記憶の底に沈めてた高1時代の家出

これがトラウマなのかどうかわからないけれど、高校1年のとき3か月家出していた。理由はないというか、思い出せない。とにかく家を出たかった。
同級生の新聞配達学生が誘ってくれて、近くの新聞配達所に住み込みの場所を見つけた。配達所の親父さんは脱サラしたばかりで仕事に慣れてない人で、寮なんかなく、借りてもらったアパートに転がり込んだ。問題は食事だ。トイレ・風呂・キッチンは部屋になく、食事はアパートの一階が大衆食堂で、そこで飯を食えという仕組みだった。ようは食べた分が給料から引かれるわけだ。その食堂は作り置きの美味そうなおかずがガラスケースに入っていて、食べたいものを取る仕組みだった。それを見てここは天国だと思った。でも給料から食事代をひかれたらほとんど金が残らず1か月目の給料日には、そこは天国とは程遠い場所にいることがわかった。とはいえ高校1年生だ。やることといえばひたすら飯を食うことだ。でも金のことを気にして大盛り飯と味噌汁に、生卵、ときどき納豆をつけるぐらいですました。ほぼ毎日のことだ。朝は抜いて、昼は高校の学食ですましてたか。多分健康状態は最高に悪く、常に飢えていて、同級生とは別の時空間を生きていたと思う。運悪くというか、いや僥倖というか、配達中にけがをして3か月を過ぎたところでそのバイトを辞めざるを得ず、家に戻った。冬の頃だった。ホッとしたことだけ覚えてる。
不思議なのはその家出してたことを記憶の底に沈めて、ずっと思い出しもしなかったことだ。

ところがビュッフェ形式の食事では、「負けへんで」という言葉が心の中で何度もリフレインして、真剣に「勝負!」って感じで臨んでる。おかずを自分で選び放題のその形式だと、普段人の目を気にする自分をかなぐり捨てて、ひたすら食べまくるこの卑しさは、高校一年に遡る大衆食堂のガラスケースのおかずをじっと見て、唾やいろんなものを飲み込んだあの時代の復讐なのか、と思うこともない。

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