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ニコニコ動画とSHIKIさんとGILDIAの話

2007年〜2010年頃は「ニコニコ動画」に入り浸っていた。アカウントを確認するとβ時代に取得していたため、わりと初期からいたようだ。

久しぶりにログインをして当時作ったマイリストを眺めていると、MAD / ボカロ / 東方 / メドレーシリーズ など… 懐かしいものだらけで思い出が蘇ってきた。

これは私の感覚だけど、ニコニコ動画の黎明期は 気の合う仲間だけが集まる文化祭 のような場所で居心地が良かった。いわゆる一般の人達がネットの海に足を踏み入れるまえで、ヲタクか変わったヤツしかいないブルーオーシャンだった。

それから自然と「演奏してみた」を意識するようになり、NicoNico Summer Live (笑) 2008 というイベントを観に行った帰りには「オレもやってみよう!」と一丁前に決意したことを覚えている。とは言え録音はおろか動画編集も未経験だったためゼロからのスタートだったが、やると決めた1ヶ月後には機材を揃え、2008年9月に演奏動画を初投稿するまでに至った。

自分で決めた最低限の礼儀として、ボカロ曲はコンポーザーの方へ連絡をしてから演奏動画をアップするようにしていたのだが、そんなときに出会ったのが「SHIKIさん」だった。

SHIKI

BMS界隈の有名人だとは知らずにボカロ専門の人だと思って連絡していたのだが、嫌な反応もせず快諾してくれたうえ、本人によるミックスも提供してくれて嬉しかった思い出がある。「blue ray」を弾いてみた。

それから2年ほど経った2011年2月に連絡があり「4月にあるライブでベースを弾いて欲しい」といったオファーを受け、バンド仲間としての付き合いがスタートした。

初顔合わせは前任のベースが最後の参加となるライブを観に行った時だった。お世辞にも上手い演奏だとは思わなかったが、同期による演出や厨二マインドをくすぐる楽曲は純粋に面白いと感じたし、これからこのバンドのサポートメンバーとして参加できることを考えると気持ちが高ぶった。

それからスタジオ入りするため 急遽5弦ベースを購入 したり、1週間で10曲覚える… など今考えてみると無茶なスケジュールだったが、SHIKIさんのフォローもあってなんとかライブ当日を迎えることができた。

それからコミケやM3では売り子をしたり、ワンマンライブも3回開催できた。これまでの人生にはない経験をさせてもらえて楽しい日々が続いていたが、2016年1月 池袋でのライブイベントを最後にGILDIAの活動は休止することになった。その理由を深掘りするつもりはないが、第一線のサークルとしてコンスタントに楽曲をリリースしながらライブ活動も継続するのはとても体力がいることなんだな… と近くで見ていて感じた。

サークル活動は休止後したが、年末年始・GW・夏季休暇 になるとメンバーで集まって遊ぶような関係だったし、私が精神疾患による長期療養から復帰できた時は「アケコン持って行くわ」といった感じで格ゲーでボコボコにしてくる彼らしい歓迎を受けたり… ラブライブの映画に行けば特典のフィルムを神引きするミラクルを起こしたり… 月1ぐらいでバズるツイートをしていたり… そういったことが続いていたため、当たり前の日常が急に消えてしまうなんて想像すらしていなかった。

2021年7月 SHIKIさんは亡くなった。真偽を確かめるために連絡したものの電話は繋がらず、焦り狂っていたときにこの訃報が届いた。そのときは事実を受け止めることが出来なかった。しかし悪い冗談ではないことは悟った。最後に会えたのは2021年5月だったため、2ヶ月後の出来事だった。

それから親族のかたと連絡をとりながら2021年11月ごろ訪問できる段取りがつき、GILDIAのサポートメンバーと一緒にSHIKIさんの実家へ向かった。心のどこかで実家で休んでいるだけなのでは… なんてことも考えたが、遺影を見た瞬間… その淡い期待は崩れて私はやっとSHIKIさんの死を受け入れられた。ご家族から聞いた話を私なりに解釈すると、最期まで音楽と向き合って生きた。彼の名誉のためにもこう記したい。

あれから約2年経ったが、忘れたくない気持ちとSHIKIさんへの感謝を残そうと思い、ここに記録することを決めた。最後まで読んでくれてありがとう。


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