『Vtuberってめんどくせぇ!』について

『Vtuberってめんどくせえ!』烏丸英2022/3/30 株式会社KADOKAWA(ファミ通文庫)
・いらない
・だいたいやり方が決まったジャンルで先人のやらかしを繰り返す愚行
・寄ってきそうな客を愚弄し、非現実に逃げたい人に最悪のリアルを見せる最低なやり方。エンターテインメントとして読むことはできない
・センシティブな話題を取り扱っている自覚がまったくない
・所長のリスクマネジメントの稚拙さ、見通しの甘さを強く感じる。「男入る→ユニコーン激怒」から「女性Vと絡め」ってあんまりにもバカすぎないか?
・ネットの汚らしさだけが妙にリアルなのに、キャラクターの設定にまったくリアリティがない。マイナス感情や悪意ばかりに偏りすぎ
・発狂VSチンピラというクソ以下のレスバ。これが面白いorカッコいいと思ってんのか?
・作者は何を見てVtuberを好きになったのか今一度考えてみてほしい。失言による炎上や関係の決裂が「好き」につながったのか?
・世界が閉じすぎていて、まったく作中世界の広がりを感じられない

 タイムリーな話題()ですねって言っただけで内実を知るファンはキレそうなのですが、それをさらにひどくしたような作品です。だからタイトルで釣った客をバカにするなって言ってるだろ……かなり最初の方からユニコーン(女性Vが男性Vと絡むのを嫌がる視聴者のこと。かなりキツい表現かつ誰も幸せにならないので使わない方がいい)いじりが入り、こういうものに付いて回る悪意が執拗に強調されます。ラノベのメイン読者層とユニコーンってそこそこかぶっていると思うんですが、どこに売るつもりだったのでしょうか? そうでなくとも何度も「ネットユーザー手のひらドリルかよキッモ」みたいな文言を繰り返すのは絶対にマズい。
 家を追い出された主人公が、女性Vを多く抱えた事務所を経営する叔母に拾われてデビューしたところ「女の花園に男入れんな」と炎上した、というのが物語の始まりですね。この叔母のバカさ加減は名状しがたいものがあり、このように自社の抱えるタレントの売り方を分かっていなかったり、炎上が続いているのにコラボ配信をさせようとします。素直にママ(Vtuberのデザインなどを担当するイラストレーター)だけやって、経営はほかに任せた方が上手く回ると思うな……。感情論で動くであったり対応マニュアルが確立していなかったりといった面が目立つので、経営者としての能力不足を強く感じます。
 主人公のキャラクター像も、オタクの考えた「カッコいいオレ」って感じであんまり刺さりませんでした。なんか俺ならもっとうまくやれたIFみたいなうすら寒さを感じてしまいます。炎上への対応というところで見ると正論ぶっぱチンピラなので、所長の無能さと大して変わらない気がするのもポイント。地の文で言ってることが作品全体にブーメランをぶっ刺している点も見ものです。「人が何かを嫌いだと言っている様子は不愉快」だそうですね……ああ、そう。
 異常なほど悪意に満ちた世界であるという点も、個人的にはたいへん不愉快なところでした。主人公やヒロインの出自自体が暗すぎるうえ本筋とほぼ関係ないものですし、閉じた世界の狭い関係、つまりは「主人公だけがヒロインを救い出せる」という状況を作り出すためにしか思えないんですよね。以前にも言った通り私はそういうのが大嫌いなので、状況作りの下手くそさも相まってかなりのストレスでした。
 十人かそこらのVを抱えた事務所のはずなのにほかの配信者との出会いすら描かれず、まあまあうまく行っている程度の情報しか分からないのは、非常に納得感の薄いところでした。大看板の名前くらい出てもよくない? 同じハコのVと絡めないのは配信での話であって、収録帰りの人と話すとか先輩がアドバイスくれるとかがあってもいいと思います。歪んだ一対一じゃなくて、素直に推せる身近な関係をくれ。
 上でいくつも述べたように、奇妙に歪められた世界や関係性がひどく目に付きます。設定をひとつ決めて、そのあとすべてをそれに沿う形で作ったとしか思えませんね。これもまた夢小説だと考えるしかないクオリティなので、品質が低くなるのはもうしょうがないかなと受け入れるしかないのでしょうか。
 最後に、あとがきの「これを読んでVに興味持ってほしい」というのは無理だろうなという感想を叩きつけておきましょう。すでに誰か推してる人しか読まないだろうし、その方々が自分たちを揶揄・侮辱しているとしか思えない本作を読んで面白いと思うわけがありません。そうでなくとも悪意に満ちた炎上や独りよがりなウザ絡みを見て「Vtuberっていいな、こんな世界があるんだ!」ってなると思ってるんですかね。
 クリスマス前に潰れかけたり、カップル配信で盛り上がってるところもあるようで、事実は小説より奇なりという言葉が染み入りますねえ。なろうのVRゲー配信の方が圧倒的に面白いんで、クソリアルなんていらないといういつもの感想しか出てきません。取材しても、エンタメとして情報の取捨選択は忘れてはいけないってことで……はい。


