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尾羽をゆらす春の風――キュース

 ブラン・リリー急行は、25階の停車場に停まった。長旅をともに歩いたショート・ブーツでゆっくりとステップを降りて、すり減った靴底を労るように、かかとを揃えて立つ。臙脂色の車体が遠ざかっていくのを、どこまでも見送った。この駅は高度があるから、過ごし慣れたあの愛しい急行列車が、ちいさなちいさなあずきの粒になるまで遠く下っていくのがよく見える。この街を離れて、また次の街をめざすまで、しばしのお別れだ。
 視線と、トランク・ケースの車輪とを90度回転させて、わたしはキュースの街を見上げた。キュースは、成長する街である。ブラン・リリー急行が、線路を継ぎ足して横にどこまでも伸びていくように、キュースは常に最上階で資材を継ぎ足しながら、縦にどこまでも伸びているのである。
 駅舎の掲示板には今日の日付とともに「92階」と書かれた紙が貼り出してあって、どうやらこれがいまの高さらしい。この場所の、およそ4倍近くも高いところで、ひとびとが暮らし、さらに空を目指している。その途方もなさにしばし驚いた。ふたたびおおきく首をまげて上階を見上げれば、薄灰色の石が几帳面に積み上げられた街の外壁が、目も眩むほど遠くまで続いている。ここからは上層階は見えない。この街に滞在しているあいだに、どこまで上に昇れるだろうか。はたまた、下に降りてみようか。無計画のわたしのあたまのなかにたちまち観光の天使と休息の悪魔(あるいは、時にその逆)があらわれて、やいやいと好き勝手に意見を言っていく。そんな時間も、旅の醍醐味だ。

 天使と悪魔と案内板、それから腹ぐあいと大いに話し合ったわたしは、ひとまず、すこし上層の28階へと向かうことにした。たった3階、上に昇るだけではあるが、ブラン・リリー急行に甘やかされた運動不足のわたしの両脚は、たちまち枝を仕込んだように硬くなる。「這這の体」という言葉がよく似合う姿で、つまりほうほうと息を吐き、てい、と勢いをつけながら、わたしは28階へ降り立った。
 駅舎のある25階と景色はそう変わらないと思っていたが、その駅舎の赤い屋根がすこし低い位置に見えて、なかなか眺めがいい。外壁と同じ、薄灰色の石でできた道のあちこちに赤い花が飾られていて、簡素ながらもかわいらしい街並みだった。

 さて、キュースの28階には、風見鶏が暮らしているらしい。
 高さのある建物を造るためには、風向きや風の強さを正確に把握することが、非常に重要になってくる。それを生業にした伝統ある職業が風見鶏と、鶏守だ。風見鶏が風を見て、鶏守が風見鶏を見る。シャーロック・ホームズにワトソンがいるように、風見鶏の横には鶏守がいて、いつも助け合っている。
 南向きの壁沿い、バルコニーのように開けた風見部屋に、彼らはいた。風見鶏は、赤いとさかがうつくしいめんどりで、鶏守は黒い瞳がものうげな男性である。鶏守はわたしを一瞥して軽く会釈をし、すぐに風見鶏に視線を戻す。風見鶏はわたしを見ずに、まっすぐに風上を向いている。どちらも仕事熱心だ。わたしは彼らの仕事の邪魔にならないよう、すこし後方で見守ることにした。
 風見鶏のもっとも重要な仕事は、もちろん、風の吹く方角を知らせることである。向かい風に赤いとさかをなびかせ、胸を張ると、花の香りを含んだ風が風見鶏の羽毛を撫で、尾羽を揺らす。風向きが変われば、尾羽をついと傾けて、常に風上に立派なくちばしを向ける。通行人はそれを見て、ああいまは南風だね、すこし風がつよいようだね、素敵な尾羽だね、とおもいおもいに風見鶏に声を掛けていく。
 それから、1、2時間おきに、あたたかなたまごをぽとりと生み落とす。これはすぐさま鶏守がそうっと拾い上げて、籠に積んでいく。この風見鶏のたまごが、28階の名産品で、わたしがこの階を訪問したいちばんの理由でもある。うみたてのたまごは濃厚で、それはそれは味わい深いのだという。
 いっぽう、鶏守の仕事は、その名の通り風見鶏を見守ることである。風見鶏が身震いをすれば寄り添い、日差しに首を竦めれば水を飲ませる。ごはんとおやつを用意し、砂浴びをさせる。尾羽の揺れるおしりを、やさしく撫でて毛並を整える。
 凄腕の秘書のようなその心配りにわたしがすっかり感心する頃、時刻は正午になっていた。どこかで鐘がなり、風見鶏が風見台から降りてくる。ぽとり、とまたたまごを生むと、鶏守の横におしりをつけて丸くなり、ふくらんだ鶏むねに首を埋めて目を閉じた。お昼寝の時間のようだ。
 鶏守も、しばし休憩時間である。風見鶏を一度撫で、席を立つと、簡易キッチンの小鍋に火をかけてから、思い出したようにわたしを見た。
「たべますか、あなたも。ゆでたまご」
 ぜひよろこんで、と元気よく応えた。風見鶏が一瞬眼をひらいてわたしを見て、また眠りについた。

 支度を手伝って、ともに食事をとることになった。鶏守のお昼ごはんは、まず、ゆでたまご。高菜で巻いたおむすび。根菜がたくさん入った作り置きのお味噌汁。わたしはブラン・リリー急行で買った残りの、ツナサンド。ゆでたまごとお味噌汁を分けてもらい、恭しくいただいて、お返しにとっておきの干しほたてを振る舞う。これは急行の中でおやつにいただいていた保存食だが、ごはんにも合うのである。鶏守もわたしと同じように、恭しくそれを受け取った。
 うみたての風見鶏のたまごを水から火にかけて、12分。さっと冷水で冷やして、それでも猶ほかほかと湯気を纏うそれを、丁寧に剥いていく。殻がすっかりなくなると、つやつやのゆでたまごの完成だ。わたしはその立派さにしばし見惚れて、隣では同様に、鶏守も見惚れている。「何度見ても、見飽きることはないですね」すこし照れたようにはにかむ彼の瞳は、正面から見ると、ちっともものうげではなかった。それに気づくことができて、わたしはなんだか嬉しかった。対話をし、ともに食事をすることで、すこしだけ彼のことを知ることができた。
 香草を混ぜた塩をふり、おおきく口に頬張ると、ぷるんと弾力のある白身の中から、濃厚な黄身が顔を覗かせる。とろりと流れ出しそうで、流れ出さない、ちょうどよい半熟ぐあいだ。いままで食べたなかで、いちばんおいしいゆでたまごだ。わたしがそう言うと彼はまたはにかんで言う。
「いちばんすてきな風見鶏ですからね」
 その言葉に大層同意して頷いた。当の本人である風見鶏は、あいかわらず鶏むねに埋もれたまま、心地好さそうに眠っている。午後からはまた、お仕事の続きだ。彼らの働きぶりを見ながらわたしも、明日からの旅程を立てる仕事に取り掛かろう。

2024/1/28

#サンタ・クルスをたずねて #短文

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