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愛が灰になる日


東京オリンピックが開催されるはずだったこの年、年号が変わったのはもう1年半も前だということに驚く暇もない。キリストが生まれてから二千と余りを過ごした結果がこれなのかと失望する。

これが集大成だ。政府が国民の血汗涙を犠牲にして手に入れた対価に、多くを失った。彼らの手からこぼれた恵みが、ほんの少し残るだけだろうか。


灰のような毎日を過ごした。

いつもMP3に曲を入れていたほど好きだったアイドル、青春を共に過ごした大好きな俳優、とても綺麗な声で綺麗な歌を歌う歌手、派手な髪をしたピュアな少女、日本中に笑顔を届けてくれた芸人。たくさんの魂はどこにいるのか。大切なものをなくした喪失感はまるで灰のようだった。


2020年9月5日、最愛の祖父が亡くなった。コロナで面会制限があった中、2ヶ月半孤独に闘った。横たわり冷たくなった祖父を目にした時、彼が元気だった頃の記憶が蘇った。勤勉で、毎日何かを学び、自然に関することはなんでも答えてくれる『歩く図鑑』のような人間だった。幼い私は、祖父からたくさんの花や鳥の名前を教わった。本を沢山読む人で部屋は書物で埋め尽くされていたが、病院では読むことさえ出来なくなってしまった。


その日、亡くなる1時間前に面会に行った。最近は元気で会いに行くと話疲れるほど口を動かしていた。肺炎の祖父は呼吸器官が弱く、息の音が邪魔をして 何を話しているかまったくわからなかった。その日は珍しく寝ている祖父を見た。声をかけても肩を叩いても起きなかった。聞こえる左耳を枕につけていたせいだと思ったが、「おじいちゃん、来たよ」と呼ぶと、聞こえるくらい大きな息を吸い込んで白目をむいていた。少し心配だったが寝かせてあげようと「明日またくるね」と声をかけた。 

それきりだ。

私と叔母が帰った30分後、心臓が止まり、そのまますーぅっと、苦しむことなく亡くなったという。看取ることが出来ずやりきれなかった。さっきまで生きていた命だ。意気消沈する中で「私たちが来るのを待ってくれてたんだね」という看護師の言葉は、少しだけ私の心を落ち着かせた。


血液型で人間性を判断するのはあまりにも日本人丸出ししなのだが、祖父はAB型で、とても変わってると言われていた。昔からインスタントやカロリーの高いものを嫌い、母と叔母がケーキを買ってきたときには白い目で見られたという。そんな祖父は私の記憶の中でコーラを飲んでいた。「焼いてくれたクッキーを食べたいけど、血糖値が上がってしまう」と心配しながらも美味しそうに頬張っていた。本当は好きだったのだと思う。

とても口数の少ない人だった。厳格という表現がドンピシャだ。母や叔母を厳しく育て、あまり自由がなかったという。そんな祖父は私の記憶の中で、クリスマスプレゼントに手袋をあげたときには号泣し、毎日付けていた。私が大学に受かったときは「生きてる間に聞けて良かった」と泣いていたし、私が内定を貰ったと言ったときにも泣いていた。

なんだ、本当はとっても暖かい人だ。

今では冷たくなった祖父。あと5日で家に帰れるところだった。私たちが病院に閉じ込めていた2ヶ月間、はやく帰りたい、と泣いていたのに帰ってきた今では目を開けることもない。


祖父はキリストの洗礼を受けていて、何十年間も毎週教会に行っていた。祖父の意向で、教会でお別れをすることになった。明日、大好きな祖父は灰になる。今まで当たり前に愛してきたものが突然形を無くすというのは、耐え難いことだ。それでも愛が行き場を失うことはない。ずっと大好きでそばにいるような気がする。

魂がどこにいても、ずっと幸せでありますように。



大切な人が亡くなったとき、その人に対してどんなイメージが沸くだろう。沢山の考え(イメージ)が浮かぶということは、その分 その人を知っているということだ。私は家族や友達の何を知っているだろう。どんな曲が好きで、死ぬ前には何を食べたいか。箇条書きはどこまで下に続くだろう。浅く広く付き合うのが人生ではなく、深く狭く、誰かの印象に残る人生を選ぶのも、悪くない。



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