 この研究を投稿した日時は、たしか12/26くらいでしたっけ……「チキン冷めちゃった」という、界隈では有名なコピペになぞらえて「タイムリーというにはやや不謹慎ですが」みたいなことを言ってるわけですね。
 こういうことを言うのはあまり良くないとは思うのですが、私個人の思想として、私は「怪人になれなかった人間」を見下している、ということをはっきりと表明しておきます。別に「変身できねーのかよ、だっせーなw超能力使えんとかマジ?w」と言いたいのではありません。自分の悪性から目を背け、その存在を否定するために正しさに固執し、誰かの持つ悪を執拗に否定することは果てしなく醜い、と思っているだけです。それってお前のレビューじゃね? って言われたら否定はしにくいですが。
 小さいころから浮きまくりの変なやつだった私は、あれこれのトラブルから怒りを募らせておかしくなりました。医師の診断を受けていないので自称ですが、軽い発達障害のようです。まあそれはそれとして、器質的なところから発生したそれは、伸びた枝葉のひとつまでも異常であることは確からしい、と気付くことはできました。いまだに「人間になりたかったな」と思うことはありますが、“怪人”から見ても人間もどきにしか見えないのがけっこういるので、こっちに来てよかったのかなと思っています。
 私の提唱する“怪人”とは、「自分にはこんな悪いところがあったんだなぁ」と気付いた人のことです。自分の持つ悪性をひとつところに形として押し込めて、表の顔を持つ。私にとってそれは、人間に擬態する怪人のようにも思えました。『アギト』からこっち、仮面ライダーはずっと見ているので、そっちに影響を受けすぎているんでしょうねえ……お恥ずかしい限りで。
 自分にはそういう一面がある、ふと出てきてしまうことがある、だから、それを含んでこそ成り立っている自分は怪人なのだと考えると、かなり楽になると思います。君も怪人にならないか?

 冗談はともかくとして、基本的に人は「悩みから解放されたい」と考えていると思います。そうでもなければ、宗教なんて生まれないんじゃないでしょうか。自分だけで考えるのをやめて外側の何かに方針を決めてもらうこと、これはとても楽だろうなと思います。そういう指針のひとつに“正義”があります。宗教よりも大きな力を持っていて、誰にでも受け入れやすい考えなので、ある意味でカルトですね。
 なぜ正義が危険なのかというと、もっとも強く思考をマヒさせるからです。ここでちょっと言葉として言っておくと「正義」とはお題目のことで、「正しさ」とは客観的な事実のことです。ある程度正義に見切りをつけた怪人の立場として、あのドン引きするほどすさまじい中毒性は強く警戒したいと思っています。正義と正しさを混同して目が曇ると、人はすごい速度であさっての方向に駆け抜けていくようになります。そうなったらおしまいですね。
 また、“正義”を否定すると、その正義を掲げる人々はしばしば、「お前は悪なのか!? 悪なんだろ!」というとんでもない極論に走ります。すべてを二元論で説明できるわけないでしょ、というツッコミはまた別のものとしても、思考が鈍った人は自分たちの正義以外を信じなくなってしまいます。正義とは正しさのことではないし、正義こそが悪である可能性もいちおう考えておいてよいと思うのですが……リーダーが集団を操作するためにお題目を掲げると考えると、そこの責任は取れる状態にしておいてほしいなと思います。
 どうしてこんな話を長々としたのかというと、この作者さんの掲げる正義が「悪を倒すものこそ正義なのだ!」とかいう、ものすごく子供っぽいものだからです。どうやら特オタっぽいので、そういう価値観に育つのもやむなしかなぁ、とやや哀れみに近い目で見ることもいちおうは可能ですね。仮面ライダーとプリキュアは見てるらしいのにスーパー戦隊には詳しくなさそうなのも、ただ力の正義に酔いしれている感を強調しています。いやな言い方をしますが、「外側に悪を作って排除し、自らの正当性を強調する」ってやり方、先鋭化してくファシズムとかそっちにしか見えませんよ。
 そもそもVtuberのお話になんで正義が関係あるの? と思われるかもしれませんが、この『Vtuberってめんどくせぇ!』という作品、ジャンルはラブコメなのに、ネットの誹謗中傷と戦うお話なんですよね……。ウェブ原作のレビューや感想を見る限り、のちのちではしっかりラブコメをしているようなのですが、出発点がおかしいなと思ってしまった以上、私は素直に楽しめないのではないかと懸念しています。そこまで読まないけど。


