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摂津国

源満仲
平安時代中期の武将。
清和源氏、六孫王経基の嫡男。多田源氏の祖で、多田 満仲(ただ の みつなか、ただ の まんじゅう)とも呼ばれる。

武蔵権守の任期を終えていた応和元年(961年)に満仲の邸宅が強盗に襲撃される事件が起こり、自ら強盗の一味であった倉橋弘重を捕らえた。弘重の供述によれば醍醐天皇の皇孫親繁王と清和天皇の皇孫源蕃基がそれぞれ主犯と共犯であったという。

安和2年(969年)の安和の変では、源連らによる皇太子・守平親王(のち円融天皇)廃太子の謀反があると密告して事件の端緒をつくった。この事件で左大臣・源高明が失脚した。満仲は密告の恩賞により正五位下に昇進した。

藤原摂関家に仕えて、摂津国・越後国・越前国・伊予国・陸奥国などの受領を歴任し、左馬権頭・治部大輔を経て鎮守府将軍に至る。

二度国司を務めた摂津に土着。
摂津住吉郡の住吉大社に参籠した時の神託により、多田盆地に入部、所領として開拓すると共に、多くの郎党を養い武士団を形成した。
武士団の中心として坂上党の棟梁坂上頼次を摂津介に任命し、山本荘司に要請して西政所、南政所、東政所を統括して警衛にあたらせた。

摂津国

摂津国は、現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。
流通の中心である難波津や住吉津があり津国(つのくに)と呼ばれた。
西側には大きな播磨国(姫路中心)があった。

寛和元年(986年)に起きた花山天皇退位事件に際し、花山天皇を宮中から連れ出した藤原道兼を警護した。

永延元年(987年)多田の邸宅において郎党16人及び女房30余人と共に出家して満慶と称し、多田新発意(しんぼち)とよばれた。
藤原実資は日記『小右記』に「殺生放逸の者が菩薩心を起こして出家した」と記している。

長徳3年(997年)8月27日に卒去。
遺骸は多田院(現在の多田神社)に葬られた。


源氏

摂津源氏
清和天皇の第六皇子貞純親王の子・経基王(源経基)の子・源満仲の嫡男である源頼光を祖とし、清和源氏の嫡流として多田荘を領した。

兵庫県川西市にある満願寺の境内に、源国房・源光国父子(美濃源氏)、源明国・源行国父子(多田源氏)、源仲政(馬場氏)、源国直(山県氏)、源国基(能勢氏)ら摂津源氏の武将7人の供養塔がある。

平安時代末期、日宋貿易を重視した平清盛は大輪田泊(神戸市兵庫区)に着目し、湊の前面に人工島(経が島)を築いて安全な碇泊地を設けようと、私費を投じて修築工事を行なった。

平時忠
「平家にあらずんば人にあらず」
平家一門のおごり高ぶりを象徴することばと伝わる。

平時忠は、平清盛を頂点とする「武士の平家」の出身ではなく、「公家の平家」の出身だった。

公家と言えば、栄華を誇った藤原道長の『望月の歌』も有名ですね。

仁安3年(1168年)、清盛は出家して福原(神戸市中央区から兵庫区)に別荘をかまえ、以来ここに住んで周辺一帯を経営した。
治承4年(1180年)、清盛は大輪田泊を見下ろす山麓に「福原京」を築き、平安京からの遷都を強行した。

鎌倉時代に入ると、東大寺の重源が中絶していた大輪田泊の修築事業に乗り出し、やがて兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれて国内第一の港として発展し、室町時代には日明貿易の拠点となった。

満願寺
満願寺は、兵庫県川西市(の飛び地)満願寺町にある高野山真言宗の寺院。山号は神秀山。
本尊は開眼阿弥陀如来(めあきのあみだにょらい)
観音堂は新西国三十三箇所第13番札所で本尊は千手観音である。
満願寺町周囲は宝塚市となっている。

多田神社
摂津国川辺郡多田(現川西市)
多田は、源満仲が開発し、武士団として最初の本拠をおいた文字どおり「源氏発祥の地」であり、「三ツ矢サイダー」発祥地でも有る。

多田神社は、平安時代の970年の創建とされる。
多田神社の御祭神は、第五十六代清和天皇のひ孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしていることから、源氏発祥の地といわれています。のちの時代に全国で活躍した源氏の武将たちはこの満仲公の子孫であることから、川西市は清和源氏発祥の地といわれています。

六孫王神社(京都府京都市南区)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)とともに「源氏三神社」の1つ。
清和源氏興隆の礎を築いた源満仲からその曾孫・源義家までの五公を祀る。

勝運、厄除の御神徳。
関西はもとより遠方よりも源氏の古社として名高いです。
拝殿(国の重要文化財)

多田神社で、国史跡となっている約5万平方メートルの境内に、融資の担保として総額16億円を上限(極度額)とする根抵当権が設定されていたことが分かった。
本殿の他、拝殿やトイレなど神社内の全ての建物が登記されており、土地を担保に繰り返し融資を受けられる根抵当権が2023年9月以降に設定された。
今年2月に急死した当時の宮司が借金の担保にしたとみられるが、神社関係者はいずれも知らされておらず、契約書も残されていなかったという。


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