空気穴より遠い場所 / 夜とパプリカ
街へ出て、久方振りにシネマを観たら年甲斐もなく涙が止まらなくなる。神様にまつわる映画であった。
幼い時分、私は酷く涙腺の弱い子供で、まあ涙腺だけではなく腕っぷしも口喧嘩も弱かったのだが、それでよく友人や友人ですらない子供や姉や動物に泣かされていたのだ。もうすっかり人生で流す涙の総量に達してしまったと思っていたのに、感傷は草臥れた成人をいとも簡単に渦中へ飲み込んでしまう。喫茶でしばらく泣いて、それから帰路の電車に乗った。各駅停車はゆるやかに夏を掻き分けて進み、その青と緑のあざやかさにまた涙が出た。
「なんだ、泣いているではないか、間宮。玉葱を刻むときは、包丁をよく濡らしなさいと云っただろう」
なんだか無性に神様に会いたくなって私はカレーを煮込んでいる。かの神様は、加持祈祷でも祭事でもなく特定の供物によっていとも簡単に降臨されるのである。この地に於いては、宅配ピザよりも余程、呼び出しが容易い。
「玉葱のせいで泣いているんじゃあないですよ」
「では誰に泣かされているのだ、誰かに苛められたのか? けしからん、天罰だ」
「天罰って」
「カレーを食えない身体にしてやろう。スパイスに弱く、腹を下してしまうのだ」
「…………そりゃあ、随分な天罰ですけれど」
「…………ちょっと厳しすぎるだろうか、かわいそうだろうか」
「いや、どうですかね」
「おまえを苦しませる者はけしからんとは思うのだ、だがけしからん者にもけしからんなりの慈悲はあるべきなのだ。 わたしは神様だからな。どうだ、カレーのじゃがいもがまこと溶けやすくなってしまい形が残らない、あたりの天罰で手を 打とうじゃあないか」
「はあ」
さすが神様は慈しみ深いものである。肩を竦めながら、カレーを皿によそっていく。
カレーを食べて腹を下してしまう神様を、腹を下しながら涙を流しながらもカレーを喰い続ける神様を、想像してみれば大層惨たらしく可哀想である。それで些か溜飲が下がった。
(私は、私はあなたに泣かされたわけではなくて、あなたのために泣いているのです。これは祈りであり、信仰だ)
声にはならずに鍋の底を浚い続ける。だから、だからずっとここにいてくださいよ、と、そのひとことが言えずにまた、なんだか泣きたくなる。
「…………うん? 今日のカレーは芋が入っていないのだな」
「それはね、天罰です、神様」
2019/8/29
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