復刻版「贋作ひとりごと」No.14
遠文連ニュース「はぴねす」No.281(1991.3.10発行)より
仕事柄、車の中でラジオを聞く機会が多いのですが、NHKの健康相談とか育児相談とか聞いておりますと、カルチャーショックを受けて、身につまされる事が多々あります。聞きかじりで申し訳ないのですが、例えば、現在、平均寿命は女性の方が約10才は長いとされておりますが、もうすぐ同じになるのだそうです。男性が長くなるのなら良いのですが、女性が短くなっていくのだそうです。
医学的に難しいことはわかりませんが、思春期にダイエットして栄養不良であったり、偏った食事内容を経てきた女性は、いわゆる大人の体になった時にすでにアンバランスな状態になっているんだそうです。その結果、いろいろな悪影響が出てきて、病気になりやすいということなんだそうです。
非常にこわいことですが、この傾向が増えているんだそうです。ある生活誌に掲載されておりましたが、幼児体験として、おふくろの味で育った男性は中年期からは肉食から魚・野菜食へと自然に移行していくんだそうです。内臓の疲れにうまくバランスがとれて、体質を変えてくれるんだそうです。何か、いつもと雰囲気の違うコラムですんません。
遠文連ニュース「はぴねす」No.283(1991.5.10発行)より
いつも選挙の時期になると思い出すのが、筒井康隆氏の名エッセイ集「狂気の沙汰も金次第」です。今は東京で活躍している吉本の間寛平氏の「おっさん、アホか!‥」のギャグを超越して、もっと言ってやりたい候補者もおりましたからね。
以前から不思議に思っていたのですが、例のパリダカールラリーって環境破壊には繋がっていかないのでしょうか。人間と機械の極限への挑戦とか、パイオニア精神の高揚とか、いろいろ美辞麗句を並べておりますが、環境破壊には繋がっていかないのでしょうか。世界的な環境保護団体とか、現地の保護団体はどんなコメントを述べているのでしょうか。とても興味があります。クウェート沖の原油にしても、それらによる動植物の被害にしても、いつのまにか、マスメディアでは取り上げる機会が少なくなってきましたね。ゴルバチョフさんの来日もあったし、選挙もあったし、紙面も画面も限られていることはわかりますが、恒久的な問題ですからね、もう少し何とかならないものでしょうか。‥戸隠高原の植物園を歩きながら‥
遠文連ニュース「はぴねす」No.284(1991.6.10発行)より
近頃、不思議に思っていたのですが、ペットフードのCM、商品量って異常に多いと思いませんか。やっと、そのからくりがわかりました。アメリカの商社がアマゾンの森林を伐採して、牧場をつくりました。ブラジル政府の10年間は法人税免除というメリットがあるためなのですが、ところが、土壌が悪く牧草が育たないため、化学飼料で育てることになりました。その結果、人間が食べる肉としては不適当になったのです。この牛肉こそが、巷に氾濫しているペットフードなのですよ。商社も在庫を抱えてしまっているのです。10年間に商社は別の商社にその権利を売ってしまいますから、損はしておりません。しかし、後に残るのは、不毛の土地なのですよ。
テレビのCMで「私はこの犬、猫が生まれた時から、このペットフードを食べさせています。とてもよく成長しています。」というコメントが出てきます。この飼い主は、何という人間なんだろあかと疑問に思います。人間って、そんな権力者なんでしょうか。
空気と水と土によって、生かされている。これが基本では、いけないんでしょうか。
遠文連ニュース「はぴねす」No.285(1991.7.10発行)より
日本映画の貧困状態は、今に始まったことではないのですが、有望俳優の扱い方がひどいと思いませんか。安易に暴走族とかチンピラやくざの主人公にしてしまうのは、何か理由があるのでしょうか。私の持論としては、プロデューサーは基本的に色々な意味で裕福でならなければならないと思っています。上方落語の「貧乏花見」の中で、登場人物に「心まで貧乏しなや」と言わせる、ステキなフレーズがあります。「心が貧しい」監督、プロデューサーたちによって、ズタズタにされてしまっているのではないでしょうか。映画といえば欧米では国策映画というのがあって、例えば、レスキュー部隊とか、森林警備隊、動物保護監視員などの方々をヒーローとして扱う映画がありますね。日本でもこうした動きは必要ではないでしょうか。
これまでにも、環境保護の問題について何回か書かせていただきましたが、パリ・ダカとか鈴鹿8耐レースよりは、クルド人キャンプでの支援とかバングラディシュでの救援、砂漠の緑化活動等の方がはるかにスリリングであり、冒険的であり、フロンティアスピリットがあり、夢があるのではないでしょうか。
遠文連ニュース「はぴねす」No.286(1991.8.10発行)より
7月に某S新聞で、静岡県の活性化特集ということで、浜松市の再開発を扱っておりました。再開発関係者の言われる百年の計とか、先にハードを設けることによってソフトが育ちやすくする。といったご意見には、私のように百年も先をみていない人間ではついていけないなぁと感じたものでした。
昨年、岩波書店で主催されたシンポジウムの中で、パネリストの和田勉氏が次のように発言されておりました。「役者に『幸せな顔を‥して』といったら、全部自慢する顔になってしまう。‥幸せな顔といってもぜんぜん撮れない。」
又、永六輔氏の「六輔流旅人生」では、「リゾート法というのは、正しくは総合保養地域整備法。三本柱が、余暇活動の充実、地域振興、内需拡大、である。それぞれ文句をつけられるものではないが、これがどうしてゴルフ場にしかならないのか。」
以上、最近、気になっている発言です。
静岡駅もそうですが、再開発によって引き上げられる物価と個人消費、バランスはとれていのまでしょうか。
遠文連ニュース「はぴねす」No.287(1991.9.10発行)より
放送用語の範疇ですが、差別用語というのがあります。例えば、貧乏人とか労務者といった表現です。それらの一つに「ブス」という表現があります。確かに好ましい表現ではないのですが、本来の意味をご存じでしょうか。「無様なスケ」の略語なんです。それがいつのまにか、「不細工なスケ」に替わってしまったがために、差別用語の仲間入りをしてしまったということなんだそうです。女性の方も冷静に考えてみてください。「無様なスケ」って、かなり目につくのではないでしょうか。とすると、ブスにブス言うて何が悪いという論理もおわかりになるのではないでしょうか。
さて、男性の結婚難が言われてから久しいのですが、いままでマスコミ等で言われてきた理由とは別の意見が発表されたんだそうです。女性が男性を選ぶ条件が厳しくなってきた、と言われておりますね。ところが、反対なんではないだろうか、という意見があるのです。
料理は出来ない。消費癖は抜けない。貯蓄感覚は無い。男を頭からバカにしているのに、パトロンとしては必要としている。‥‥悪口になりますが、この意見の方が真実だと思いませんか。