雪國ではひぐまはみんなかぶりもの湿った毛布を抱いて眠ろう

「グレゴール・ザムザが毒虫になるなら」矢継ぎ早に言葉を吐いた。「ある朝、先輩が気がかりな夢からめざめたとき、あたしがベッドの上で一匹の巨大な毛虫に変わってしまっているのに気づくこともあるでしょう」
 そうでもなければぴったり閉じた毛布の隙間から、いまにも先輩の冷たい声や冷たいまなざしや冷たい「どつきまわし」が侵入してしまいそうだったのだ。息を潜める。呼吸はやわらかな繭をふやかして、心地好い温度と湿度であたしの身体を包み込む。暗闇の向こうで先輩の気配が動いた。残り香はこんなにも此処にあふれているのに、なんだかとても淋しい。
「ごちゃごちゃ言ってないで」
「…………ぎゃっ!」
「さっさと起きろ」
「さっ……む! さむい! 最低! 人でなし! なまはげ!」
「なまはげは生皮を剥ぐ妖怪じゃねえ」
 とはいえあたしのノスタルジーなんて冷酷無情な先輩に通用するはずもない。生皮を剥がれた毛虫もとい毛布を没収されたあたしは蛹のように丸まってやがて動かなくなる。先輩はほんと害虫駆除がお上手ですねと文句を言いながらようやく上体を起こした。
「あ」
「コーヒーでいいか」
「雪だあ、先輩、雪ですね」
「そうだな」
「国境の長いトンネルを抜けると……ってやつですね。あ、先輩、『こっきょう』派ですか?『くにざかい』派ですか?」
「……引用が多いな、今日は」
「読書の秋、味わわないまま終わっちゃいましたから」
 これからは読書の冬にするべきですよ、一緒に革命を起こしましょうねと豪語しながら、ベッドの下に捨てられた毛布を拾い上げる。コーヒーの香りがこの部屋を包み込んで、ひとつの繭になるまでは。まだもう少し毛虫でいたいので、カフカの話を続けましょう。

2020/12/16

#31 #短文

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