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積善余慶

姫路藩の高砂
姫路藩成立後、加古川流域の開発事業として現在の高砂町に当たる地域への港の移設と区画造成が開始された。その後、江戸時代を通じて高砂は加古川の舟運をベースにした物資の集散地として、また播磨灘の海運の要衝として、さらに御用蔵を設けた姫路藩の拠点都市として繁栄していった。

高砂や。この浦舟に帆を上げて……」という一節がよく知られ、昔は結婚披露の場などで謡われることが多かったが、現在は廃れてしまった。

戦後の高砂市の発展と衰退
1953年(昭和28年)町村合併促進法が施行され、翌年7月に高砂町、荒井村、伊保村、曽根町の4カ町村が合併して高砂市が誕生しました。

1956年12月28日の(当時印南郡)大塩町議会において姫路市と高砂市のどちらを合併相手とするか態度を決しようとしたが賛否が伯仲し、1957年1月7日の再審議で姫路7票、高砂5票、白票2、退席1で姫路市との合併を進める旨を議決した。
これに基づき、翌日に大塩町長は姫路市を訪れ、合併を正式に申し入れる。

1957年(昭和32年)
これに対し兵庫県が反発し、1月12日に「高砂市、大塩町、北浜村」の合併を勧告し、高砂市側も勧告の推進を県に陳情した。
この勧告に対し姫路市は「住民の意思を無視し中央の一方的な合併の強制はいけない」と反論し、大塩町との合併を粛々と進める旨を表明した。
2月18日に姫路市と大塩町との合併覚書に調印し、3月7日の町議会で正式に姫路市との合併を議決する。
3月10日北浜村(北脇村・西浜村・牛谷村)は高砂市と合併した。
これにて印南郡大塩町が東西に分断した。
高砂市は東隣だが、大塩町の北浜村は西側に有り飛び地となる。

1957年9月5日に姫路市と大塩町との連署で兵庫県知事に自主的合併として申請するも、兵庫県は県の合併計画によらないものとしてこの申請を受理しなかった。県としては大塩町の高砂市との合併を希望した。
その後、自治庁も絡んで県・姫路市・高砂市で時間をかけた調整が行われ、
最終的に「大塩町の住民投票によって最後の決定を行う」方針が決定された。
1959年4月18日の住民投票により、県の高砂市と大塩町の合併計画に賛成1263票に対し反対2280票、姫路市との自主合併が認められることとなった。

水道管破損事件:昭和33年3月8日未明に起きた事件
当時の水道給水計画はこの高砂市と大塩町で、その後、米田町、阿弥陀村、北浜村が給水区域に加わりました。
しかし、1958年(昭和33年)印南郡の大塩町が高砂市との合併に反し、姫路市と合併することを議決したため、当時の初代高砂市長・中須義男(なかすよしお)は大塩町への水道送水停止を決め、水道職員による水道管の破壊を命じた。

中須市長はワンマンで・・ザ市長とも呼ばれていた
しかし、書に堪能で、「積善余慶」(善行を重ねる家には自然にめでたいことが集まる)を好んで書いており、有罪市長が「どやねん?」とツッコミを入れたくなる市長でした。

水道破壊という前代未聞の違法手段をとり、刑事事件に発展した。
水道損壊罪として市長ほか実行した水道職員は全員有罪となった。
この事件は、最終判終判決まで実に17年を要しました。

https://www.city.takasago.lg.jp/soshikikarasagasu/jyougesuidoubukeieisomushitsu/jogesuido/2/10583.html

高砂市の水道の歴史には、有罪事件は一切書かれていません。

刑法147条 水道損壊・閉塞罪
公衆の飲料に供する浄水の水道を損壊し、または閉塞した者は、1年以上10年以下の懲役に処せられる。

PCB公害を誘致
1955年に、ワンマン 中須市長により高砂市の「工場誘致条例」が施行され、軍需工場の払い下げ地に重化学工業および食品製造業分野の工場が多く進出した。
海岸は1961年から1974年にかけて、県の事業によって計約280万平方メートルにわたって埋め立てられ多くの砂浜が消滅した。環境破壊が許された時代

PCB汚染
カネカとして化粧品で知られる鐘淵化学工業高砂工場でカネクロール(PCB)を製造しており、土壌・水質汚染(高砂西港)が判明した。

カネカの工場は、高砂市の天川を挟んで姫路市大塩町と隣接する。
1954年、カネカでPCB汚染が発覚
1959年に瀬戸内最古の大塩塩田が廃止される。

塩田:出典ケーブルテレビ

名前の通り塩で潤った「大塩」
大塩の塩田は瀬戸内海の塩田発祥の地であり、瀬戸内沿岸の村や島に塩田の技術を伝えてまわった歴史があります。
現在は半分のエリアがシーサイドゴルフ場、一部が小・中・大学校
その他の広い面積が産廃業者とメガソーラーで覆われてしまっている。
すばらしい塩田の景色が無惨です。

ブランドを捨てた大塩
「大塩」の地名を活かすこともなく、大塩町議会が無策でした。
塩田跡地もながらく活用されず・・・。
塩田の廃止は、工業的に人工の味塩が製造できるようになったためですが、地元では「●●●のPCB汚染が原因?」という噂も広がった。
風評被害が有ったことは間違いないですね。

