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復刻版「贋作・ひとりごと」No.3

遠文連ニュース「はぴねす」No.194(1983.12.10発行)より

 12月号の原稿を書く時期になると、今年は忘年会・パーティがいくつあるのか、年賀状は何通出そうかなどと、つい考えてしまいます。
 12月の予定が11月上旬にすべて決まってしまって、毎日毎日、アレヤコレヤで新しい年、こういったパターンが何年か続いております。今年こそは、V.S.O.P.を打破しようと考えていても、結局は例年どおりになりそうです。毎月毎月、コンサートの手伝いやら、「はぴねす」の原稿書きやら、ツアーでのオジャマ虫(にぎやかし)、そして、常連委員会の飲み会と続いた83年でした。
 ところで、「えんしゅう寄席」は11月28日の例会で第30回を迎えることができました。スタッフとして参加させていただいてから8年、やっと花が咲いたといえる年でした。常連として、浜松でもお馴染みになった柳家小里んさんの真打昇進披露が決まり、その披露が実現したのです。当日、お越しになった方は実感として、「えんしゅう寄席」の歴史を感じられたことでしょう。
 そして、これも先日のことですが、浜松出身の春風亭愛橋さん(第29回例会に出演)がNHK新人落語コンクールで最優秀新人賞を受賞されたのです。それぞれ8年来の知己として、本当にうれしく思います。

「はぴねす」 No.194  195   196

遠文連ニュース「はぴねす」No.195(1984.1.10発行)より

 栂池スキー場より、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお付き合いの程、お願い致します。」(遠文連スキー・ツアー)
 ここで、原稿を書いている12月に戻りまして、シビアな発言をさせていただきます。毎月毎月5本から6本のコンサートを継続しているのですが、しんどいのですよ。スタッフ不足にいつもいつも悩まされているのです。遠文連のコンサートでは、ジャンルが片寄っているという声も聞きました。音楽と一口に言っても様々なジャンルがあるのですよ。寄席・演劇と遠文連の行っている分野はたくさんあるのです。
 例えば、「えんしゅう寄席」は2月13日の「米朝・枝雀親子会」で31回目の歴史を持っています。年数で8年なんです。この8年、誕生からすべてかかわってきた私としては、何とか地方で東京・大阪以上の企画を実現させようとがんばってまいりました。最近お客様が何を求めているのか、わからなくなっています。お助け下さいませんか。当日の運営、企画会議までは負担だとお考えでしたら、事務局まで電話、又は手紙でアイデアをお寄せ下さい。
 演劇のジャンルでもスタッフがいれば、遠文連では例会として企画できます。クリエイティブな経験をしてみませんか。お待ちしております。

遠文連ニュース「はぴねす」No.196(1984.2.10発行)より

 1月号に続いて、スキー場より「バレンタイン・デーにはどうもありがとう」(と、一応はカッコつけておきます。)
 今年は春から、何とか‥‥‥‥で、新しいホールができたり、ミニコミ誌が誕生したり、昨年よりは新しい芽が出ようとしています。こうした器やニュース・ソースが増えることは、大変けっこうなことなんだけどそのオーディエンス・メンバーはどうなんだろうかと考えてしまうのです。昨年も、FMさんが開局したり、ライブハウスがオープンしたりと、なかなかにぎやかでしたネ。でも、どうなんでしょうか。何かに影響を与えたのでしょうか。もちろん、短期間で結論は出ません。でも、でも、でも、考えてしまうのです。
 地方だから、田舎だからと言ってしまえば、それまでだけど、少し視野を広げてみれば、いろいろなジャンルを経験できるのです。なかには条件の良い生活をしている方がいて、中野サンプラザとかジャンジャンとか、大阪厚生年金会館とか、いろいろ経験されたと思います。そういう方も極論で比較をしないで下さい。浜松でも、いろいろなイベンターがマイナーなジャンルにとりくんでいるのですから。毎回毎回、同じような事を書いてしまってすいません。