 この作品の内容をかんたんに紹介するのなら、「ホロライブに俺がいたら○○の炎上止められてたはず! ○○とCPもコラボもできてた! って感じの夢小説」あたりでしょうか。○○の中身はなんとなく想像できますが、皆さんの推しで好きに代入してください。
 私は推しのVがいないのでにわか仕込みの知識ですが、ホロライブという事務所は男女をはっきり分けて売り出していて、男女でコラボすることはないそうです。そういう女性をおもに売り出す事務所に主人公が加入し、デビュー即炎上した、というのがあらすじなんですが、悪意に晒されるにしたって誘い受けにしか見えないんですよね。
 想像してみましょう、「ジャニーズの新しいグループ『cLOVEr』(実在したらごめんなさい)は男4・女1で逆ハー状態だゾ! みんな応援してね!」という謳い文句があったとします。その女性は、既存の女性ファンから「わぁー、私もあんなふうになりたーい!」と言われるでしょうか? まったくそのようにはならず、それこそ生命の危機に瀕してもおかしくないと思います。それまでの事務所の実績と、それについてきているファンがいるのなら、需要に反した行いに反発があるのは当たり前だと考えなければなりません。
 ワンマン経営で周囲を振り回す所長は、なんかいいこと言ってるようで今一つ伝わらない、妙なセリフを言っていました。以下に引用します。

「Vtuberに限った話じゃないが、ああいった活動をする人間ってのは眩いくらいの光と漆黒なんて表現すら生易しい闇の両面に触れるもんさ。うちのタレントたちはみんな、配信ではキラキラした自分を見せているが、その裏では何百倍もの苦労や困難に直面してる。厄介なファンへの対応、配信企画の準備、謂れなき誹謗中傷やアンチやなんやらかんやら……本当、バーチャルは面倒な世界だよ。でも、あの子たちは全員、そんなものに負けてへこたれてはいられない。誰もが憧れ、応援したくなるような存在にならなきゃいけないっていう、強い覚悟があるからだ。でも、だからこそ……あの子たちには、誰にも見せられない闇の部分に寄り添ってくれる誰かが必要なんだと、私は思うんだよ」

「そして、それはあの子たちを応援するファンたちも同じだ。夜空に輝く星座が綺麗であればあるほど、それに手を伸ばすことを躊躇う人間だっている。この小さな携帯機器の画面の向こう側にいる存在が、宇宙の果てにいるように感じられるような……強い光に自分の中の闇を暴かれることを恐れて、立ち止まってしまう人間だって山ほどいるんだ。私は、そんな人間の弱い部分に寄り添ってやれるような誰かを欲していた。煌びやかな世界で、たった1人だけ燃えて、火だるまになって、ボロボロになったとしても負けずに歯を食いしばって立ち上がれる誰かを探してたんだ」

「違う。【CRE8】はアイドルの事務所なんかじゃない。全力で今日を生きる人間を応援し、そいつらの明日を創り出すための活動を行う場所だよ。現に今、うちでVtuberとして活動してる奴らには、変えたい今があって、なりたい自分がいる。私はただ、そいつらの熱に惚れ込んで、そいつらが自分の手で明日を創り出す光景を間近で見たいだけなのさ。偶々、1期生全員が女だったせいで、ファンたちも何か勘違いしてるみたいだが……【CRE8】の本質は、理念は、そういうものなんだ」(同P149~151)

