『電脳戦姫エンジェルフォース』についての雑感(2018年版)

タイトル:「電脳戦姫エンジェルフォース」
著者:箕崎准(みさき・じゅん)
出版社:SBクリエイティブ株式会社
出版年:2018/09/30 初版第一刷発行(……と書いてあるが、発売日は09/15なので恐らく誤り。買って読んだ日付は2018/09/16)
 
あらすじ:
《エンジェルフォース》……それは人々がフルダイブして楽しむ仮想世界《NOAHノア》内で発生する凶悪犯罪と戦う美少女部隊である。
 主人公の和泉勇人いずみゆうとは、そんな彼女たちが追う「とある事件」から生き残った結果、腕を買われて部隊にスカウトされるのだが――
「って、なんで俺がこんな格好をしなきゃいけないんだよっ!」
「可愛い女の子だけのチーム、ってことになっているからよ」
 ――それは、“女の姿になって”仮想世界の平和を護るということで!?
 おまけにメンバーの一人・姫毬ひまりは勇人の剣技に興味津々。早速決闘を申し込んでくるのだけど……!?
 究極のVRMMOBFバトルファンタジー登場!
 
 
 
 ……久々にブチ切れてしまった。
 ワナビ諸君、あなた方は「俺の小説って、イラスト付けたら売れんじゃね?」と思ったことはないだろうか。いくつかは本当にそうだろうと思っている。イラスト映えする描き方や映像映えする表現、文字だからこそすごい表現、文章でなければすごいと思えない、もしくは漫画のセリフでも書かれているときはかっこいいのに映像にするとアホかと思うくらいダサかったり――(グールの鯱さん、あれは許せん)そんなのはありふれている。
 じゃあ、逆に「これイラスト付いてるから売れてるだけじゃね?」=「本当に出版できるレベルに達しているのか?」という疑問を覚えたことはないだろうか。これまでにもこういったことを書いてきたような気はするが、いやいや、これはひどすぎた。
 文芸部という部活動をした私には多少の心得というものがあって、それなりに書き方を分かっていたり、基本的な文章作法は叩き込まれていたりする。いや、まあそれはほとんどの場合どうでもいい。出版作家は校正もされているもので、目立った間違いなどないものである。ならば問題はその先だと、だれもが察したことだろう。一人称なのか三人称なのかよくわからない文章だが、そこのところは大した問題ではないので放っておこう。
 つまらないとは言わない。問題はさらに先にある。……先と言おうか根幹と言おうか、設定やら世界観がアレなのだ。
 いわゆる「なろう系」が批判される理由は展開にあるとされているが、私はそれに併せて(多く提唱されている意見の借り物ではあるが)前提知識がインストールされた前提の世界観をほんの少し変えただけで多用し続けることにあると考える。
 例えば、どこの世界でも「ゴブリン」=「醜悪な小鬼」であるのはそれに影響を与えた偉大な作品があるからだが、それにしたって借り物が多すぎる。例えば「転生」とは何だろう? 「VRMMO」は? 「チート」とは何か? 「ドラゴン」とは何で「エルフ」とは何なのか、だれもが知っている。なかなか異常な状況なのだが、流行りものを追うこと自体は悪いことではないと考えている。私だって同じことをしているので、安易にブーメランを投げられないのだ。
 問題は、それらが安易に使用されることである。
 日本人は引く力で切るほうが切りやすく、だから日本のノコギリは引くときに切れるようにできている。同じようにナイフを使用することは非常に危険なのだが、達人がやっているのを見て素人がやってしまうと――おそらくケガをするだろう。設定について考えていない人を見るとやはり分かってしまう。設定の背景というものがまったくうかがえないのだ。少しでも背景を用意していればそれはおのずと語られだし、物語に深さ、そして広がりを与え、背景に色がついていく。物語とはそういうものなのだと私は考えている(できているとは言ってない)。
 似たキャラがいて地の文では非常に見分けにくかったり、言葉の使い方がアレ(はっきり言って下手くそ)だったり……今回はこの「言葉の使い方が下手」に焦点を当てていくことにしよう。
 文芸部に所属していたときのこと、私は「戦闘シーンでは、こういう言葉じゃなくて」という指摘を受けたことがある。まったく平常の文章と同じであり、アツいバトルになっていないと怒られてしまったのだ。ここに、それがかなり高水準で行われていると筆者が考えるものを引用しておこう。
 
