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ミーハー記念日第11回 謝罪したい人〜ゆずさん〜

※こちらの文章はまだ挿絵がない状態の不完全のものです。
「謝罪したい人」

 僕が妹とゆずのライブに行ったのは1999年の12月で、ゆずがそのグループ名にちなんで毎年行っている無料ライブ、通称「冬至ライブ」だった。
 しかし、僕は当初このライブに行くつもりはなく、大学生だった僕の下宿にライブのため田舎から出てきた妹が泊まり、翌日の朝、妹は一人で会場に行く予定だった。
 メジャーデビューから間もなくあの「夏色」という曲で人気が急上昇したゆずの無料ライブということもあって、このライブには特殊な仕掛けがあった。ライブ当日までその会場を発表せず、当日の朝、ファンが電話で問い合わせることでその会場が初めてわかるというシステムだったのである。
 そういうわけで妹が朝早くからもそもそと起きだし、電話をかけて場所を確認している横で、僕は寝ていたのだが、どうも物音が気になってすっかり目が覚めてしまった。そして、今電話で通知されたライブの会場を妹の口から聞き出し、それが代々木公園と、思ったより近かったこともあって僕は飛び起きて妹と一緒にライブに行くと言い出したのだった。



  ここで話はちょっと過去へさかのぼる。そのとき、僕は中学生だった。思春期まっただ中である。だから、それに耐えることが出来なかったのかも知れない。

「上へ参りまっす」
 エレベータのドアがしまり、室内にいる全員が沈黙した。
 そして一同は次の階に到着した。新たに二人連れの老夫婦が乗り込んできた。
「お客さま、何階へお越しですか?」
「屋上へお願いします」
「はい、では上へまいりまっす」
 一同は沈黙したまま、エレベータは僕たちの目的とする階へと到着した。
 そこで僕たち一家、僕と、父、母、妹の4人はエレベータをおり、そのデパートの洋服売り場へと歩きはじめた。そして後方のエレベータのドアが閉まったのを確認したところで僕は父親の尻を思いっきり蹴り飛ばした。
「あいたっ! なにするんだ!」
 痛いはずである、中学生とはいえ渾身の力を込めたキックだった。そして父親を蹴り飛ばしながらも、僕は全くうしろめたい気持ちはなかった。むしろ蹴り一発では足りないくらいだと思っていた。しかし、さすがに父親を蹴り飛ばしては母に文句を言われるような気もしたので、母の方に目をやると母は苦笑しながら言った。
「お兄ちゃん、お父さんを蹴っちゃだめでしょ。でもお父さんもお父さんよ、あんなことして…あんなの子供は嫌に決まってるんだからやめてよね!」
 ここで父が行った行動を当時の僕はどうしても許すことができなかった。
 この日、僕たちが買い物をしていたのは山梨県の中心の、大きいとも小さいとも言えないようなショッピングセンターだった。だから当然その店にはエレベータガールなどというものは存在しなかった。
 そして、本物のエレベータガールがいないのを良いことに、それを演じたのが僕の父だったのである。前述の会話でエレベータ内のすべての乗客を沈黙させた男こそ、我が父なのである。そしてこのエレベータには偶然にも、僕と同じ中学校に通う女の子の一家が乗り合わせていたのだった。自分の親を蹴り飛ばすことは非道徳的なことかもしれない。それでも僕は、この日父を蹴り飛ばさずにはいられなかったのだった。
 こんなふうに父を蹴ったのは僕の人生において今のところこのときのみであるが、それはこの日以来、父の行いが良いからではない。蹴り飛ばすことすら実は火に油を注ぐことになるのだということを、母が僕に対して諭したからである。ああいう人を相手にしてはいけない、とことあるごとに母は言った。家族が怒り、父の行動を阻止しようと勤めれば、父は喜び、さらにはしゃぎ、それを決行するのだと僕に教えてくれた。
 僕にははじめその意味がわからなかった。なぜ相手にしてはいけないのか?なぜ怒っても、止めようとしてもダメなのか。
 しかし、父の過去の経験を思い起こすと、それは的を射た考えであった。

