豊かさは不幸?
幸福論的に、次のような言葉はよく聞くものである。
「君は不幸と言う。だが君はインフラは整っていて、三食もありつけ、スマホも見れて、あらゆる娯楽が低コストで味わえる。今も尚戦争を行なっている国に比べれば遥かに恵まれている」
これはその通りである。
最近になって日本もインフレしているが、それでも国としては相当に恵まれている。にも関わらず、幸福度は低い。日本ではここ二十年くらいで多くの人間が虚弱になった(正し上位層は逆に強くなった)
国民が虚弱しているのは何も日本だけではないらしい。アメリカ人もまたそうみたいだ
アメリカ人といえば、細かいことは気にしない、大雑把だが快活な性格をしているという偏見を持っている人もいると思うが、最近は違く、神経質で、自分と違った意見を言われると我慢がならないらしい。(あくまで伝聞だが……)
少なくとも現代人の虚弱さは豊かになったから、ということに思えてならない。あまりに豊かすぎるのも問題なのではないかと思うようになった。「現代は豊かなのに多くの人間が苦しんでいる」というのはむしろ「現代は豊かだから多くの人間は苦しんでいる」という方が正しいのではないか。
もちろん、あまりに貧し過ぎるよりは何十倍もマシだろう。明日の食事にありつけるかすらわからなかったり、いつ殺されるかわからないような環境にいるのは絶対避けなければならないが、豊か過ぎるのも考えものなのだろう。
豊かさというのは要するに自由であるとかなり同義である。だが大半の凡人は有り余る自由を得てもどうするか途方に暮れてしまい、ただダラダラと過ごすようになった。戦わなくなった。むしろある程度貧しかった昔の方が、金を稼ぐという外圧があり今あるような自由は許されなかったから逆に良かったのかもしれない。もちろん自由を享受できるだけの能力の持ち主は無類の強さを発揮しているが、それは少数である。
人間には器というものがある。
自分の器を超えるお金を手に入れると碌なことに使わず逆に不幸になり破滅する。
自由についても同じことが言えるのだろう。器より遥かに少ない自由は苦しいが、器を上回る自由もその人間を苦しめ、場合によって破滅させてしまう。
過ぎたるは及ばざるが如し
国が豊かになることは必ずしもいいことではないみたいだ。少なくとも豊かすぎることは