侍春の舞台祭りあとがき 演劇批評はオタクの気持ちを盛り下げているのでは?という問い

侍春の舞台祭りが終わり、みんなの話題は夏の現場で持ちきりですが、ちょっと舞台祭りの間に考えたことをまとめられればと思います。


侍舞台祭り中、多くの人がブログで感想を書いたり、ツイートしたりしていました。私は色々なジャニーズの舞台を見ては感想ブログを読み漁っていますが、今回の侍演劇祭は特に文章にまとまった感想を書いている侍担の人が(母数の割には)がには多い気がします。そう言った部分に某現役音大生ジャニーズの影響を若干感じつつ、彼らのアイドルファンが圧倒的に多数を占める侍担というコミュニティの中でここまで「舞台」の感想、批評を文章にして読み合う文化があるのは面白いなと思いました。

色々な感想が流れる故に色々な声も上がっていたと思います。記録のために名指ししますが、「ガースケと桜の子」では作品の内容への指摘が多く、演出家の自作自演アカウント疑惑のアカウントも出てきたり(私個人としてはあれは演出家のアカウントじゃないと思いますが…)、かなりハードに批判されていた印象です。「DADDY」もファミリーミュージカルということもあり、子供が多く観劇していたのですが、子供が苦手な人が嫌な想いをしたという声もやや上がっていました。それ以外の作品についてもネガティブな意見が全く無い作品はなかったと思います。

作品について自分の感想を持つことは自由で、ネガティブな意見を発信することも自由です。ただ、これから見る作品についてのネガティブな意見や、自分が良いと思った作品を「つまらないもの」だと言われてしまうと悲しいという気持ちになる人がいるのも事実です。理屈で考えれば批評、批判の自由はあること、そしてネガティブな意見は見なければ良いという主張は正しいです。正しいですが、それはあくまで理屈の話であって、正しいからといって他者が抱える「舞台を見て楽しかった」という気持ちに水を差したくないという、(理屈ではない)感情も私はあります。「嫌なら見るな」と言われても、私だって今でも好きな作品について自分と異なる意見だと分かっているのにわざわざ見に行って「やっぱり自分って演劇を見るセンスがないんだろうか」と普通に落ち込む時もあります。

では、なぜ私はそれでも作品の感想を文章にして発表するのか。それは「それでも自分が見つけた気持ちを人に言いたいし、他の人の視点も見たいから」に尽きると思います。観劇して、「ここのセリフってこういう意味があったんじゃないかな」とか「ここのシーンの芝居が良かった」とか、そういうことを人に言いたいし、全てに共感はできなくとも他者の視点から見た作品像を知って、もっともっと演劇作品の本質を見てみたいという欲求のために感想を文章にして公開しているのだと思います。つまり、私の観劇批評に関して重視していることは「自分の気持ちを言いたい」ということよりも「みんなの話を聞きたい(だから議論の畑を耕すために自分の意見を提供したい)」なんだと思います。だから、自分用に感想を文章にするのでは意味がなく、わざわざ世界中にデジタルタトゥーを刻みながら自分の意見を発信しているのだと思います。

自分の発言で誰かの観劇する楽しみを奪いたくないという信条と、もっと感想を言い合える場を作って、もっと作品に向かいたいという欲求、どちらにも平等に寄り添うことはできません。でも、なるべく工夫することはできると思います。その中の一つとして、漫才ギャングの感想文を千秋楽後に公開するというやり方をやってみたのですが、千秋楽が終わるとどうしても作品への関心が薄れなかなか公開に至れず…しばらくは試行錯誤しながらになると思いますが良い感じの方法を見つけられればと思います。

なんだか歯切れの悪い文章になってしまいましたが…それでも侍の舞台祭りめっちゃ楽しくて、みんながそれぞれ異なる演出家に育ててもらった成果が見える夏のライブも本当に楽しみです。

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