 昔から電車で家族旅行をするようなときにはこの父の悪ノリがとても目立った。まず家族みんなで電車に乗り込み、大きい旅行バッグを棚にのせてあとは出発の時間を待つだけ、というところで父が言い出す。
「腹減ったから、そばを食べてくる」
 待ち時間と行っても実際には5分足らずである。同じホームに立ち食いそば屋があるとはいえ、何も出発ぎりぎりになって食べに行かなくても、というのが家族の意見である。今走り出そうとている電車は特急電車なのでこの駅を出たら他の電車が追い付くことは難しい。
 携帯電話もない時代のことだから、離ればなれになったら、どうやって合流するべきか幼い僕には全く想像もつかない。父の無謀な発言に僕と妹は泣き出さんばかりに不安になった。
 母も怪訝な顔をして父を引き止めている。しかし、父は行ってしまう。
 そしてしばらくして、発車のベルが鳴り、ドアが閉る。
 父はついに僕たちの席には帰ってこない。母が真っ青な顔をしていると、隣の車両から父が登場するのだった。
「おーあぶない、あぶない、乗り遅れるところだったー!」
 僕たちはみんなで延々と文句を言い続けるのだが、父はニコニコしてばかりで、まったく反省する様子はみられない。
 それからようやく向い合わせの4人がけの席に無事4人そろって着席した僕たちが、おやつを食べたり、トランプゲームなどを始める頃には他の団体客もたいてい同じようなことをしていた。しかし、こんなとき、トランプをしながらも父は虎視眈々とどんな風にしてこの場を遊ぼうかと企んでいるのである。

 しばらくして、僕たちの席から遠く離れた別の席で子供のこんな声が聞こえた。
「僕のおせんべ、食べたい人、手ーあげて!!」
 数人の子供たちの中の誰かが、自分のお菓子を手に持ってそのように言ったのだった。そして、
「はーーーい!僕ちん食べたいデーース!!」
 と、まっ先に大きな声で手をあげたのは、僕の父だった。
 言い放ったあとで父はさっと手を下ろし口を押さえて声を潜めた。しかし、近所の席に座る大人たちはその声の主がここにいる中年の仕業だということに気がついているので、苦笑しながらこちらにチラチラと目を向けた。しかし直視してはいけないと考えているのか、まともにこっちを見て笑う人はいなかった。僕も妹も恥ずかしい思いでいっぱいだったが向う側の子供たちにこちらのことがわかってしまうのが嫌なので小さな声で父に注意をした。
 そんなとき、母は突然のことなのでおかしくて笑いをこらえるのに必死である。さらに向うの子供たちが、思わぬ方向から返事が聞こえたことを不思議がり席を立ってきょろきょろとあたりを探索しはじめると、その様子がおかしいのか、父も母もさらに必死で笑いをこらえるのだった。
 そしてしばらくしてから笑いのおさまった母が、父に対して悪ふざけを止めるようにと注意した。いつもの光景である。
 しかしタイミングとは恐ろしいもので、父がそんな注意を受けているそばから再びこんな声が聞こえるのだった。

「あたしの グミ食べたい人、手—あげて!」
「はーーーい!僕ちんやっぱり食べたいデーース!!」

 こんなことを何度もくり返しているうちに、向う側の子供たちもこちらの様子に気が付き、わいわいと近付いて来て僕の父親とお菓子の交換などをはじめる。
 こういったことは旅に限ったことではなく先ほどのエレベータの件のように日常生活の中でもよくあることだった。
 しかし、やはり旅先ではそれが顕著で、旅館などに着くと大はしゃぎの父はますます増長し、部屋に食事を運んでくる女中さんに声をかけ、「他の仕事もあるので…」と彼女が言うのも聞かずに冗談を飛ばしてそこに留まらせ、最後には住所と電話番号を聞き出すのだった。
 幼年期の僕は父のこの、わけのわからない馴れ馴れしさが好きになれなかった。 
 そう、あの頃の僕は将来自分がどんな大人になるのかも想像できずに、ただ目の前の父のずうずうしさのみを恥ずかしく思っていたのだった。



 随分遠くへ来てしまったが、話をゆずのライブに戻そう。
 僕は妹と一緒に街を歩くと、なぜかはしゃいでしまうことが多い。
 冬の寒い日などには、僕はコートの下にわざと自分の父親の、いかにも中年風の冴えないシャツを着込んで妹と一緒に出掛ける。それで僕が「あー、あついね」などと言うと、妹は「恥ずかしいから一緒にいるときは絶対にコートを脱がないで」と言う。
 それで、僕がコートのボタンに手を掛けると本気で嫌がるので、コートを脱ぐそぶりで彼女の反応を楽しんだりする。