 
「それはなんの変哲もない、トラブルもない、とある土曜日。
 日本本土からは約数千キロの彼方。絶海の扶桑諸島、扶桑学園島。よく晴れた、ゆるゆるとした昼下がり、その端っこにある百華の家にて――。
《学園》ぶっちぎりの問題児である叛逆少女、ふかふかのソファに深紅のフリルドレスをちいさな薔薇園のごとく広げて寝転がり、最高級の絹束のような髪を気まぐれにさらさらと流して仰向けで少女小説を読んでいた新宮百華が、なんとはなしにといった感じに「――ねえ、零」と口を開いた。」(10ページより)
 
 通常のシーン、というか書き出し。ヒロインのイメージカラーやだいたいの性格もつかめる文章になっている。
 
 
「撃った。
 それでもその蛇はとっさに回避行動をとったのかもしれなかったが、加速しすぎていたのと、なにより百華が右手から撃ち出した真っ赤な光線が一条ではなく十数条にわかれ不規則な螺旋を描いて走ったためにかわせるはずもなかった。前方の蛇は瞬時に全身を焼き尽くされ、焦げた肉片となってばらまかれ、すぐにただの土くれへと変わって海面に落ちていった。琥玲子の〈イモータルファイア〉を見たときも零は、これはもう個人用の武器などではなく兵器だな、と感じたものだが、そんなレベルですらなかった。」
(244ページ)
(上引用、『叛逆のドレッドノート②』岩田洋季・株式会社KADOKAWA 2014/10/10)
 
 戦闘シーン。基本的に「漢字、かたい言葉を使う」のが緊張を伴うシーンのルールだが、この作者においてはひらがなを使いたがる癖があるようで、すべてがそうというわけではなかった。ちょこっと読んだだけでも「あ、これは相手死ぬわ」と思える。
 
 
 
「なじみの商店街のなじみの魚屋の前まで来て翔一は立ち止まった。
 陳列台にずらりと並んだ色とりどりの海の幸を見回していると自然と顔がほころんでくる。
 翔一は自分を呼んでいる魚を探すこの瞬間が好きだった。
 鯖と目が合い、鯖が笑った。
 これだ、と思い鯖の口に小指を突っ込む。
 間違いない、小指を通して鯖の声が翔一の全身に伝わってくる。
 おいらはうまいぜ、そう鯖が言っている。
「おじさん、この鯖三匹ください!」
「さっすが、目利きだねえ。今日は鯖が一番のお勧めなんだよ」
 魚屋の大将はいつも翔一の目利きぶりに感心し、いつも同じ質問をくり返した。
「でも、魚の口に指突っ込んで何かわかるのか?」
「はい」翔一の答えはいつも同じだった。
「魚がおれの中で泳ぎたがってるんです」
 
(中略)
 
テーブルの上に翔一の手料理が並んでいた。
 ホウレンソウの和え物、ホウレンソウのお浸し、キャベツの浅漬け、白味噌を使った大根の味噌汁、そして白飯。
「じつはもうひと品あるんです」
 もったいつけて差し出したのは大皿に盛った鯖寿司だった。
 青い薄皮の下で桃色の鯖の身がとろりと脂を滲ませて光っている。酢飯の匂いが爽やかな風のように心地いい。」
(49~50ページ、55~56ページ)
 
