いずものくによりあいをこめて / 夜とパプリカ

 最近見かけないと思ってはいたが、どうやら神様にも繁忙期というものがあるらしい。「てんてこまいだ、全く」と深く息を吐いていたのが、確か十月の終わりのこと。てんてこまい、という些か珍しい語彙も、神様が口にするとなんだか幼児語のように響いて耳に馴染む。これも言霊というやつだろうか。
「やっぱり年末に向けて忙しいんですか? 初詣対策、とか」「それもある」「……あるんだ」カレーの神様にも詣でる民がいるらしい。「この時期はとにかく出張が多いのだ。わたしはさらりいまんか」悩ましげに目を伏せて頬杖をつく神様が、アルマーニのスリーピースをぴっちりと身につけて新幹線で脚を組んでいる姿を想像した。なるほど様にはなっている。けれども彼のことだから、ぱたんと折り畳めるテーブルの上には駅弁ではなくカレーが乗っているのだろう。隣り合わせたくはない存在である。

 そうか、神在月だからか。神様は今頃出雲国で、カレーに想いを馳せながら神様仲間議論でもしているのだろうか。おたまを片手に思い起こしながら、カレンダーに視線を遣る。これから年が明けるまでは、しばらく神様にも会えないだろうか。そう考えると何故だか寂しいような気もした。普段は持て余すばかりのあの人に、たったすこし会えないだけでこの有り様だ。都合がいいなと自嘲する。
 かたん、玄関先で音がした。
 薄く戸を引くと、神様が倒れている。
「か、カレー……」「み、 水、みたいに言わないでくださいよ」久方振りの再会はそんなやりとりで始まって、しかし私はただしく呼吸をできていることに酷く驚いた。ああこれは安堵だ。私は神様が恋しかったのだ。自覚するといたたまれなくて、駆け足でカレーを注ぎに行く。もっとはやく作っていればよかったですね。「神様」そうしたら、もっとはやく、会いに来てくれたんですか。「神様、もしかして」 右手にカレー椀を持って左手で戸を引くと思いきり抱きすくめられた。春風のような匂いがする。
「神様、もしかして、出雲から飛んできたんですか? カレーのために」
「違う。カレーを一緒に食べるひとがいないおまえのためだ」
 余計なお世話である。春風はすぐに冬の温度と、カレーの匂いに融けて消えた。

2018/12/5

#夜とパプリカ #短文

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