)

大学時代から写真を始め、オリンパスに入社し、配属されたカメラの開発部門では新人向けの写真教室があり、最初に社庭での白黒フィルムでの撮影があった。

そこには誰かがいる訳でもなく、植物があったりベンチがあったり噴水があったりの単なる庭だ。

特に面白いものもなかったが、自分なりの視点を見付けて面白い写真を撮ればいい評価をされる。
平凡な視点では見向きもされない。一見して魅力的な被写体はないからだ。

普段の視点とは切り替えて、例えばベンチに近寄って、造形の面白い部分を見付けてアップで撮ったり、視点を極端に下げて、普段は見ることのない景色を見せたり。

みんなと同じ、常識的な物の見方をしていては魅力的な写真は撮れない。

このような場面では視点の柔軟性が試される。

真実の追求

写真と並ぶ私の趣味であり仕事の柱である真実の追求。

当然ながら、世の中の常識を疑わなければ何も出てこない。

世の中の常識とされていることは正しいのか?

「デマ」「陰謀論」と言われていることは本当にデマなのか?

社会の常識を何も考えずに受け入れていたら、オリジナリティーのあるものを生み出すことはできない。

世の中の常識に矛盾はないのか?
そのことによって起きている問題点はないのか?

時には一部に注目して詳細に調べたり、物事を裏から見たり。

写真と真実の追求の共通点

面白い視点を見付けたら、それを掘り下げ、写真や記事になるのかを見極め、構成を考え、バランスを整え、写真や記事という作品に仕上げる。

両方とも創作活動であるので、共通点のあるのは当たり前なのかもしれないが、私のやっていることの両方に通じる思考パターンがあることには納得した。

子どもの頃から「天邪鬼」と言われて来ただけあるね!🤣

市役所の役人にはこの考え方はできないだろうなあ〜!

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