 このゆずのライブの日にも、僕は1日中妹をからかって遊んでいた。
 この日のライブは早朝に電話で会場が発表されたものの、実際にライブが時始まるのは夕方だった。そして、チケットが存在せず、誰でも入場できるということもあってゆずの歌を聞こうと集まるファンはかなりの数になると予想された。そういうわけで、僕の妹はわざわざ都内の僕の家に泊まり、朝から丸一日行列に並んで、座席を確保しようと考えていたのだった。 だから、僕が妹と一緒にライブを見るということは、彼女と一緒に一日中ゆずファンの行列の中で開演を待つということを意味していた。
 そして、この日僕の一番の遊びは「ねえねえ、俺って北川悠人に似てない?」だった。
 僕と妹の前後にはゆずファンが何人も並んでいる。そういう場所で僕が妹に対してかなり大きめの声で「ねえねえ、俺って北川悠人に似てない?」という言葉を発すると、たいていのゆずファンの女の子は遠慮がちにこちらを見てファン同士でなにかぼそぼそと話をしたり、クスクスと笑い合ったりするのだった。僕の妹は当然これを猛烈に拒絶し、「似てるわけないでしょー! みんなが見るからやめてよ!」などと愚痴をこぼすのだが、すでに遅かった。ここまでついて来てしまえばあとはこちらのやりたい放題で、ゆずの写真がプリントされたうちわを持っているファンを見つけては「あ、ゆーじんのうちわだ! あの写真、特に俺に似てるなぁ」などと言うのだった。
 ライブ会場周辺ではゆずのコピーバンド(この場合コピーユニットとでもいうのだろうか)をしている2人組がどこからともなく現れ、ゆずの曲を次から次へと演奏していた。
 そして歌や演奏のうまい2人組にはファンがおもしろがって近寄って行き、好きな曲をリクエストして歌ってもらったり、一緒に歌ったりしていた。反対に演奏が下手なために誰も近寄らず、ファンから冷たい視線を向けられている人たちもいた。

 しかし僕はそういったファンから冷たい目を向けられている演奏家たちも決して無視したりはしなかった。非常に驚いた大きな声をあげて、「妹にこう言った。
「おい! 見ろよ! あんな所にゆずがいるよ! おい! しかも歌ってるよ! すげー! なんでみんな寄っていかないのかな! ゆずだぜ! あのゆずだぜ!」
「おにーちゃん、違うから! あれゆずじゃないから! 大きな声で言わないで! 恥ずかしいから!」
 もう目に涙を浮かべて、泣き出さんばかりである。
 やはり妹は母と違って、本田家の男にどういう対応をするべきなのかこの頃はまだまったく理解していなかった。しかし、それに加えて、僕もまた若かった。この頃の自分がとった行動が、あの日エレベータガールを演じた父の行動と、あるいは他人の子供のお菓子を欲した父と、どこからどうみても酷似しているということに、気がついてすらいなかったのである。

