白浜の宮

山陽電鉄に乗車していると駅案内の英語音声が面白い
「白浜呑み屋」に聞こえてツボった。

白浜村 沿革
1889年4月1日~1936年2月11日
白浜村 (兵庫県) - 兵庫県 飾東郡・飾磨郡 に所在。
郡の合併が有り、兵庫県飾磨郡白浜村。

町制施行し白浜町発足、姫路市と合併して消滅。
現在、「姫路市白浜町」として名を残す。

白浜町の旧村は山陽電鉄の南側に広がり細い道路も入り組む
新興住宅街は山陽電鉄の北側の広大な土地に広がっている
古い航空写真を見ると田んぼばかりだった場所に新しい住宅が立ち並び
イオン系のマックスバリュー、未来屋書店、五代薬局、ホームセンター「いない」、回転寿司「力丸」、大きな農協の建物も有る。
新興住宅街を囲むように、ほぼ等距離にセブンイレブンが3軒、ローソンが2軒、ファミマが1軒ある。地方の便利なベッドタウンといった感じの町。

朝夕の通勤通学時間と祭の日は山陽電車の特急が停車する。特急だと姫路駅まで2駅なので便利。
数万人が訪れる祭りには大塩駅(常時特急停車駅)との間で行き来する人も多い。

・灘のけんか祭り 10月14日宵宮、10月15日本宮
・大塩天満宮秋祭り 同上
朝に大塩、昼間に白浜、夜に大塩といった行き来も可能、お宮が駅からも近い。

地元自治会と無縁の集合住宅(町費のみ)
大きな祭りがある地域を嫌う人もおられるようですが、集合住宅なら寄付や祭りの役に関わること無く過ごせる。粗大ゴミ置き場の当番も免除される。
建物周りを掃除する業者がいる集合住宅なら溝掃除や歩道の清掃も参加不要で、何も町の仕事で駆り出されることがない。

広大な姫路平野の南、海沿いに有った白浜町
姫路市白浜町のエリア
今も残る地名
私鉄・山陽電鉄の南側に旧村、北側は田園地帯だった昔の航空写真
人口が大きく増え、田園地帯がほぼ消滅し新興住宅街となた。

1889年(明治22年) - 町村制施行に伴い飾東郡白浜村発足。
1896年(明治29年) - 飾東郡、飾西郡が合併し飾磨郡に。
1936年(昭和11年)1月11日 - 町制施行し白浜町発足。白浜町は短命
1946年(昭和21年)ラモート合併 姫路市新設のため

廃止日:1946年3月1日
廃止理由:新設合併 · 姫路市、白浜町、飾磨市、広畑町、網干町、大津村、勝原村、余部村→姫路市
現在の自治:体姫路市
総人口5,250人 · (国勢調査、1940年)

白浜の宮駅 SY 38
兵庫県姫路市白浜町塩辛町にある、山陽電気鉄道本線の駅。

白浜の宮
白浜の駅から南方向に「松原八幡宮」が所在し、大規模な秋祭り『灘のけんか祭り』が10月14日と15日に行われています。
祭神
品陀和気命(応神天皇)
息長足姫命(神功皇后)
比咩大神(比咩三神)
近世江戸時代の祭礼様式は弦楽を奏し優雅に神事渡御を行うことが主で、宮に絵も残る。
明治維新の際の神仏分離令によって、それまで祭礼を取り仕切っていた八正寺が神社から切り離されたのが、明治三年九月。
現行様式の祭礼に移行したのが明治四年から明治五年とされており、以後、氏子主権の「灘まつり」となって、神事渡御の随行的な役割でしかなかった屋台が主役に取って代わり、装飾も年を追うごとに豪華になって祭礼様式も一変をさせ現代にいたっています。
氏子も多くなり現在、屋台(やっさ)の規模としては日本最大級となっています。
祭りの規模自体も播州地方最大となりました。

2019年統計 兵庫県の人口は557万人でした
1位 神戸市 153万人 政令指定都市
2位 姫路市 53万人 中核都市
3位 西宮市 48万人
4位 尼崎市 46万人
5位 明石市 30万人
6位 加古川市 26万人
7位 宝塚市 23万人
8位 伊丹市 20万人