 ごく普通の日常。野菜多めの健康に良さそうな料理も出てきて、いざ食事。そこまで長い文を使ってはいないのだが、料理は非常においしそうである。
 
 
「変身っ!
全身の筋肉の蠢きとともに周囲の水が沸騰して無数の気泡がわき上がった。
 肌の色が深い緑に染まっていく。
 涼は異形の野獣――ギルスへと変貌を遂げた。
両足の踵に力を集中すると、そこに備わっている鉤爪が鋭利な刃となって突き出し、一瞬にして触手を断ち切った。
苦痛の叫びをあげるようにオクトパスロードの口から大きな気泡が溢れ出る。」
(154~155ページ)
(上引用『小説 仮面ライダーアギト』岡村直宏・講談社2013/1/31)
 
著作権どうなのかなと思ったので途中までしか引用していない。緑の戦士、仮面ライダーギルスの戦闘シーン。わりかしあっさりしている。こちらに関しては読者のイメージに負うところが大きく、すでに存在する作品を視聴していなければ理解は難しくなるだろう。しかしながら伝わるものは伝わる。
 
 
 
 こんな感じである。ひらがな表現(ふわふわやわらかな、おだやかな木漏れ日……など)や優しい表現が使われる日常に対して、漢字が多く、時間で言うとほんの一瞬が攻防の都合でいくらでも引き延ばされるのが戦闘シーン。今回取り上げた「エンジェルフォース」はあまり上手だとは言えない――はっきり言っておそろしく下手な部類だ。
 ……ヒロインの初登場時、すぐ横にイラストがついているからか名前以外の紹介がいっさいないことに気が付いてしまった。マジかよおい。
 こういった「ビジュアル依存」はイラストが付いていないものでもよく見られる。髪の色が何色で――と言えばすぐ「ああいうキャラね、なるほどね」と理解されるであろうと考えているのだろう。実際のところ借り物にすぎないため、オリジナリティのかけらもないというかビジュアルの表現として最低である、と私見ではあるが述べておく。
こういった「キャラクターデザイン・イメージカラー類型」(自分で名付けたつもり。すでに研究されているなら、そちらを参照していただきたい)については大学時代に研究しようと思ったことがあったのだが、研究を始めて少ししてから大学をやめてしまったので研究できなかった。単純に研究材料とするはずだったライトノベルとかコミックを買うお金がなかったので、やめなくてもできたかどうかはわからないが。
 基本的に「勢いがある」文章はちょこちょこおかしかったり、技巧を無視するためにおかしな指摘を受ける。これから私が行うことも同じなので、おそらく読者にとっては煩雑な分析かつ私は邪魔者でしかないことだろう。また意味が想像できたり、人によってはおかしいと思わない表現もあるため、ここに挙げたものの中でも「使えるんじゃね?」という声があればぜひ聞かせていただきたい。
 
笑い方
「天使のような笑み」「可愛らしい笑み」「にっこりとした笑み」
 
ほか
「横脇腹」「誰もが一目で西洋人だとわかる容姿だ」
 
 まあ、(横脇腹を除いては)ぎりぎり使えそうである。ここに突っ込むのは筋違いというもので、いやらしい粗探しの部類だろうとは思うのだが、もっと先に行くと――つまり文章のレベルになると、受け手にかなりの力を求められるひどいものが出てくることになる。
 最後の戦闘、決めシーンを引用してみよう。
 
「頷き合う、ユートとヒマリ。
 二人は揃って地面を蹴って、ヘルズナイトに襲い掛かった。
「はぁああああっ!」
「うおぉおおおっ!」
 ヒマリとユートの二人は、体勢を取り戻し、武器を再生しようとするヘルズナイトの身体に、青と赤――二人の魔力が籠められ、威力を増した、激しい光を放つ剣で、続けざまに斬線を描いていく。
 そんな二人が描いた×印によって、ヘルズナイトのライフはゼロになって、後方へと倒れていった。」
 
