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復刻版「贋作・ひとりごと」No.7

遠文連ニュース「はぴねす」」No.232(1987.2.10)より

 今年はウサギの年でございまして、小噺を一つ‥。
 ある時、十二支の動物が集まりまして、マラソンを始めたんですな。ところが、途中でウサギさんが寝てしまいました。沿道の観客が心配しまして、「ウサギさん、あんた、こんな所で寝てたら、追い抜かれまっせ」
「いぇ、今日は、カメさんがいてまへんよって‥」
 という、しょうもない噺で失礼をいたしました。年末年始は遠文連のスキーツアーに参加をしましたが、どこのゲレンデも雪不足に悩まされていたようです。今シーズンから来シーズンにかけて、山があって雪が降る市町村では借金をしてスキー場をオープンさせています。冬期の現金収入確保と活性化のために、村の存亡を賭けている所もある程です。これだけ、スキー場が増えてくると、何かセールスポイントを創らないと難しいと思うのです。例えば、会員制というのも一つの手ですし、温泉とか温水プールがあるというのも目玉だと思います。これからファミリーのスキー人口も増えて、中高年齢層にも趣味として広がっていくはずです。こうした世代向けのロッジ、ホテル、そしてゲレンデを含めた環境づくりをすることが生き残る方法だと思うのですが、関係者の方々、ご一考を‥。

遠文連ニュース「はぴねす」No.232  233  234

遠文連ニュース「はぴねす」」No.233(1987.3.10)より

 寒いな、寒いなぁと言うてるうちに、暖かい日になってきまして、ウインタースポーツも何か中途半端になってしまったようです。
 さて、浜松市民の方には何らかの方法で伝わっているはずですが、駅前の再開発ビジョンについて話題になっていると思います。こうして次々にビルが建てられて、ハード的には大都市の仲間入りをしていくのでしょうが、ソフト的にはどうなのでしょうか。先進地といわれている都市の例でもわかるように、ソフト面については、行政側が主導しても、物的な補助をしても素地がなかったら育つものではありません。反対に素地があれば、場所や物的な補助が無くても文化は育っていくものです。最近、各地で民活導入というお役所言葉の名のもとに、民間主導のイベンターとかサークルが行政側に吸収されてしまったという被害がでています。それまでの先行投資とか潜在投資を無視して、あたかも行政側が見守っていたんだという一方的な解釈がされてしまうわけです。
 この部分は、全く私的な立場として、書かせていただきますが、52万都市で「落語」を聴こうという人が200人しかいないという現実を考えると、行く先を思いやってしまうのですよ。浜松の方、リアクションを‥」

遠文連ニュース「はぴねす」」No.234(1987.4.10)より

 先月号で、落語の状況についてぼやきましたので、その続きを。
 市内のレコード屋さんで確認していただければ、おわかりになると思いますが落語のレコードはコーナーはもちろん、その姿形さえ消されております。おそらく昨年からだと思いますが、カセットとCDのみの制作に変わっています。先日、メーカーに問い合わせたところレコードはほとんど廃盤になっているとのことでした。当然、店員さんの興味も薄らいできますから、質問してもわからない。セールス努力もしないという悪循環になっています。
 出版の世界でも同じような状況になっています。専門誌はともかくとして、一般的な雑誌・週刊誌に取り上げられることもないため、益々、話題性・共通性が無くなっていくのです。落語が一般の人に通用しないのはもちろん、愛好者は職場では変人扱いされております。日本人が和服を着て、日本人の生活を日本語で語っていることが理解できなくなっていくという恐ろしい状況になろうとしているのですよ。ただ、一つ考えなければならない事があるんです。こうした状況が東京・大阪の一部のマスコミ人間とか評論家といわれていた先生によって方向付けをされてしまったということです。情報量と愛好者の数は地方でも同じだということをわかってないのです。

遠文連ニュース「はぴねす」」No.235(1987.5.10)より

 4月のテレビ番組で少しは減るだろうと思っていたグルメ番組は、その姿を変えただけで、ますます視聴率アップの稼ぎ番組になっています。確かにきれいに盛り付けられた料理は絵になるし、不快感は与えないでしょう。料理店の情報とかエチケットの勉強にもなっています。
 ところが、こうした番組で、つくる人・食べる人の感性とか味覚のとらえ方は影響を受けているのでしょうか。漫画の世界でもこうしたグルメをテーマにして、いろいろな社会面を描いています。「究極」という言葉が流行語となって一億総評論家傾向に拍車をかけました。現実には、どうなのでしょうか。浜松周辺でもファーストフードショップがチェーン店化したり、深夜営業のコンビニエンス・ストアが田舎にもつくられたり、喫茶店が深夜型になりつつあります。こうした傾向に対して生活が便利になるとか、都会人になれると喜んでいる方もいると思います。それだけでいいんでしょうか。先日、文部省で家庭料理の検定を行うという発表がありましたね。女性の側から、かなり反撥があるだろうと思っていたのですが、特に真面目な反論はなかったようなのです。
 私の偏見ですが、まともな感性をもって食生活を楽しんでいる人が少ないからではないのでしょうか。これから結婚(同居生活)をされる方はよく判断をして下さい。

遠文連ニュース「はぴねす」」No.237(1987.7.10)より

 二カ月のごぶさたでした。
 ご存じの方はご存じなのですが、私は浜松市民ではありません。それだから、どうということはないのですが、新聞・雑誌・遠文連関係者からの県立音楽ホールの情報を一歩外から判断しています。ハードができれば、ソフトは後からついて行くという考え方もわかるのですが、なぜオペラハウスでなければ、クラシックホールでなければならないのか、わかりません。概しては儲からない、そんな文化の擁護にこそ行政や財界が力を出し合うことは、たいへん良いことですが、いったい誰のために造られようとしているのか、考えたことがありますか。計画関係者の方々は現在の施設への有料入場者がどんな世代で、どの地域に暮らしていて、どのようなジャンルに興味をもっているのか把握しているのでしょうか。そうして知恵者の視野に入らないレベルでの若者たちの動きを見てほしいのです。
 芸術にお金を投資するのは、たいへん結構だと思いますが、東京のフィルター越しでないと巧くいかない現状に問題はないのでしょうか。

遠文連ニュース「はぴねす」」No.238(1987.8.10)より

 この夏休みに海外に出かける方の数が140万人を超えているんだそうです。きっと、この号も帰られてから読んでいる方も多いのではないでしょうか。円高差益で費用も安くなっていますし、海外旅行のノウハウもいろいろ理解されてきましたから、一部の地域を除いて世界中を歩くことが出来るはずです。もっともっと、自由に安全に、旅行できるようになるはずですから、日本人の海外旅行熱は下がらないと思います。
 ただ、以前から疑問に思っていることが一つあります。国際交流視野の拡大という「たてまえ」の下に行われている官公庁がらみの(補助金付きの)視察研修・交流キャンプなどの数が多すぎるのではないでしょうか。経済的な負担は少なくなるかもしれないけれど平日に一週間も休ませてくれる理解ある(主催者は当然だと考えている)経営者がどれだけあると考えているのでしょうか。又、何故、自分たちのが外国へ出かけるという一方通行なのでしょうか。
 案外、国会議員の外遊を見習って、自分たちも公費で行きたいという官公庁職員たちの安易な発想だったのではないでしょうか。

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