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大河ドラマ「光の君」でチョイ役の軍事貴族

上級貴族
・藤原頼忠
・藤原兼家
・源雅信

中級貴族
・藤原為時(学者)天皇や上級貴族に学問を教える学者

下級貴族
・軍事貴族

為憲流藤原南家、利仁流と秀郷流と勧修寺流上杉氏の藤原北家、国香流桓武平氏、清和源氏、広元流大江氏、嵯峨源氏の渡辺氏と瓜生氏と赤田氏、宇多源氏の佐々木氏、多々良姓大内氏、日下部姓朝倉氏、大蔵姓諸氏、中原姓諸氏、惟宗姓諸氏などが代表的な軍事貴族である。

群盗追討で名を馳せたのが、藤原為憲、藤原利仁、藤原秀郷、平高望・国香父子、源経基ら臣籍降下や下向した下級貴族(官人)である。

軍事貴族の中でも、高位の四位に叙されたのは、為憲流藤原南家、利仁流と秀郷流藤原北家、清和源氏、国香流桓武平氏に限られていた。うち正四位まで昇ったのは、清和源氏の6名と桓武平氏の2名のみである。

清和源氏
河内源氏(かわちげんじ)は、河内国(現在の大阪府の一部)に根拠地を置いた清和源氏の一流。

源満仲
清和源氏の武士団を摂津国川辺郡多田(兵庫県川西市多田)に最初に形成した。

源頼信
源満仲の三男で、河内源氏の祖。
河内国古市郡壷井(現在の大阪府羽曳野市壷井)を本拠地とし、香呂峰(こうろほう)の館を建てる。

河内源氏は、源頼信が平忠常の乱を、次いで源頼義・源義家が前九年の役、義家が後三年の役を平定し武功を重ねた。
東国の坂東武士(大半が平氏)の中には、河内源氏の家人となる武士達が生まれた。
頼義は平直方の娘を娶り、その坂東平氏嫡流勢力を受け継いだ。
他の武士を従え、大乱を収めた武功により、河内源氏の嫡流 義家は
武士の第一人者「武家の棟梁」とみなされるようになった。
頼信・頼義・義家を「河内源氏三代」ともいう。

河内源氏は、院や貴族との関係が悪化した。
為義と義朝の対立は崇徳上皇と後白河天皇との間に起こった保元の乱において決着する。
保元の乱と平治の乱を経て没落した。

源頼朝は、治承・寿永の乱を制し、鎌倉幕府を開き、
征夷大将軍に任ぜられた。

頼信の長兄は摂津源氏の祖の源頼光であり
次兄は大和源氏の祖の源頼親である。

源頼光・源頼親が藤原道長に側近として仕えた。

軍事貴族は、軍事面で朝廷に貢献することが求められた。
彼らは滝口(北面武士)を勤めた後、宮中の警護にあたる蔵人、京市中の警察である検非違使などの武官に任じられた。


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