 うーん、わからん。最初のは「有名人は人気に比例した数のアンチがいて当たり前」ってことでしょうか。あとふたつに関してはマジで意味わからんです……最後のセリフはまあ文字通りかなと思うのですが、真ん中のはなに、どういうこと??
 比喩をできる限り直接的な表現に置き換えると「Vtuberが人気であればあるほど、ファンになることをためらう人間もいる。彼女らも人間なのだと実感できないほど、人気にストレスを感じて、ファンになりたくないと思う人もいる。そういう逆張り勢のために、炎上しても不人気Vtuberを続ける人を探していた」……ということでしょうか。
 最後のワンフレーズに関してはVtuberとファン両方にかかっているように見えるので、「逆張り勢を客にする+タレントたちのストレスを和らげる」なのだと考えられます。たぶん作者は前のセリフと併せて「タレントを救える人間が欲しい」と書きたかったのだと思いますが、言い方が変なので「逆張り勢も客に加えたい」みたいな文脈のノイズが入っていますね。ファンの話はしなくてよかったというか、不快なバイアスや解読困難な言い回しが混入しているので、比喩表現使わなくてよかったんじゃないですかね。
 所長の言いたいことはおそらく、「社の方針を明確にするためにも、これまでとは毛色の違う人材を取り込みたかった」という意味なのだと思われます。しかし「人気にストレスを感じる」というのはどういう意味なのでしょうか? 文脈から察するに「アンチになる」を意味するように見えるのですが、相手が人気だからアンチになる、というのはどういう文脈・意図で述べているのでしょうか。

 こういうところ、展開やストーリーの端々に見られるのですが、この作者さんはものすごくマイナス方面にばかり目を向けがちです。有名人にはアンチがいる、それは事実だとは思うのですが、なんで最初からそっちでお話を作るの? って疑問はどうしても出てきます。
 一般小説であれば、「芸能界の裏は真っ黒なんや!」みたいなノワールはままあるものなので、そういった流れに乗ったお話ならギリギリ納得できます。しかし、Vtuberものというジャンルとは少々食い合わせが悪いというか、ライトノベル読者/Vtuberファンという読者層を考えると、そういうものを読む人は少ないのではないでしょうか。
 ジャンルとしてVtuberものを読むときに求める体験って、ファンがVtuberに求めていること=キャラが醸し出すその場のノリを楽しめること、だと思います。そういう意味では、主人公に特筆すべきものは何もありません。炎上の火消しに必死でほとんど配信ができておらず、ひたすら正論マシーンに殉ずるつまんない人間なので、まったくと言っていいほど魅力がありません。正論なんてどこでも聞けますし。
 なぜ「正論に魅力なんてない」というひねくれた主張をするのかと言うと、正論とは正義の話で述べた「外付けの判断基準」のひとつなので、なんにも考えなくてもいいからです。それに、正論はごく単純な正解そのものであると考えられがちですが、つねに正論に基づいて行動できるわけではありません。「ガンになるかもだし、たばこやめたら?」と言うのは簡単ですが、やめさせるのはかなり難しいと思います。
 このような困難に対し、提言だけで解決を見るのは、それを言われてすぐさま解決できた人物がすごいのであって、言った人物がすごいことにはなりません。すでにある正解を引っ張り出してくることなど、誰にでもできるからです。主人公に求められる解決力とは、上記の例に則って言えば「付きっ切りでたばこをやめさせた実績」であって、「たばこをやめろと提案したこと」ではないんですね。独力で解決したんならその人の手柄でしょ、人さまの手柄を奪ってんじゃないよ。
 加えて言えば、重苦しい過去から出てきた主張も「誹謗中傷はやめようね!」という教科書めいたもので、露悪的な言動からだんだん牙が抜けて同情を誘うような態度になっていくのもなんだか情けなく見えました。私はサウザーよりキルバスの方が見てて楽しいって思うタチだし、キャラらしい結論が出ないのもマイナス点ですね。
 私は、基本的に「主人公の主張=作者の主張」であるとみています。そういう意味でも、炎上を収めるためにチンピラ口調で中身のない正論を述べる、というのが余計に「俺が○○の炎上を止めたIF」みたいに見えるんですよね。ここがおそらく人気の第一の要だと思われるのですが、ヒロインの境遇が作為的で降りかかる悪意も誘い受け状態なので、主人公が炎上を止めること自体に説得力がありません。

