花待月に話をしよう / 夜とパプリカ

 花見をしようと神様は言った。三寒四温もゆるやかに均されていく三月のことである。

 ブナの樹でできたスプーンは間宮が仕事の合間に彫ったものだ。やたらとそれを気に入った彼は実にカレーに丁度いい、神饌にしたまえ、と半ばくすねるようにそれを私物化した。愛用してもらえるのはありがたいのだが、神様に捧げる供物がスプーンでいいのだろうか。思いあぐねて鍋をかき混ぜるけれと、カレーの神様なのだからまあこれが妥当なのであろう。樵面ではカレーは食えない。
「花見って、花見ですか」
「そう花見だ、桜狩りともいうあれだ。いや、桜にはまだ早いな。この時期は梅か」
「梅にもまだ少し早いですよ、このあたりは寒いので――今月、半ば過ぎには、見頃なんじゃないでしょうか。城まで行けば梅林があります」
「そうか、うむ、よし」
 溶けた芋を味わうようにゆっくりと深く頷いて、神様はスプーンを置く。一時的にとはいえ、完食を待たずして彼がスプーンを置くことは非常に稀である。一分一秒を争いながら、カレーは着実に冷めていってしまうからだ。けれども神様は厳かで気位の高いひとであるから、口をもぐもぐとさせながら喋るだなんてことは、まあ、断じてないとは言わないが基本的にあまりない。こうして改まって水を飲んだあとで告げられる言葉は、非常にありがたいご神託であるのだ。非常に面倒くさい思いつきとも言う。

「野点をするぞ、間宮」
「野点」
「ナウい言い方をするとぴくにっくだ」
「ナウい」
 野点とはお茶会のことではなかったか。しかし彼のことだからどうせ、
「…………お弁当にカレーは、ちょっと、どうでしょうか」
「む…………やはり難しいか、冷めてしまうからな。それはかわいそうだ」
 かわいそう、なのか。ここでの適切な形容詞はかわいそうでいいのだろうか。
 ご神託だろうがなんだろうが適当になだめすかせばいいものを、頭の中では旧型の冷蔵庫をひっくり返すようにして食材を探してしまうのだから忌々しい。カレーパンならどうだろうか。発酵させるのは難しそうだが、食パンで挟んで揚げるだけならば間宮にもできそうだ。それから、カレーコロッケ。チーズも入れる。揚げものばかりではよくない、鶏とパプリカをカレー粉で焼いてみようか。
 視線を上げる。神様は微笑んでいる。急に見透かされているような気がして居たたまれなくなった。人間の心中など、神様にはお見通しなのかもしれない。

「案ずるな、間宮。わたしたちには神具が――魔法瓶がついているだろう」

 お見通しなわけはなかった。それならばとっくに、このひとは間宮のことを無礼者だと見放しているだろう。いや、不敬も思慕も受け入れる懐の深い神様なのかもしれない。とりあえず魔法瓶は神具ではないし、魔法瓶にカレーを入れたが最後もうカレー専用の水筒〈カレー筒〉としか生きてはいけなくなることを、一度思い知ったほうがいい。かわいそうでしょうが。

2019/2/25

#夜とパプリカ #短文

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