最初のあいさつ

最初のことば

 私はド田舎の出身で、書店には恵まれず育ってきました。中高生あたりで大型書店が多方面に手を伸ばして潰れてしまい、大型スーパーに入っているテナント以外の書店がない状態でラノベ読者としての道を進むことになりました。

 使えるお金の少ない子供だった私は、趣味に費やせるお金もあまりありませんでした。すでにたくさん刊行されているシリーズを追うにはお金が足りないため、出始めの人気作を買い支えるか、少ない巻数で完結している作品を探すことが通例になりました。ところが、売れていれば引き伸ばし、売れなければ打ち切るという出版社の姿勢は、ライトノベルにも大きく影響を及ぼしています。商業である以上当然ともいえますが、現在におけるいわゆる「なろう系」のような粗製濫造が、あの年代になかったとは決して言えないでしょう。

 そのうちに、私はさして品質のよくない作品に出会うことになりました。最初の頃は見る目も醸成されておらず「つまんないなぁこれ」程度の感想しか抱きませんでした。しかし、大学に入ってアカデミックな視野を身に付け、論評を目にする機会を得ると、これらのライトノベルについて分析すべきだという考えも湧いてきます。結局のところ大学を中退し、ライン工として働くことになった私は、そのうちにある作品に出会いました。

 それこそが『電脳戦姫エンジェルフォース』です。おそらくはなろう系・ラノベや漫画などのレビューの源流にかなり近いところに位置すると自覚している私が、はじめて感想を述べた作品でした。作者が認知しているのかは不明で、かつどの程度このレビューが読まれたのかは不明ですが、これ以降たくさんのラノベレビューが湧いて出てきました。18年産のラノベがあまりにもひどくて同時多発的に発生した、というのが事実だとは思うのですが、いちおう「源流に近い人物」という肩書として、私が原因だろうと妄想しておきます。

 たくさんの感想が出てくる中で、出版社がそういった感想をつぶそうとする、といった流れも起こっていました。上述の『電脳戦姫エンジェルフォース』は二巻打ち切りであり、私の行ったネガキャンが効果を発揮したとされたのかもしれません。あるいはそれとはまったく関係なく、酷評を浴びた作家がやる気をなくした様子を見て、こういった感想を述べるということ自体を封殺しようとしたとも考えられます。たぶんこっちが正解ですね。

 現在では「批判を行った動画が削除される=作者自身が出版社に連絡した」という図式がなかば事実のように語られ、権利者削除はイコールで「作者が認知したうえでブチ切れた」という事実を指すとされています。

 実際にあった事例として「タッチが適当すぎる、漫画家は手を抜いているのか!?」といった批判について、いくつもの動画に削除の申し立てを行い、ある動画だけには申し立てを行わなかった、というものもありました。投稿者が元漫画家志望として真摯に向き合ったからか、とも思えるのですが、具体的な問題点を仔細に語られなければ自らが受ける誹りの意味を理解できない、という認識の甘さをも露呈しています。上のような意見は、はたして「個人を指した誹謗中傷」であると考えられるのでしょうか? 太さが均一でない、メニュー通りの具がそろっていないラーメンについて、「店はこれでまじめに作っているつもりか?」という怒りは正当でないと考えられるのでしょうか。どのように思うかは、クリエイター個々人の創作に対する態度によるでしょう。こちらの知ったことではありませんが、金を出した客が「真面目にやれ」という権利はあると思います。

 これら事例について、あるいは品質の低いライトノベルについて、私はこのように愚考しました。「作者の能力が低いことは事実だが、そのことを強い言葉で非難したり、(一部の例外を除いて)人間性について追及したりすべきではない」。自分の仕事ぶりを評価されることはいくつになっても緊張しますし、俺はがんばっているつもりだ、という認識もあるでしょう。そこで、本人のレベルに合った指摘が必要だと考えました。

 むりにかっこ付きで述べた「一部の例外を除いた人間性」という言葉について、私は、反社会的な思想や倫理・道徳規範から著しくかけ離れることをよしとしていません。そのため、歪んだ倫理観や都合よく変わる道徳観が強い非難を浴びることは、じゅうぶんあり得ることだと思います。