 そして、作者がこの主人公に魅力を与えるために行ったことも、かなりの悪手だと考えています。作者が行った魅力を与える措置は、大きく「ヒロインを救い出すこと」「つねに正しい立場にいること」「悪を倒すこと」の三つです。こう言ってしまうと、ちゃんと主人公っぽいことをしているし、長々と述べた「正義の危うさ」のようなものも感じないのではないか、と思われるでしょう。ところが、物語を追っていくと、舞台があまりにも狭すぎて、わざとらしい箱庭感が強く感じられてしまいます。そのせいで作者の意図が濃く匂いたち、どうしても鼻につくんですよね。
 まず「ヒロインを救い出すこと」について、このヒロインの檻のような苦境が、まるで主人公と結ばれる以外の選択肢を完全に封じているかのように見えてしまいます。
 物語の必然性はとても大事なので、「事実上それ以外の選択肢がない」状態は、どんなお話にでもあります。夏目漱石の『こころ』だと、ひとつ屋根の下に女性がひとり、そこに男二人がいたら取り合いになるでしょうし、出し抜き合ったかと思えば浮ついた方が恋を叶え、堅物が自分を恥じて死ぬことも、なるほどそうだろうなと考えられます。
 しかし、いじめを経験して女性恐怖症になり、よその女性Vtuberにしつこく絡まれて倒れ、主人公が助けに入ったところ「関係を隠していたのか」と炎上させられ、よその人がさらにヒートアップする……ヒロインの苦境がここに至るまでの過程がぜんぶおかしいので、ところどころ納得できても「いや、でもここは違うよな?」と思ってしまいます。
 ヒロインに降りかかったものの半分ほどは、主人公の炎上の飛び火です。ジャニーズに女/ホロライブに男と例えた通り、主人公の存在自体がまず前提として間違っているので、このねじ込み感がなくならない限り、そりゃ炎上するだろとしか思えません。問題のうちかなりの割合が自分で持ち込んだものなのに、それを解決していい顔されてもね。ワンマン所長もまともなマネージャーを雇わないし、助け舟を出すのに炎上中の自分の名前を出すシーンについても、展開に必要だからわざと火に油を注がされているのだろう、と考えてしまいます。

 そして「正義の側に立つこと」についても、むごい境遇から立ち直り正論マシーンになったというだけなので、私が最初に述べた「怪人のなりそこない」以外の何物でもありませんね。
 ヒーローの前には、さまざまな考えを持った敵が現れます。最初の方は単純な悪が出てきて倒せば終わりですが、終盤に向かうにつれて一見正しそうな思想を持った敵が出てくる、というのがこういった物語にありがちな展開です。なぜ正しそうなのに悪になるのかは千差万別ですが、だいたいは大きな犠牲を前提とする救済を打ち立てようとするからだと思います。
 こういったタイプの敵キャラは、悲惨な境遇から思考が凝り固まってしまい、それ以外のことを考えるのをやめた状態にあります。ほとんどそのまま、この主人公の状態ですね。ヒーローはさまざまな考えにぶつかり、しかし自分の抱える使命のために進み続けなければなりません。つまり、おおまかな方針があっても思考停止はしていない状態でい続ける必要があります。ヒーローもので言われる「前作主人公っぽい感じ」というのは、方針がきっちり固まったうえでそれに基づいた対応策をすっと出せること、だと思います。
 こう考えると主人公は、考えることをやめて正論だけ言う「正義っぽい人」、あるいは日和見主義者なのではないかと考えられます。ここまで考えて、どうして私がこの主人公を好きになれなかったのかがよくわかりました。先ほども言った「正論なんて誰にでも言えるから」が、短く伝わる明確な回答ですね。矢面に立って戦っているようで、実際は無敵の盾を持っているので、苦戦する余地なんてどこにもありません。勝ち確定の状態でしか戦えないことを情けなく思わないんでしょうか。

