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喜六庵の「あくびの稽古」にお付き合い下さい その二

西武CITY8のバレ太鼓

 喜六家清八です。西武CITY8は、1993年1月まで、西武百貨店浜松店の8階でいろいろなイベント活動の聖地であった、特別なホールでした。私は、1981年1月2日の第1回から1993年1月10日の第64回まで、この場所で「浜松西武CITY8寄席」のプロデュースをしておりました。
 最終公演の時、私が当時、所有していたMacintosh Classicで作成してお配りしたチラシの原稿が見つかりました。ここに、掲載させていただきます。

 11年間、ありがとうございました。
 昭和57年1月2日初席より、年六回、続けてきました「西武CITY8寄席」ですが、諸般の事情により64回目をもちまして、バレ太鼓を打たせていただきます。
 今回を含めて11年間で、のべ307席の落語、演目にして160席は出ていると思います。東西からの噺家さんは132名ですから、約四分の一の方が来演されたことになります。
 浜松市及び県西部地区で、これだけの寄席が継続できたのは、たいへんなことだったと思うのですが、街のうわさ、マスコミの評価は‥‥だったのが残念です。音楽の街づくりも結構ですが、もう少し広い意味での文化都市を感じさせる街づくりを期待します。(生意気で、ごめんなさい)

 これまでの来演者のお名前を披露させていただいて、関係者へのお礼に代えたいと思います。

 鯉昇  笑弥  楽輔  文朝  小遊三  円右  南楽  小南  夢楽
 鶴志  窓里  小勇  志ん八  圓窓  亭治  蝠丸  歌八  歌丸
 志ん吉  吉窓  小きん  圓弥  平治  文治  とんでん平 うん平
 志ん上  扇橋  昇八  柳太朗  柳昇  歌る多  駒之助  志ん駒
 女楽  小痴楽  丈々寺  小満女  菊正  生之助 小柳枝
 ボンボンブラザース  あさり  菊弥  馬好  右伊  若圓遊 しゅう平
 さん好  小駒  志ん橋  遊吉  雷蔵  歌武蔵  茶々丸  小燕枝
 夢三四  扇遊  可楽  かっぱ  はん治  さん喬  文生  窓矢
 さん弥  一楽  圓龍  いるか  南喬  窓花  勢朝  藤兵衛
 昇吉 志ん輔  あさ市  乱丈  福治  さん八  おまえ ミヤビひこ
 真楽 柏枝  夢の助  小助  豊蔵  鷹蔵  一朝  新次  小里ん
 菊乃  九治  福三  関西  遊福  竹丸  文吾  扇海  三喬
 金太郎 談之助  馬桜  あん太  右左喜  右朝  小金馬  のー丸
 梅枝  雲助  にいがた  志ん弥  たい平  団四郎  桂太  川柳
 扇治  鶴光  でっとぼうる  小のり  〆治  北陽  金八  駒三
 小禄  龍楽  小田原丈  三太楼  馬の助  鯉之助  さん坊 菊春

 以上、順不同、(当時のお名前)、間違っていたら、ごめんなさい。

                                                       平成5年1月10日
                   浜松西武CITY8   春風亭鯉昇 三遊亭笑弥

 ※CITY8寄席の関係資料は、私が保管させていただきます。
  浜松西武CITY8寄席プロデュース  喜六家清八(山口識行)

第1回CITY8寄席のネタ帳
第64回(最終回)CITY8寄席のネタ帳

 今でも思い出す事があります。昭和57年1月2日の初席の設営、仕込みです。
 当時、浜松市内の百貨店の年明け営業は1月4日からでした。西武百貨店さんが2日か
らの営業、初売りにシフトされました。1日は、全館休業なので、2日からの装飾、ディ
スプレイ作業は12月31日の閉店後からでした。CITY8でも同様でした。大晦日の閉店後の百貨店に入るのは、初めての経験でした。作業を終えて、関係者エレベーターで降りて、守衛室から外に出れたのは深夜でした。ディスプレイ作業の方達は徹夜で明日の朝までが勝負!だと頑張っておられました。この日はたいへんでしたが、新年2日に楽屋入りする期待感で気持ちは高揚していました。
 そうそう、第3回目は先代の桂小南師匠でした。この時、楽屋でのお弁当では失礼にあたると思い、外のお寿司屋さんの個室を用意しました。ところが、私も同席になってしまいました。実は、私が上方落語を覚えるて、人前でお喋りするきっかけが小南師匠だったのです。小学生高学年の頃からテレビで観て笑っていたのですが、中学生の頃、元の浜松市民会館で「浜松市民寄席」が年一回開催されていて、木戸銭無料、往復葉書で申し込むシステムでした。一応、申し込みが多い場合には抽選となっていたのですが、運良く、3年連続で入場出来ました。その3回とも小南師匠が来演されたのです。後から思い出すと本当に恥ずかしいのですが、2回目の寄席の時、楽屋出入り口に行って前座さんに「小南師匠にお会いしたいのですが‥‥」と伝えていました。その前座さんは、何の問題もないかのように師匠の楽屋に案内してくれたのです。私は中学二年生、学生服でした。師匠から楽屋の座敷にあがるように言われたのです。私は、全く躊躇なく師匠の側まで行き、正座して頭を下げてから、「小学生高学年の頃からテレビで観ていて、上方落語が好きになり、師匠が大好きです。」と一気に伝えました。「そうですか。ありがとうございます。」と、頭を下げてくれました。そこで、調子に乗って、「色紙を書いて下さい」と、
色紙を持参していなかったのを忘れて頼んでしまったのです。師匠は、地方の学生服の中学生に対してお叱りもなく、ご自分の鞄から色紙と筆、硯を取り出され、お弟子さんにすらせた墨液で3枚書き上げ、落款まで押してプレゼントしていただいたのです。もう一度書きますが、色紙も手土産も用意してない私にです。お礼を言って、その楽屋から客席に戻りました。次の年は、さすがに色紙と手土産を持参して伺いました。一年ぶりでしたが、師匠は「あぁ、去年の中学生‥」と言ってくれました。この時も落款入りの色紙3枚を書いていただきました。
 話をCITY8、お寿司屋の座敷に戻します。
 師匠の正面に正座した私は、「ご無沙汰しておりました。私は、あの浜松市民寄席の時、楽屋で色紙を書いていただいた、中学生です。あの時は、何も知らないで、本当にすみませんでした。」と正式にお詫びと今日の来演に対してお礼を伝えました。その後、又又、落款入りの色紙を3枚書いていただきました。こうして、私の目の前で書いていただいた9枚の色紙は、蒐集品の中の宝物となっております。
 昭和48年8月21日から51年5月21日までにCBSSONYから発売された「桂小南集」LP2枚組、全10巻をアルバイトして購入したことを報告しました。平成2年「紫綬褒章」を受賞され、都内で祝賀会を催されたのですが、この時、「紫綬褒章受賞記念純金箔テレホンカード」をいただきました。この品も蒐集品の中の宝物となっております。

桂小南独演会ポスター
桂小南レコード全集完結記念独演会ポスター


第42回CITY8寄席の御招待券  第56回CITY8寄席の御招待券
第3回CITY8寄席のチラシ
第6回CITY8寄席(右側)と第8回CITY8寄席(左側)のチラシ

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