落ちぶれた『神戸市』
神戸市は兵庫県南東部、大阪湾に臨む兵庫県の県庁所在地。
奈良時代から「大輪田泊(おおわだのとまり)」として知られ、12世紀に平清盛が大輪田泊を中心とした福原京を構えるため港が改修されたが、平家没落後廃れる。鎌倉時代に「兵庫津」と呼ばれるようになり、豊臣秀吉の大坂城築城後は大坂の外港として息を吹き替えした。
しかし本格的に発展するのは1867年、日米修好通商条約により兵庫津が「神戸港」として開港してから。

1956年には政令指定都市となり、9区を置いている。
1967年7月9日、24時間雨量が319.4ミリに達し六甲山からの土石流による山津波が発生し壊滅的な被害を受ける。
1970年代後半に神戸港は全盛期を迎え、1976年、77年にはコンテナ取扱量世界2位を記録している。
1981年には市街後背にある六甲山から切り出した土砂で埋め立てた人工島・ポートアイランドが沖合に造成された。
しかし1995年に兵庫県南部地震に遭遇し、神戸市中心部は甚大な被害を被る。
比較的短期間で復興を成し遂げたが、都市としての地位は低下し、若者が大阪・東京・福岡などに引っ越し、高齢化の一途をたどる。

阪神地区へのベッドタウン『姫路市』
姫路市は兵庫県南西部、瀬戸内海に面した市。
奈良時代には播磨国の国府が置かれていた。
姫路城のある姫丘は『播磨国風土記』に「日女道丘(ひめじおか)」の記述がある。
14世紀、赤松貞範が姫山に姫路城を築城。
黒田官兵衛孝高の生誕地とも言われ、官兵衛は豊臣秀吉の軍師となり無敵の強さを示した。秀吉に姫路城をプレゼントし自らは妻鹿の山城に移り住んだ。
1580年に秀吉が中国地方征伐の拠点として3層の天守閣を築いた。江戸時代は西の重要な要地として、秀吉の城の上に現在の形の姫路城が新築されたが、戦国時代は終わり不戦の城となった。
池田氏、本多氏、松平家、榊原氏と譜代大名が置かれる。
城下町が整備され、西国街道の宿場町としても発展した。

日本最初の高速産業道路「銀の馬車道」
兵庫県の中央部播但(播磨と但馬)地域を南北に貫く一本の道。
明治6年より突貫工事にて9年には完成していました。
飾磨港から生野、さらに中瀬に連なる全長73kmのこの道は、鉱山の採掘・製錬に必要な機械や日用品などの物資と産出された金・銀・銅の鉱石を輸送するルートとして整備され、多くの人びとや馬車が盛んに行き交いました。
http://www.wadachi73.jp/story/

姫路城は1993年に世界遺産に登録されている。
https://www.city.himeji.lg.jp/castle/index.html

飾磨県飾磨市
明治の廃藩置県後、一時姫路県(飾磨県)の県庁所在地。
人口は約4万人(1940年(昭和15年)飾磨市発足当初)

飾磨町発足
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、飾東郡飾磨津宮町・飾磨津大町・飾磨津天神町・飾磨津須加町・飾磨津東堀町・飾磨津田町・飾磨津御幸町・飾磨津上英加町・飾磨津下英加町・飾磨津亀山町・飾磨津都倉町・細江村・恵美酒村の区域をもって飾磨町が発足。

飾磨郡
1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が飾磨郡に変更。
1919年(大正8年)4月1日 - 下中島村を編入。町章を定める。
1933年(昭和8年)4月1日 - 津田村を編入。
1936年(昭和11年)4月1日 - 英賀保村・高浜村を編入。
1938年(昭和13年)4月1日 - 市川対岸にある妻鹿町を編入。

飾磨市
1940年(昭和15年)2月11日 - 市制施行して飾磨市となる。
1937年に製鉄工場(富士鉄→新日鐵)が進出してから重工業都市化が進む。

飾磨区
姫路市が発足し合併して飾磨区となる。
1960年代の大規模な海浜埋め立てにより一大工業地帯を形成している。
熔鉱炉廃止で鉄冷え後の現在は、重化学工業地帯となっている。
新日鐵は日本製鉄として残る。

姫路市の周辺にある市町は発展が遅れている。
人口も減少傾向にあり、姫路市になだれ込んでいるようですね。
姫路市は海外からの出稼ぎ就労者が多く、白浜地区でも多様な言語を耳にする。
外国人による犯罪は殆ど聞くことはなく、日本人と在日の中高生による犯罪が多い地域。

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