 具体的に、ストーカーを行う主人公がヒロインに群がるナンパをはねのける、などといった展開はとち狂ったダブルスタンダードです。これは一般の倫理規範にのっとって考えれば、とうてい許されることではありません。しかしながら、「深い関係にあるならば同じ空間で過ごすのが当然である」「ヒロインを守るのが主人公の役割である」といった文脈を誤読した場合、このような展開が描かれる可能性はあるでしょう。このきわめて危険な認識は正される必要があるため、このような展開を描いた作者が強い非難を浴びることは、その後も創作活動を行うのであれば必要だと考えるべきです。

 上に挙げた愚行をわずかでも世間様のために役立てたく、私はライトノベルを読み、いくつかの視点を大事にしたレビューを行おうと考えています。理由として、新人を大量に入れまくって、伸びるかどうかは本人の能力次第……という鬼畜生のごとき現在の出版社の方針は、あまりにも冷たすぎると思うからです。

 ぶっちゃけ、まともな新人教育マニュアルが存在しない会社なんて絶対に勤めたくありません。それでも作家という夢を追って業界入りするのなら、誰かしらが見てくれていてもいいのでは? とも思います。そこで私が余計なお世話をしよう、などという愚行を書き連ねているわけですね。必要かどうかは知りませんが、プロに助けが必要ないとは言い切れない状態が続いているように見えます。

 自ら学び取れない人間は腐るだけだ、という考えはうなずけるところもあります。しかし、明確なメソッドが定まっていなかったり、誰に質問すれば答えが返ってくるのか分からない疑問であったりは、解決が難しいものでしょう。あるいは当人の自覚しない問題点が解決されないまま、業績不振で業界を去るというのは、当人以外にとっても納得しがたいことであると推測できます。「俺って才能あるのかな!?→売れないから打ち切り、次回作を出すモチベも尽きる」なんて、悲劇以外の何物でもありません。

 そのため、私は以下のルールに基づいてライトノベルのレビューを行うことを決めました。なお収納場所がないため、文庫本のみを対象とします。

・刊行から半年以上が経過し、続刊の刊行が絶望的、あるいは四巻以内に打ち切られたことが明確にわかる作品を扱う。
・上記のような作品をいくつも打ちだす作家については、追跡調査を行う。
・可能な限り、読んでいる最中に感じた問題点の解決策を提示する。
・作者の能力を考慮し、実行不可能であると判断した方策は提案しない。

 刊行から半年という期間を設ける理由は、「レビューを行うこと≒宣伝活動」という考えによるものです。負の意見を述べることによって売り上げが下がり、その結果として作品が打ち切られることは望んでいません。出版されたということは、ある程度の利益になるという信用を得ているわけですので、それが阻害されることは由々しき問題です。実際に、アニメ化を控えた作品を酷評するレビュー動画が削除される、という事件も起きています。コメントは控えておきますが。

 そして、作家の能力を考慮するという点も、非常に大事だと考えています。いくつかの業種を経験して、「できないことをさせる」ということが単なる無茶だということはよくよく承知しています。私は点字を読むことができませんし、オーケストラにマグロの解体をさせようというのは、意味不明を通り越してただのバカでしょう。文章の素養や語彙について、そもそもその能力を高めていない、現在はその水準へ到達していないというのであれば、提案は無意味です。文筆家ならと思わないでもないのですが、「素人を拾い上げて即戦力にする」というビジネスモデル上、どうしても発生は避け得ないことでしょう。

 そのため、取り扱った作品の中で、私が指摘した箇所以上の問題点がいくつも見つかることはあるでしょう。このアラサーの男性の価値観が完成されているともいえず、プロフェッショナルでもないため、見落としは多々あろうかと推測されます。そのうえで「ここについて、現段階では容易に解決できない」とした問題は、ごく簡単に述べるか、まったく言及しないことを先に述べておきます。

 次回は『電脳戦姫エンジェルフォース』について当時書いたレビュー、それに付け加えて現在における感想を投稿する予定です。その後は新たに登場した研究資料について取り扱い、作品の問題点にからめた創作の要点や、かんたんにできるトレーニングを紹介しようと考えています。

 出版社と争いたいわけではない、ということだけは述べておきまして、最初のあいさつを閉じたいと思います。

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