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女子大生、書き殴り


文字を書くのは上手くないけど、書き方にルールはない。忘れないうちに書き殴って文字で埋めてやろう





大学3年生の時、案外似合っていると思っていた黒髪は、今では全く似合わなくなった。

わたしはあの時、とても黒髪を楽しんでいたんだな。



思い返してみれば、就職活動は高校2年生から視野に入れていたな。早い方だったと思う。高校2年の夏休み、歯科衛生士と英語科のある大学を、進路の選択肢にした。「英検二級ノー勉で取れたら大学、落ちたら専門」という、この世をナメ切った方法で人生を決めた。

(※落ちたら専門、というのは決して専門学校や歯科衛生士の仕事を見下しているのではなく、意外な方法で進んだ道の方がいつも楽しいことを知っていたからたまたまこの2択になった。けど、頭悪すぎてこのカスみたいな方法)


本当は、そもそも私は商業高校に通っていたから、もっと他にすることがあっただろうよ。稀だと思うけど、本当に資格が取りたくてあの高校を選んだ。簿記はまるで向いていなかったけど。


今考えると高校2年生で英検2級は大してすごくない。だけど、偏差値2のわたしがこの絶妙なラインに賭けたいという気持ちと、歯科衛生士のお姉さんになりたかった漠然とした夢が何故かここでバチり合った。この葛藤は紛れもない私の青春の1ページだった。(?)


高校2年の冬、いや秋。修学旅行の 確か2日目か3日目、英語の先生に「合格おめでとう」と言われた時は、「嬉しい」と思う前に「あー、大学に行くのかも私。スーツを着て黒髪になって面接するんやぁ。」と、まだ染めたことすらない髪を耳にかけながら思った。

「この服とこの服どっちが似合う?」と聞くキメェ女が、一方を選んであげた時「えー。でもこっちもかわいいなー。やっぱこっちにするね」と他方を選ぶように、私も何となく、何となく、英検に落ちててほしかったと思った。

選ばなかった未来も、華やかな世界じゃないと知っていた。でもいつかは実ることも知っていた。その過程を1ミリでもめんどくさいと思ってしまったイヤな自分が蘇って、とてもムシャクシャした。



小都市へ繋ぐ電車の終着地に住んでいる私は、誰よりも多く、ここで生きる人を見た。これより先はないのである。終点でも起きない迷惑クソ寝相のサラリーマン。酔っ払って車内で甘えた声を出すオバさんの集団。真っ黒のスーツを着てるのに何故かスニーカーを履いてる就活生。中学生の時、ふと、あの中の誰かはいつかの私の未来かもしれない感じた。

これはわりと関係ない話。まだ幼かったある日の最終電車、動き出してすぐに眠る母。酔っ払いたちが呻く地獄のような空間で、私の反対側に詰めて座った男がいきなり〈スゴいモノ〉(太字にすな)を出して手を上下に動かしていて、幼いながらに人間の末路を見た気がした。ただひたすら大人になるのが怖いなって思った。トラウマの一部。


時間は平等に過ぎていき、もう気づけば大人になった。絵描いていた理想とはかけ離れたものである。あの分かれ道でどちらの道が今の私の人生に良かったかは、自分が一番よくわかっている。人生の大事な岐路を、変な天秤にかけたことをとても後悔している。こうなる未来を見据えていたくせに、あれだけなりたくないと騒いでいた就活生に、あっさりなってしまった。就活生?いや、彷徨ってる。就活死まであと僅か。社会的に死ぬ。


髪の毛を黒に染めて、同じ色のスーツを着て、面接では覚えたことを自慢大会。まるでロボットのように勝手に口は動き、その場その場で思いついたそれっぽい言葉を並べながら、作り笑顔で勝ち抜いて行く。

就職活動

あぁ、おそろしい。わたしは言い訳しないでおくよ。コロナだからまだ内定がないんじゃない。コロナじゃなかった世界線でも、きっと今もスーツを着ているだろう。

22卒が先を抜かしても何も言わないでおこう。あのとき未来を選んだのは自分で、あのとき制限時間ギリギリまで真剣に英検の問題を解いたじゃないか。

悔やんでるわけじゃない。ただあの時の能天気さに嫉妬している。


毎朝鏡を見るたび、初めて髪の毛を染めた時のことを思い出す。長い間縛られていたルールに解放されて、好みの姿になった自分。メイクを研究すると、案外髪の色は関係ないんだと思った。




ふと電車の窓に映る自分を見た時、とても顔が疲れていて驚いた。あれだけ似合っているかもと気に入っていた黒髪が似合わなくなっていた。あぁ、ついに、”染みついて”しまったんだなぁ。終点まであと何駅だろう。お祈りメールを開ける前、一度駅を降りて、スニーカーに履き替えた。


まだまだ先は長い。




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