 
 
 まことに申し訳ないが、決めシーンとしてかっこ悪すぎる、と言わせていただく。クソ以下のなろう小説しか書けないゴミにそんなことをいう資格はないのだが、あえて言う。これは映像にならなければとうていカッコよく見えず、文としても表現しようとした(のだろうと私が読み取った)映像が出力され切っていない。
 赤と青が交差して斬線を描き、ちょうど二色の「X」ができたところで相手の抵抗が止んで後ろへ倒れていく、という流れなのだろうが
 
「続けざまに」→何度も切っているのか?
「×印」→えーっと、その……えーっと。
 
 ――と、こんな感じである。ヘルズナイトが登場してから一回も体力ゲージの話をしていないのに「ライフがゼロになって」と言い出したり、……いや、私が気になるのは、そしてこれを書きだした主目的はといえば「×印」である。これはひどい、あまりにもひどすぎやしないか。私が書いたってもう少しうまくやる、と思える(売れるとは言ってない)。
 最初から続刊確定(世界観や登場人物が出きっていないので、おそらく)であったり声優が決まっているのかと思わせる表現を見つけたり(さすがにこれは邪推だろうが)、もしやアニメ化企画なのかと思ってしまうが……まあ、映像になれば面白いのかもしれないし……うん。
……ああ、言い忘れていたが。
 このライトノベルの売りはエロである。よって文章にこだわる意味も、戦闘にこだわる意味もまるでない。要するに合わなかったというだけのこと、私の怒りはまったく理不尽なものなのだ。安易なエロを量産している(主人公の妄想も混じっている)のに、それ以外の要素をないがしろにしている辺りがちょっとこれどうなんだよと思ってしまった。
 
 
 
 これ以上の批判は差し控えて、同じ作者である『ハンドレッド』(アニメ化された作品)を二巻まで読んでから頭を冷やしたいと思う――いやちょっと待った忘れてた、アレ、アレである。アレなのだ。
 アレウスとかアレキサンドロスではなく、アレ=世界観の話である。
 どうやら意図的に隠されているようで細かなところは出てこないが、それにしたってひどい。私の小説並みだ(読んだことない人にはわからない話で申し訳ないが、なろう底辺レベルだと思ってほしい)。リアルなところがコンビニで買ったご飯くらいしかない、というあたり大変困ったものである。そういうところではなくエロにリソースをつぎ込んでいるので――いや一巻だからたぶん控えめ、すると帯に短し……あれ? 擁護しようとしていたのだが。
 仮想世界《NOAH》についての情報がかなり分かりにくいうえに、サイバーなのかファンタジーなのかいまひとつはっきりしない。おそらくイラストの衣装のせい+終盤でミサイルポッド出したりするからだろう。ファンタジーを標榜しているのに世界観全体はサイバーに近く、衣装もサイバー寄りファンタジー、ちょっとよくわからない。ちぐはぐなところでさらにちぐはぐな言葉や設定が出てくるせいで、出来の悪いつぎはぎにしか見えないのである。
 まあ、ここまでひどく書いたらみんな買って読むか買わないかに分かれるだろう。遠回しな宣伝というわけではないが、新しいシリーズを周知する助けになれば幸いである。
 繰り返して言うがこれは宣伝ではない。私はこの本を買ってたいへん後悔しているし、読み直したいとも思わない。売っ払えばすぐに忘れて、もっと面白いラノベを探す旅に出ることだろう。礼儀として本を踏みつけたり投げたりしないようにしてはいるが、面白くなかったという感想を言うに際して資格が必要だと考えてはいない。これは私見であるため、まったく何の参考にもならないことを付記しておく。
 
 
 
※個人の感想です。これを参照して適当なことを言わないよう、意見を述べる際は中古でもいいので買って読んでからにしましょう。好きな作者が出てきたときはぜひ新刊を買いましょうそうしましょう絶対に。

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