遠文連ニュース「はぴねす」No.199(1984.5.10発行)より

 4月の初め、某テレビ局で「花王名人大賞」の発表会と受賞者の披露演芸大会が華々しく放送されました。 
 気にかかったことが二つあります。一つは、選考・審査基準は誰に、どこにあるのかといった素朴な疑問です。あらかじめ、局の関係者とスポンサーとで決めておきながら、全国の視聴者から選ばれた形にするという、よくあるテレビ企画なんですよ。
 まぁ、それはそれとしても、かわいそうなのは本来主役であるべきお笑い芸人たちがワキ役にまわされていたという現実。これは何なんですか。マイナーな芸能、マイナーな芸人だから、せめてセットとかゲストで盛り上げようという考え方もわかるけど、それなら何故、ゲストタレントがゲストの位置にいる構成をしないんでしょうね。これこそ、テレビ局側の差別意識ではないでしょうか。歌手がナンボのもんやねン。テレビのディレクターはそんなにエラいんか。と、いった声も聞こえてくるような気がします。
 もう一つ、オモロかったのは、桂文珍さんが英語落語を演じ、見事に成功させたことです。落語の世界でも英語圏まで手を出しはじめたんです。これは、大変なことなのですが、「落語家は一番クリエィティブなトーク・アーティストである」ことを実証してくれた成功例だと思います。

遠文連ニュース「はぴねす」No.200(1984.6.10発行)より

 5月の連休には残雪1メートルの世界にいたのに、一週間後は真夏という環境変化にとまどっております。
 蚊があらわれる時候になると思い出すのが、星新一氏のショート・ショートの一篇です。科学が発達して地球上から、蚊とか蠅のたぐいが無くなってしまう。そうすると、不思議なもので人工の蚊をつくってまでして、懐かしがる人たちが出てきます。ラジコンで飛ばして、羽音を調節したり、実際に刺してかゆくなる薬品を研究したり、一つの商品ジャンルになるわけですね。この所有台数がステータス・シンボルになるかもしれない社会が良いのか、悪いのか考えさせられたものです。最近、伊丹十三氏のエッセイを読み直していたら、この話の続編になりそうな一篇がありました。
 最近のヒット商品に、電気蚊取器というのがあります。実際には、熱で薬品が溶けて、室内に広がるという原理なのです。ところが、伊丹氏の発想はこうなんです。ハエたたきが二つあって、それが蚊の飛んでいる所へ動いて、パチンと叩いて殺すという機械だと‥。
 どうでしょうか?この二つの話をつなぎ合わせると、片やロボット蚊、片や電気蚊取器、まるで小さなスター・ウォーズの世界だと思いませんか。でも、養殖した針の無い蚊を室内に飛ばして、情緒を楽しむ時代は近い将来には来るのではないでしょうか。

遠文連ニュース「はぴねす」No.201(1984.7.10発行)より

 以前、「私の料理」で「う雑炊」の料理法を紹介させていだいた。鰻の雑炊のことである。これから暑くなると、鰻の混ぜご飯が好きで、時々、自分でつくってみる。鰻丼用の蒲焼きが残ってしまったりすると、どうしたも身が固くなってしまう。それを細かくほぐして、ご飯と混ぜ、蒸らすのである。これだけでも充分おいしく食べられるのだが、最近、もっと良い料理方法があることを知った。
「ひつまぶし」という料理である。「ひつ」というのは、ご飯をいれておく「おひつ」のことである。さて、そり料理法だが、焼き海苔をバリバリとくだいてほぐした鰻と一緒にまぶす。食べ頃に長ネギとワサビでまぶして食べるのである。な~んだ、そんな簡単なことかとガッカリだろうか。鰻で有名なこの地には、この料理はない。本来、関西の料亭の鰻料理なのであるから。材料をとことん食べられるものにしている合理性のあらわれといえるだろう。多分、食べさせてくれるお店はないだろうから、自分でつくってみるしかない。おかしなこだわりかもしれないが、モノが豊富にふる所では、ノーマルな発想でつくられてしまうのではないだろうか。どちらが良いとも言えないけれど、オイシイ生活を楽しむためには、それなりの努力がいることだけは確かなのだ。

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