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幹を割らない愛しかた――ソウリ

 ソウリでは花まつりの季節だと云うので池のほとりまで足をのばした。ソウリはおおきな「くぐり池」のまわりをぐるりと囲むようにドーナツ状に栄えている街で、ドーナツのそのまたぐるりは広大な梅林になっている。春になるとそのみごとな梅を鑑賞するためにほうぼうから鑑賞家や研究家や賛辞家がやってきて、いやあ今年も紅い、こちらは紅いがあちらは白い、いやどちらもうつくしいと議論を交わすのだ。
 わたしもいやいやうつくしい、まことにうつくしいと賛辞家のまねごとをして、梅の花をあちらこちらから眺めてみるものの、視界の端ではついつい出店のほうをちらりちらりと覗いてしまう。食べ物につられてしまうのはもう治しようのないわたしの悪癖だ。
 あちらこちらを歩いていると、研究家の男と親しくなった。曰く、白梅と紅梅の違いは花の色だけではなく、枝を切ったときの木目の色で判別するらしい。紅梅は木目も紅くうつくしいので木材としてもすばらしいのです。紅い花を咲かせる白梅も、白い花を咲かせる紅梅もあるのですよ。彼は紅梅(或いは、白梅)の紅色の花をやさしく弄びながら云った。
 傷つけて内側を見てみないとわからないなんてにんげんみたいですね。口走ってから、はははと笑われたので、ありきたりなことを云ってしまったなとすこし恥ずかしくなった。「そうですね、紅いうつくしい花を咲かせる白梅は、紅梅になりたいのかもしれない。或いは、白梅である自分に気づいてほしいのかもしれない。でもそれは結局、幹を割ったところで、同じですよ。その人がその人であることを愛しているなら、白も紅もいとしいあなたに他ならないんだ」そうですね、ほんとうにそう。またありきたりな言葉だけれど、今度はつよくたいせつに云った。彼は笑って頷いた。
 幹以外にも白梅と紅梅を見分ける方法はあるんです。男は続けながらすこし悪戯っぽく笑う。「梅の実の味ですよ。白梅の実は甘くてほんとうにおいしい。おひとつどうですか?」そう云っておもむろに梅の実のクッキーを取り出す。もちろんわたしは社交辞令的な遠慮もそこそこにそれをいただいて、あとからはじめからそういう作戦だったのかもしれないな、と300えん分軽くなったお財布とクッキーを交互にみつめながら考えるのだった。クッキーを売るためのお友達も悪くない。
 クッキーは包装してあったのでポケットに大事にしまって、出店でたい焼きを食べた。つぶあんと、梅あんをひとつずつ。紙コップに注いでもらったほうじ茶がほどよくぬるくておいしかった。たい焼きの皮もぱりぱりしていて好みの薄さである。
 梅あんを頭からかじりながら、これも白梅の実でつくっているのかな、と考えつつお茶を含む。人を傷つけずにその人のことをわかろうとするのは、むつかしい。おいしいね甘いねすっぱいねで通じあえない人たちのことを、それでもいとしく思うのは、ふしぎだけれど、幸福だ。たい焼きをたいらげたのでまたふらふらと梅を眺めに戻る。今度はしょっぱいものがたべたいな、と視界の端ではやはり出店を覗いている。

2018/2/27

#サンタ・クルスをたずねて #短文

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