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『絵本 筑豊一代』      画 山本作兵衛       原作 大塚 跣       石風社


筑豊に炭鉱があることは、知っていた。この絵も、前にテレビで紹介していたものを、チラリと観た記憶がある。でも、それくらいで、どんなことがあって、何をしていて、、あんまりよく知りませんでした。

炭鉱記録画家の、山本作兵衛さんは、1906年に炭鉱員になって、それ以後、日記や手帳に炭鉱記録を残して行かれた方。

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筑豊炭鉱は、現在の、北九州市、中間市、直方市、飯塚市、田川市、山田市、遠賀郡、鞍手郡、嘉穂郡、田川郡の6市4郡にまたがる、大きなエリアにあったそうです。

今では、完全に閉鎖された炭田での、壮絶な物語は、戦地でなくても、同様な凄まじい現実があったようです。

石炭は、船舶や機関車や蒸気機関車、製塩業に大量消費され、戦時中は、軍艦や工場燃料で使われ、とにかく、狭い狭い石炭坑内で、時には、 12時間も、つるはしで、なたで掘る重労働を課せられたそうです。

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この本の主人公である、伝吉さんは、色んな場所の炭田を渡り歩いたそうです。        炭坑内での事故、暴力、厳しい制度に、働いても働いても、上層部からむしり取られる賃金。

それでも、それでも、伝吉さんは働いて、お嫁さんもでき、子供にも恵まれますが、炭坑内での事故が原因で、奥さんを失い、子供も帰らぬ人に、、、

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時代は移り変わり、石油が世に出回ると、石炭の利用は一気に減っていきました。厳しい労働をさせられることがなくなって、良かった。と、私は読みながら思いました。けれど、小さい時から、炭坑ばたけで働いてきた方にとっては、石炭がなくなることは、悔しくも悲しくもあったようです。

それだけ、命をかけてやってきた事。伝吉さんは、とてもとても真面目な方だったんだろうな。と思います。

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時代の移り変わりが早い今日この頃。

気持ちを切り替えて、その場に応じて対応していくことも、必要になってくるし、でも、大切にしていきたいものは、グッと自分の胸の内に持っておきたい。

画家である、山本さんの柔和なお顔の映る写真から、厳しい時代を生き抜いたからこその、強さと優しさを感じます。

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