🔳宇宙の理に学ぶ(6)

「我を折り」
これは実に難儀だ。
少し内容は異なるけれども、ここ東西、様々な賢人とされる方達が、強い「我」から来る弊害を解説してあり尺度を変えた注意⚠️を主張されている。

「我」自体、僕は絶対悪ではないと思う。「我」は、ある意味で他と自分を区別するものである。それに只々「我」なくば「白痴」とまでは言わないまでも、善良なダマサレ人になるだろう。

「我」は他から自分を守る大切な側面もあり、自分を自分として在り続けるものでは無いだろうか?

ここで改めて読むと「我を折り」だ。「我」をしっかり持った上で「我」を折り、禅問答では無いけれども「我を残して我を捨てる。」。こうして初めて汚い筈の「我」は光るのでは無いか?

と訳の分からぬ事を書いたけど、小難しい話はせずとも、「我」の強い人と接すると、社会的立場の高低に関係なく疲れる…。

デイール・カ-ネギ-も「人を動かす」の中で、言葉は違うけど、他人との交流で「我(という言葉は使って無いけど)」を相手一歩譲る対人関係の有効性を説いている。

まぁカ-ネギ-は、人を自分の有意に動かす手段として紹介して来ますけどね。

まぁ「我」を折る第一段階は、謙虚さを旨としては人と接し、自分が話す以上に相手の話を聞く。こう云う対応をしていて失敗はない。

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