保科正之
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江戸城に天守がない理由~幕府が城の象徴を放棄して守った物とは~
保科正之
徳川幕府 第三代将軍 徳川家光の異母弟(いぼてい)で、二代将軍徳川秀忠と側室(お静(志津)北条家浪人 神尾栄加の娘で、秀忠の「大乳母殿」付きの奥女中)の子として生まれ、お江与が嫉妬深く将軍の子として認知しなかった。
正之は将軍の子でありながら、武田信玄の娘である見性院(けんしょういん)に育てられ、信州高遠城主 保科正光(ほしなまさみつ)の養子となりました。
儒学者は 山崎闇斎 (やまさきあんさい)を会津藩で登用した。
藩政を司る一方、徳川三代将軍・家光の遺命を頑なに守り、幼くして四代将軍になった家綱を生涯支え続けた。
ある日、家光は自分に弟がいるということを知って、この母親が違う腹違いの弟をそれとなく観察します。そうすると、この弟は非常にものにおごらず、そして、他人に対し謙虚であり、かつ、思いやりが深く、そして、何よりも将軍である家光に対して非常に忠誠を誓う、まことに信頼に足りるあっぱれな人物だということを知るに至ります。
支配構造の確立と藩士の心構え 正之は会津に入ると領内を巡視し、民政18条や郷村収納の法をはじめ数々の法令を定めて領国内の支配構造を確立しました。また家訓十五条を定めて徳川本家に対する忠誠や藩士の心構えを明らかにし、会津松平藩政の精神的な柱としました。
江戸城焼失と正之の決断
・1606年新築天守(解体、非現存)
連立式層塔型5重5階地下1階
・1621年再築天守(解体、非現存)
独立式層塔型5重5階地下1階
・1635年再築天守(焼失、非現存)
独立式層塔型5重5階地下1階
江戸城寛永度天守は、姫路城の面積で2倍、体積で3倍の規模でした。
江戸城天守閣は1657年の江戸中に広がった明暦の大火で焼き崩れて以来、再建していない。江戸人口50万人のうち10万人以上の生命が奪われました。
加賀藩が天守台を築いたが、天守閣は上げられなかった。
万治二年(1659年)9月1日、火災により焼失していた江戸城天守閣の再建工事が中止になりました。
中止を主導したのは保科正之でした。
「天守は織田信長が岐阜城に築いたのが始まりであって、城の守りには必要ではない」
大火で庶民が難儀しているのに天守閣を上げる余裕など無いと主張
世も安定しており、要塞としての役目しかもたない「お飾りの天守閣」を上げるのは時代にそぐわない。
また、江戸城に天守閣を持たないことにより、諸大名たちにも大きな城を持たせず、質素倹約を体現した。
この意思は第第受け継がれ、江戸城ではその後も天守台はあるが天守閣が無いのが当たり前であった。
のちに新井白石らによって再建が計画され、図面や模型の作成も行われたが、これも実現しなかった。
しかし、今になってお飾りの天守閣を上げようという動きが出ている
観光資産になる、100年後には文化財になるという主張だ。
政治家、投資家、東京都民などが盛り上がっている
城の守りに天守は不要ですが、東京の観光ランドマークには必要という主張
文化庁は「現存の天守台に天守を復元することは、史実との整合性、文化財保護の観点から課題がある」と認識している。
天守台がある皇居東御苑は宮内庁が管轄する皇室用財産であり、天守復元には宮内庁の同意も必要である
宮内庁は「武家の象徴である江戸城の遺構を皇居内に復元することには慎重な検討が必要」と考えている。
500億円以上の工費が見込まれる。
図面はあるが、当時のような巨大な大木(柱に使用される木材)がないので図面「江府御天守図」通りには建築できない。いくつかの材木を組んで作ると言っている。
巨大な木造建築が、関東大震災クラスの巨大地震に耐えられる保証はない。
いつ来てもおかしくない関東大震災だが、工事費の元を取るまでたっているかどうか。
会長は初代(家康の天守の前)の天守閣を作った(家康が江戸に入った時には朽ちていたようだ)太田氏の子孫だということで、夢を熱く語っておられるが、現存する皇居=江戸城の天守台や図面とは、太田氏は無関係。
地方の城への観光客が減る懸念がある
当会では、地方もどんどん天守閣を作ればよいと言っているが、予算はどうする?
大天守が残る姫路城の価値
デロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリー(東京・千代田)は世界遺産である姫路城(兵庫県姫路市)の社会的価値が1.8兆円に上ったとの調査結果を公表した。
調査は「利用するためにいくら払うか」という利用価値と「なくさないためにいくら払うか」という非利用価値(存在価値)を市民、市民以外の日本人(姫路城への訪問経験者含む)、訪問経験のある訪日外国人客に調査。1人当たりの支払い意思額を算出し、各母集団の人数を掛けるなどして社会的価値を算出した。
入場料が修理工事前の600円(15歳以上)から1000円(18歳以上、高校生除く)に改定され、首里城(那覇市)の820円を抜いて全国の城では最も高額になった。
10年間で30億円の収入を見込んでいる。年間入場者数を130万人~150万人と見込む。
2015年度入城者数287万人(外国人は1割程度)
2023年度の外国人入城者数が、3月7日に40万人を達成した。
入城者数133万人のうち外国人の割合は3割程度で円安の影響だ。
これでもまだ安い?
姫路城はレプリカではなく本物の城です
利用価値の支払い意思額の平均は訪日外国人が2943円と最も高かった。
ヨーロッパの古城は1500円~3000円である。
姫路城は交通の便が良く、駅から城に行くのにも歩いていける。
城までの交通費を考慮すると、それほど高くないとも言える。
そして、城の規模の大きさも魅力である。
姫路市によると、再オープン後の入場料について旅行代理業者などから意見を求め、「入場料千円でも、世界遺産に登録されている他の歴史的建造物と比較して飛び抜けて高くはない。観光客が減るということはない」とアドバイスを受けたという。
天守閣が残存する城の中でも、大垣城(岐阜県大垣市)が100円で入城できる。
彦根城(滋賀県彦根市)が600円、松本城(長野県松本市)が610円、犬山城(愛知県犬山市)が550円
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