 自分の行動が、父のそれと全く同じコンセプトであるという事実に僕が気がついたのは、あの日のゆずの冬至ライブからさらに数年ののち、秋の表参道でのことだった。この日僕はその頃付き合っていた女の子と、原宿・青山一帯のアートギャラリー巡りをしていた。
 彼女は僕が冴えない服で待ち合わせ場所に登場すると「もっとまともな服持ってないの?」などと言うことが多かった。またコートの下にダサい服を来て会いに行くと、「絶対にコートを脱がないでね」と僕の妹と同じことを言った。
 そういった点に関して、僕はかなり彼女のことを気に入っていた。
 しかし、あとになって僕と彼女は結果的に別れを選ぶことになるのだが、この日の表参道での出来事が、僕と彼女の関係に小さな亀裂を作ったことを僕はここで告白しておく。もちろんこれがすべての原因ではないが、この日、秋の風と共に僕の心にもいささか寒気を帯びた風が吹き抜けたのも、ひとつの事実ではある。 
 この頃、表参道にオープンしたばかりのルイ・ヴィトンのショップと、今や日本を代表するアーティストのひとりである村上隆氏のコラボレーションが、注目を集めていた。
 この日、僕たちが見かけた多くの人たちは「村上隆×ルイ・ヴィトン」のバルーンを持っていて、それをふわふわと秋風になびかせながら表参道を闊歩していた。僕と一緒にいた女の子が「きっとヴィトンでパーティかなにかやってるんだよ」と僕に教えてくれた。
 それから僕たちがヴィトンのビルに近付くにつれて、そのバルーンを持った人を一層多く見かけるようになった。そして僕が地上から2、3メートルの所に浮遊しているバルーンに目を奪われているときに、彼女が僕の目を覚ますような声で言った。
「ねえ、ねえほら、あれ、ゆずさんだよ、ほらゆずさんだよ、行っておいで、行っておいで、ほらーミーハーなんでしょ?」 
 彼女が指差す方を見ると、そこにはマネージャーもファンもまわりにいない普段着のゆずの2人がいた。僕が彼らに目を向けたときは、すでに彼らとすれ違ったあとだったので、僕は振り向いて彼らを後ろから眺める形だった。
 そして、それは僕の感覚では彼らに声をかけるタイミングではなかった。でも、僕は彼らに声を掛けた。彼女に強く背中を押されたからだ。
 岩沢さんは少し早足で歩いており、僕が声を掛けたのは少し遅れて歩いていた北川悠人さんだった。
 しかし、彼に声をかけた瞬間、僕は明らかにタイミングを間違えてしまっている自分に気がついた。北川さんは携帯で誰かと電話中だったのである。
 にもかかわらず彼は、話し相手に何度か謝ってその場でさっと電話を切ってくれた。そして快く笑顔で僕と握手を交わしてくれたのだった。
 ゆずの2人と別れた後、僕はかつてない程に落ち込んでいた。携帯で電話中の相手に声をかけて、電話を切らせてしまった自分が許せなかった。他の場所でも十分に、これに似た厚かましい行いをしている僕だったが、この日の自分は許せなかった。立川談志さんに怒られたときもここまでは落ち込まなかった。
 大槻ケンヂさんを前にしてうろたえてしまい、うまく話せなかったときにも僕はここまで落ち込みはしなかった。
 僕がこのとき、ここまで重い気持ちになってしまったのは、自分の意志ではなく一緒にいた女の子の判断によって自分が前に出てしまったからである。風船に気をとられており、そこに僕の熱意は存在していなかった。そして気持ちが我に帰る前に、ゆずのおふたりにまったく気持ちを近付けないまま、体だけを近付けてしまったのだった。ふたりのことを考えないまま、僕はふたりの間合いに入ってしまったのだ。
 だから、僕の握手は浮ついた、とても心無いものになってしまっていた。おそらく彼がそれまでにファンと交わしたどの握手より、あのときの僕の握手は熱意のないものだったのではないかと思う。僕は、強く後悔した。
 そして正直な話、このあと、しばらく僕はこの出来事を彼女の責任だと思っていた。
 僕もまた父と同じように誰かに強く引き止められたり、背後で苦笑されたなら、自分の行おうとしている衝動的な行動を、胸を張って決行することができる。しかし、背中を押されたら何もできなくなってしまう。僕の衝動的な行動はいつも誰かを裏切ろうとするところからはじまる。一緒にいる人が、僕に「真面目にしていて欲しい」と思ったときにふざける。「大人しくしていてほしい」と思うときに、暴れる。でもそれらを期待されても衝動は生まれて来ない。

 僕と父は似ているのだということを、このとき初めて僕は思い知ったのだった。そしてこの経験から、彼女のようなタイプの女の子は僕に向いていないのではないかと思いはじめた。あんなとき、背中を押してくれる人ではなく、呆れながら苦笑して、引き止めてくれる人と僕は一緒にいるべきなのではないか、と僕は思った。
 しかし、これは僕の勝手な言い分である。かつて彼女と一緒の時間を過ごすことを選んだのは他の誰でもない、この僕である。さみしさに負けて彼女に近付いていったのは、僕の方なのである。
 僕が自分で選んだ結果が、このゆずとの不器用な……いや不器用という言葉すら、これにはあてはまらない。そう、不器用ではなく、心無い、が正しい表現である。つまり、自分自身で判断して招いた結果がこのゆずとの心無いコミュニケーションに繋がったのである。
 僕はこの場を借りて、彼女に、そしてゆずのおふたりに謝らなければならない。
 気持ちを、…心を、近付けないまま、体だけを近付けてしまったことに対して僕は彼らに謝罪しなければならない。
 ごめんなさい。

二人は「ふたり」と表記。

※こちらの文章はまだ挿絵がない状態の不完全のものです。


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