 最後に「悪を倒すこと」については、はっきり言って、ジャンルと合わないのではないかと思います。作者がこれまで見てきたコンテンツにはそのようなストーリーが多かったのでしょうが、Vtuberが戦うことになるものの幅は非常に狭く、重苦しいストレスを読者に与え続けることになります。
 作中で起きた事件としては誹謗中傷が関の山で、それらへの対処も配信からBANされておしまいなので、なにもすっきりしません。「怪人がライダーキックで爆散する」という描写には、単純に画面に映らなくなるだけではなく、原因が取り除かれたことで今後同じ被害は起こらない、という文脈が含まれています。指摘を受けたのか思い至ったのか、ウェブ版では一巻の話のすぐあとに「セクハラDM野郎が逮捕される」というエピソードが挟まっていました。いやまあ、うん……うん。
 絡んできたよそのVtuberをやり込める展開も、しょうもないレスバなので、見どころとは言いにくいなと思いました。ウェブ版の感想でも「なんで相手の土俵に降りるの?(→感情をぐわっと出す方がいいかなって……)」と言われてしまっていますし、人同士の対話ではなく、正義と悪の激突を描きたいんでしょうね。


 下手な作劇として、読者のストレスをひたすらに煽り立てたうえで敵をやっつける、という方法が散見されます。仮面ライダーでいうと、今でも大きめのしこりを残している『ドライブ』の仁良とか『ゼロワン』の天津とか、あのあたりでしょうか。ああいうやり方をすると、読者にはストレスの方が多く残ってしまい、差し引きでマイナスになってしまうことがあります。この作品もそうでした。
 つらい境遇やストレス展開を盛り込めばかんたんにドラマを作れますが、多く「悪役はなぜそんなことをしたのか」「この解決ですっきり終わったのか」という疑問を生みがちです。ととのうためにめちゃくちゃ暑いサウナに入ってくれよ! ってお願いされても、熱気でぶっ倒れたりそもそも暑いの苦手だったりする人のことを考えてない、みたいなものでしょうか。
 防衛機制における「投影」、つまりこの作品でいうアンチや絡んできたVtuberをやっつけてスッキリ! というのは、現実逃避のひとつです。それも、どちらかと言えばマイナスというか、現実から目を逸らすぶん、状況がちっとも良くならない可能性の方が強いと言えるでしょう。これが「やったれー!」だのと応援されることには、社会の病理を感じずにはいられませんね。
 どれだけ態度が悪かろうが周囲から嫌われようが、正しいことさえすれば認めてくれる人がいる、なんて道徳的なメッセージもいちおう伝わってきますが、ねえ……総合点を評価してもらうときに、減点要素は見逃してもらって一点突破で合格できるなんて思ってるんじゃあないかな、なんて目を向けてしまいますね。通るわけねーだろ。


 さてさて、ここからはロールプレイ的に、怪人としての意見を述べてまとめておきましょうかね。
 僕はね、誰の描いたものでも、絵を見るのが好きだ。幼稚園児の描いたそれでも、本人の感性や将来性なんかを観測できる。どこにこだわりを置くか、周りに何を描くか。大人の描いた抽象画もなかなか面白いし、線や色の配置から「絵画」以上のものが見えてくる。僕は、それを参考にして“人間”を学んでいる。
 もちろん、文章もそういう学習材料だ。だから読むし、分析する。そこから見えてくるものがいわゆる「人間性」で、私が面白いと思った作品は「いい人間」が書いている、と感じられるものだった。作者がこれまで積み上げてきたものが感じられるのが、いい作品の条件だと思う。
 この作品から積み重ねが感じられないかと言えばそうじゃあないんだが……別の例え方で言おうか、私は選手が何を食べたかではなくて、その筋肉の仕上がりと実績を知りたいんだよ。スポーツ選手と同じもの、同じ量を食べて同じ成績を出そうとするやつがどこにいる? 胃袋の大きさも基礎代謝も違うんだ、そんなもの知っても仕方ないだろう? だから僕は、どこをどう鍛えればいいのかを知りたいんだ。
 これを読んで見えてきたのは、君がニチアサばっかし観ていて、Vtuberに対しても妙なひいきをしている、ってことだけだった。同じものを摂取している人間は多かろうが、そこからの発展性がいっさい見られない。ごく普通の家庭料理を食べて育った青年が、お茶漬けしか作れないなんて事例は、ありふれているんだけどね……それでいいと思うのなら、こちらから言うべきことはないが。
 君はいまだ消費者のままで、狙って何かを作り出すことには成功していない。人間になれなかったものから言えるのはそれだけだ。せいぜい努めるがいい、日和見主義のヒーローもどきでいいならね。

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