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AIに仕事を奪われた書評ブロガーになるか
読んだ。
生成AI好きとしては、実に都合のよい絵師だなと思ってしまう。ここでいう「都合のよい」とは、生成AIの登場に対してこう対応すべきだろと思う通りに動いているということだ。それも反AIが目立つ絵師で。
つい「こいつ分かっているな」と言いたくなるが、しばし待て。この都合のよさゆえに疑う人も多いからだ。
元のnoteが真実を言っているのか釣りなのかを考えるのは不毛である。なぜなら確かめないようが無い。それに俺は絵師界隈について疎いため、どれくらいありえる話なのか検討がつかない。もちろん増田の指摘にしてもそう。門外漢が匿名の見解をどうこう言ってどうするというのだ。
なのでもっと意味のあることについて書こう。それは、俺の仕事はAIに奪われるのか、ということだ。俺はこうしてnoteやブログ、それに雑誌で文章を書き、金をもらっている。文章において俺は元noteの人と似たような立場にいるわけだ。
しかも生成AIはイラスト以上に文章を書くのが得意である。本を読むのはもっと得意。今の生成AIの実力で絵師が廃業するのなら、書評ブロガーの方がもっと死にそうだ。
俺は長年、書評ブロガーとして細々と活動してきた。毎月10冊ほどの本を読み漁り、その感想をブログに綴る。たまに出版社から献本をもらったり、アフィリエイト収入で小遣い程度は稼いでいたが、年収100万円にも届かない「アマチュア底辺書評ブロガー」だった。
それでも、本を読んで感想を書くという作業は俺にとって天職のようなものだった。「なんとなく文章が上手い人」として、フォロワーにも恵まれていた。幸いなことに読書スピードは速く、1日1冊のペースで読み進められたから、複数のブログやSNSで同時に発信し、年間300本以上の書評を書いていた。
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人に対し何かをしてあげるという事は、全て「見返り」を期待しての行為だ。noteのサポートは文章を読むための「見返り」である。