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『幸せを売る男』       作 草場一壽        絵 平安座資尚


図書館で絵本を借りる事が多いのですが、今回はお寺の文庫の本をお借りしました。      私の住む糸島二丈にあるお寺、【龍國禅寺】の 敷地内にある、【文庫】は、いつでもオープンであり、もちろんだれでも借りる事ができます。カードなどはなく、A4ノートに名前や本の題名を記入するだけ。龍國禅の方々皆さんは、本がとても大好きで、本と人との関わりを大切にされています。購入した本や寄付された本、色んなジャンルがあります。 

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公共施設の図書館だけではないのです。    図書館には遠くていけない方々の為に、文庫という本と人が集う場所がもっとあれば良いのに。


ある日、”幸せを売る男”が村にやってきました。

村では、畑仕事に精を出すお父さん。それを手伝う子供達。

”今日一日、食べるだけの野菜と果物をいただこう” 手を合わせて、作物を収穫します。     太陽が山から顔を出し、鳥の鳴き声も聞こえる自然豊かな場所。

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幸せを売る男は、”電気も何もない貧しい場所だな。電気を通せば、一日中明るいし、テレビも観れる、楽しく幸せに暮らせるのだよ”

と村人に伝えます。電気を買う為にはお金が要るけれど、木を切って持ってくることで、お金の代わりにすることを言いました。

村人は、テレビから流れる煌びやかな世界に憧れ、服が欲しくなり、都会に出たくなり、お金を稼ぐ為に、どんどん村から離れていきました。

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お金があれば幸せになれる。

お金があれば、好きなものも、好きなこともできる。

だから、朝から晩まで兎に角働きました。   身体と心が病気になっても、、。

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そして、働けなくなり村にかえって考えます。

”私たちは、貧しかったのだろうか。お金があれば、幸せという店で、幸せを買えただろうか。”

村人は、また畑を耕し、日が暮れるまで汗を流します。虫の声を聞いて、季節の植物が咲き香り、収穫の喜びを感じる。出来ることをします。

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私自身も、朝から晩まで仕事をしていました。 若かった頃は、無理をしてでも身体は動きます。生活をする為に、将来のために、何かあったら時のために。

日を跨ぐまで仕事をして、ご飯は短時間で食べる、自分の体と心に目が届くわけもなく、数時間寝て、次の日の朝を迎える。

季節を感じる? クリスマスのイルミネーションがついたから。 テレビでかき氷を食べてる映像を見て、夏だな。と、肌で感じることよりも、誰かの何かからの情報から季節を聞く。ような。

そんな時期を乗り越え、山と海がある自然豊かな場所に住んでいる今は、”何もないけど、何でもある。”  そう思います。 お金がないと生活ができない、のも一理あります。ただ、お金のために働くのは、私たち一人一人の命が勿体ない気もします。


幸せは測れない。

だからこそ、自分の幸せって本当はなんだ?

と考えせられる絵本です。

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