東京備忘録

東京在住30代、夫・7歳の娘と3人で暮らしています。(夫婦とも地方出身) 日々の備忘…

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東京在住30代、夫・7歳の娘と3人で暮らしています。(夫婦とも地方出身) 日々の備忘録として活用していけたらいいなと思っています。

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最近の記事

ドラクロワへのオマージュ(敬意)

1864年アンリ・ファンタン=ラトゥールが描いた 「ドラクロワへのオマージュ(敬意)」。 親交のあった画家や詩人が描かれている。 ファンタン=ラトゥールは、画家であった父親や学校で学んだ後、パリの美術館で名画を模写して修行した。 イギリスにも旅し、そこで現地の画家たちとも知り合った。

    • 農民の踊り

      1568年頃、ピーテル・ブリューゲル(父)が描いた 「農民の踊り」。 画家は、同名の長男と区別するため「ブリューゲル(父、または老)」と表記されることが多い。 農民画家と呼ばれながら、友人たちの尊敬も集めた知識人でもある。

      • アンティミテ

        1889年頃、ウジェーヌ・カリエールが描いた 「アンティミテ」。 親密な(アンティミテ)子供の肖像が描かれるのは、主として近代以降のこと。 また19世紀終わりになると、個性的な絵画様式や美学に即した表現を追求する画家たちが現れる。カリエールもその1人。 本作は、妻と2人の娘をモデルにした作品。 カリエール特有のセピア色のもやがかった表現。 日常のありふれた光景が、母子の心の絆という普遍的テーマにまで還元されている。

        • 鉄道の駅

          1862~1909年頃ウィリアム・プエル・フリスが描いた 「鉄道の駅」。 19世紀から20世紀にかけて、鉄道は産業を盛り上げ人々の生活が変化した。 本作はロンドン・パディントン駅にいるヴィクトリア朝の群衆を描いている。 旅に出る人と見送る人、列車に荷物を詰め込む駅員、着飾った女性や子供たちなど。

        ドラクロワへのオマージュ(敬意)

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        • 絵画
          270本
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          5本
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        • 妊婦生活の記録
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        記事

          漁師の女房

          1881年、ヴィルジニー・ドゥモン=ブルトンが描いた 「漁師の女房」。 画家ジュールブルトンの娘。 父親から絵画を学び、父の友人の画家たちの中で育った。 ノルマンディーの漁師やその家族を多く描いた。

          静物画

          リサ・ミルロイが描いた静物画。 1980年代に描かれていた日用品たち。 80年代、ミルロイは静物画のほとんどを1日で描いていた。 「思考と行動を一体化させるために、絵の表面全体が濡れている状態で作業をしなければなりませんでした。少しでも手を止めると、両者のつながりがなくなり、絵が崩れてしまうのです。」(引用)

          トロンプ・ルイユ

          1667年頃、サミュエル・ファン・ホーホストラーテンが描いた 「トロンプ・ルイユ」。 トロンプ・ルイユはフランス語で欺くという意味。 絵画に用いられている時は、だまし絵のことを指す。 こうした錯覚的効果の強い静物画は、17世紀のオランダで最初に制作された。 ホーホストラーテンは、遠近法の法則など様々な視覚的効果に深い関心を持っていた。

          トロンプ・ルイユ

          静物画(花、果実、ワイングラスとティーカップ)

          1865年、アンリ・ファンタン=ラトゥールが描いた 「静物画(花、果実、ワイングラスとティーカップ)」。 ファンタン=ラトゥールは、印象派の画家と同世代であり親しかった。 1863年の落選展(公式のサロン・官展の審査員によって落選した作品を集めた展覧会)にも出品している。

          静物画(花、果実、ワイングラスとティーカップ)

          モデルヌ・オランピア

          1873年頃、ポール・セザンヌが描いた 「モデルヌ・オランピア」。 1865年のサロンでスキャンダルになったマネのオランピアを改変した作品。 第一回印象派展に出品された。 描き方としても当時としては衝撃的なものであった

          モデルヌ・オランピア

          「レヴェヌマン」を読む父親

          1866年、ポール・セザンヌが描いた 「レヴェヌマン」を読む父親。 「レヴェヌマン」は、挑発的な記事を売り物にしていた夕刊で、セザンヌの親友・エミール・ゾラが美術批評を連載していた。 背後には自身の静物画が掛けられており、本作は、父がゾラと自分の理解者になったことを示しているもの。 一代で巨万の富を築いた父が40歳の時、セザンヌは誕生。 はじめは芸術家になることを反対していた。

          「レヴェヌマン」を読む父親

          アシル・アンプレール像

          1867年頃ポール・セザンヌが描いた 「アシル・アンプレール像」。 1870年のサロンに出品された作品。 うわべの美しさを第一とする世間から非難を受けた。 アンプレールは、アカデミー・スイスで出会った画家。 彼の作品が世に知られることはなかったが、セザンヌとは同郷であり友人であった。

          アシル・アンプレール像

          夕食ランプの下

          1899年、フェリックス・ヴァロットンが描いた 「夕食ランプの下」。 手前の黒影が画家自身で、他3人が結婚した妻と連れ子たち。 結婚した年の作品だが暗い。 ヴァロットンは売れっ子の画家であった。 名門画廊の娘と結婚し、決別した旧友たちもいた。

          夕食ランプの下

          ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像

          1872年、アルノルト・ベックリンが描いた 「ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像」。 ベックリンは、 象徴主義 (ヨーロッパ全土とロシアに波及した芸術運動)を代表する画家。 死を意識した作品を数多く残している。 象徴主義は文学から始まり、音楽、美術と広がっていった。 19世紀後半は、科学技術の飛躍的な進歩により、ヨーロッパの人々の生活が大きく変化した時代。 物質主義や享楽的な都市生活がもてはやされる風潮に反発し、人間の内面に目を向けたのが象徴主義の芸術家であった。

          ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像

          真珠の女

          1868~70年頃、ジャン=バティスト・カミーユ・コローが描いた 「真珠の女」。 髪飾りの葉が真珠に見えたことから、このタイトルで呼ばれるようになった。 風景画家として有名だったコローは、戸外で写生できない冬の間や晩年に人物画を描いていて、この絵も70代で描いている。 生前はほとんど人物画を公表しなかった。

          コルネリス・ファン・デル・へーストの収集

          1628年、ヴィレム・ファン・ハーヒトが描いた 「コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室」。 コレクションを自慢する画廊画 。 17世紀初頭にベルギーで誕生したジャンル。 画廊画は絵画の目録として使われていたり、美術品コレクションを自慢するために作られていた。 この絵は、美術品の収集家ファン・デル・ヘーストが、収集室の管理を任せていたファン・ハーヒトに描かせたもの。 絵の中の作品は、今は世界中の美術館で所蔵されている。

          コルネリス・ファン・デル・へーストの収集

          松林の朝

          1889年、イヴァン・シーシキンが描いた 「松林の朝」。 イヴァン・シーシキンはロシアの画家。季節を感じる森林の絵をたくさん描いている。 この絵は元々森林だけ描かれており、他の画家が熊を描き込んだそう。