塩田廃止後、数十年空き地として放置されていました。
一時期、車海老の養殖業者が入りましたが撤退した。
放置された養殖池だけが残る。
空き地に目をつけた産廃業者4社が入り込み、景観の悪化。
1社は道路にまで産廃ゴミを置く始末。

水上飛行機の飛行場になるという話しが出たり、山陽電鉄が南側に移設されて高架になるという話が出たり、大規模なリゾート開発で大型商業施設が出来るという話もあったが、その内のシーサイドゴルフ場だけが実現した。

その後、日当たりが良く平地のためメガソーラーブームで太陽光パネルで埋め尽くされ現在に至る。残念ながら産廃業者も消えずに残る。
塩田跡地なので森林伐採は無かったのが救いですね。
どこでもよくある話ですかね

高砂市の沿岸では、自然環境の回復を図る親水型の緑地として高砂海浜公園が整備された。

PCB汚染が発覚したのは1954年4月でしたが、50年後の2006年6月にPCB特措法に基づき、「高砂西港盛立地のPCB汚染土に係る技術検討専門委員会」が設立され、PCB含有土壌の恒久的な処理方法の検討が開始された。

2007年、高砂市の衰退確定
西友「高砂サンモール」1976年(昭和51年)3月6日に開業したが、2007年ころより撤退する店舗が相次ぎ、2012年に新装開店するも客足は遠のき2015年に閉店、高砂駅前で廃墟となる。西友撤退後も集合住宅の高砂ハイツは残った。
繁盛期にはアイドルのコンサートも中央階段下で無料で行われていました。
現在、高砂市は完全なイオン経済圏となった。(播州地域はイオンが強い)

衰退していく高砂市に姫路市が併合案を打診しましたが、住民投票で秘訣となり、姫路市に併合されず高砂市は存続した。
高砂市の単独での復興は難しいでしょう。

姫路市と高砂市との一部事務組合解消により姫路市高砂市組合立天川中学校(所在地は姫路市別所町北宿字東段859番地)が閉校になることから、高砂市域の中学校規模の適正化を図るために、高砂市立鹿島中学校が設置された。
天川中校区のうち姫路市域の生徒は姫路市立東中学校へ移ることとされた。

高砂市北浜は、大塩の西側に有って、高砂市はお押しの東側なので飛び地
北浜地区(北脇・西浜)は元々は最寄りの大塩中学校に通っていたが、校区が変更となり遠方で山越えする必要がある鹿島中学校に移ることとなった。かわいそうですね

大塩町に親戚がいる生徒は住所を転籍して大塩中学校に通った。

見える距離にある中学校には通えない

北浜地域と大塩町は現在も大塩天満宮で秋祭りを継続しています。
約55年程前までは大塩中学校の同級生でしたが、今は違う。

中核都市・姫路市の歴史 どんどん大きくなる都市
およそ1万年昔の縄文時代から人が住んでいたといわれる姫路の地には、太古の昔から受け継がれた壮大なロマンが宿っています。
この地が播磨の中心になったのは、大化改新の後(7世紀)に播磨国の国府が置かれ、さらに8世紀中ごろに聖武天皇の勅令で国分寺が建てられてからのこと。今に伝わる広峯神社や書写山円教寺などの古刹が創建されたのも同じ時代です。

はりまのくに
平安時代の物語である「光る君へ」(NHK大河ドラマ)の中でも頻繁に登場する『播磨国』は姫路を中心とした旧制の国名でした。別名『播州』です。

室町時代に入ると、播磨の豪族赤松氏によって姫山に砦(とりで)が築かれ、その後に秀吉が天守閣を持つ初代の姫路城を築城。
次いで姫路に入った池田輝政が秀吉の城跡の上に、現在の名城・姫路城(二代目)を築き上げました。

姫路城の悲劇のヒロイン「千姫」ゆかりの千姫天満宮や、恋物語「お夏・清十郎」のモデルになった二人の墓のある慶雲寺をはじめ、伝説に彩られた史跡も市内に数多点在しています。

平成18年3月27日には飾磨郡家島町・夢前町、神崎郡香寺町、宍粟郡安富町を編入合併。

合併によりますます姫路市の面積が拡大したわけですが、公共交通機関の便が悪く車社会です。
30年前より路面電車をという意見は出ていたのですが実現せず今に至る

姫路市にも神姫バスは有るのですが値上げの連続で運賃が高い。
交通系カードが使えないバスが多く走っているなど、問題点が多い。
東西には、JR西日本の在来線と新幹線、そして山陽電鉄がある。
東から姫路駅までは新快速や山陽電車があり便利。
しかし、姫路市の南北方向とJRと山陽の駅間の交通が不便です。
北西方向には姫新線、北方向には播但線が姫路駅とつながる。

姫路駅に停車中の姫新線と播但線の車両

山陽電鉄山陽網干駅周辺は、都市基盤整備がなされないままミニ開発による住宅地が点在し、スプロール化が進行している。

姫路市の瀬戸内沿岸の町は、山陽電鉄に依存する形になっている。
並行して走るJR西の在来線駅と山陽電鉄の駅間距離は5キロ以上の距離があるので、事故などで振替輸送となると、駅からタクシー利用しないと帰宅できないという問題も有る。

飾磨、網干、飾西、白浜、大塩と書いて気づきましたが、中心部の記事を書いてませんね、姫路市中心部の記事も用意しましょう。

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