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姫路博と姫路モノレール

観光都市「姫路市」の万里の長城
太陽公園の話ではなく、姫路市交通局モノレールのお話。
1966年(昭和41年)5月17日から1979年まで営業していた姫路モノレールがありました。

石見元秀 姫路市長が海外視察で乗車したアメリカのディズニーランドのモノレールの快適さに強く興味を引かれ、これを姫路に採用しようという話になった。
こういう政治家は嫌いじゃない。

姫路大博覧会(姫路博)が開催され、モノレール開業の名目は会場へのアクセス手段としてだった。

夢幻のごとく
市内に環状路線を建設し、最終的には鳥取まで延伸する壮大なる無駄な計画が有った。

姫路博は盛況でした
姫路城昭和の大修理の完成を記念して挙行され、期間中に約150万人の入場者があった。
博覧会の跡地は手柄山中央公園および遊園地(ひめじ手柄山遊園)大規模な市民プール併設。老朽化及び人件費問題で廃止、新しくプールが再建設される。

姫路博テーマ塔(回転レストラン)も廃止されたが、建物は存在する。

姫路皮や紡績など姫路の地場産業の紹介。
かつて主要産業のひとつであったマッチに展示の力が注がれていた。
三和銀行が古銭展示していた。
専売公社の展示も有った。(姫路は瀬戸内塩田の発祥地)
実物の潜水艇が展示されていた(川重かな)
IHIなどから大型タンカーの模型などが展示されていた。
姫路の西隣には相生市の造船所がある。(IHIガスタービン工場)
ラムダロケットも展示されていた。
新車展示パビリオン自動車館があった。

外国のパビリオンもたくさんあり、ドイツ館が一番大掛かりだった。

自衛隊の展示
・F-86 (戦闘機)
・61式戦車
・M4中戦車
・M24軽戦車
・ナイキミサイル
特別展示:三式戦闘機 飛燕

ロープウェイも作られた

5月17日営業開始ですが、姫路博は4月6日スタートで間に合わなかった。
6月5日に姫路博が終了し、その後は住民の足とならず赤字が膨らみ続けた。
毎年1億円あまりの資金が姫路市の一般会計から支出された。

競合
山陽電車で「手柄駅」まで行く運賃は20円でした(のちに30円になった)
モノレールの場合、(1,824m)100円ということで5倍の運賃設定でした。
下り(姫路→手柄山)3分50秒、上り(手柄山→姫路)4分40秒

地元民なら徒歩や自転車・バイクで移動する距離。
100円というのは当時のタクシー運賃より高かったようです。

ロープウェイ駅の廃墟

姫路博後に住民の足にならなかった原因は駅の高度も一因でした。
モノレールは手柄山の中腹にトンネルを掘って駅がつくられていましたが、
山陽電鉄の駅は地上駅なので楽に乗れる。
しかも姫路駅まで歩くことも出来る距離。

大将軍駅

2年で用途廃止された駅
姫路駅から徒歩5分もかからない場所(0.5 km)に大将軍駅という無駄な駅がありました。
なんと中層マンションを長辺で貫通していました。
高層アパート3階部分に軌道が、4階部分にホームが設置されていた。

子供の頃に親に連れられて乗った記憶はある。
窓に張り付いて街並みを見ていたということで、高いところが好きだったのかも知れない。

仮設 姫路駅

国鉄姫路駅ホームに接続できず、途切れた路線と仮設姫路駅で営業したため、姫路駅侵入はその手前より時速10キロに設定された(自動列車停止装置あり)。

競合する山陽電鉄を跨ぐ立地条件の悪さが災いした。
そして運賃でも競争力なし。

60‰の勾配

最急勾配: 60‰(約3°26′:山陽電気鉄道本線オーバークロス部の前後)が有ったため、最高160 km/hまで可能とする車両でも速度が上がらなかった。

長い直線を最高速で走るところを観てみたかった。

ロッキード式

車両は大型の「ロッキード式 標準II型」を採用した。全長15m、全幅2.9m
車両は川崎航空機岐阜工場で製造された。台車は川崎車両が製作した。

過剰なほど高性能だった

電装品は明電舎製の端子電圧300Vの75kW級主電動機を4基搭載、直角カルダン駆動により各台車の各車輪を個別に駆動し、4.0km/h/sという高加速性能を実現した。
ブレーキシステムは三菱電機製HSC電磁直通ブレーキで回路構成の簡略化のためか発電制動はなく、減速度は4.0km/h/sである。

1967年4月、吉田豊信が石見市長を破って当選する
吉田が設置した審議会は同年10月12日に「モノレールの路線延長は不可能」とする結論を出し、10月24日には「モノレール事業を交通事業として継続することには賛成できない。また観光事業としても成算の見通しはたたない。事業を打ち切るにしても多くの難点がある。目下の事態では運営の合理化を図り、乗客誘致策を講じ、損失を最小限にとどめて経営を継続し、欠損額と創業建設費については一般会計で負担するしか方法はない。」と答申、事実上「打つ手なし」として審議会は解散した。
1974年に営業休止となる。(運転期間8年)
1974年4月時点での累積赤字は10億7200万円
吉田市長の功績はモノレール廃止だけ。

何もしないよりは、何かやったほうが面白いと思うよ
成功するか失敗するかはやってみないとわからないし。
失敗とわかれば辞めればいい。
日本中に鉄道網があるのも、そう言うことなんじゃないかな?

保線は続けられていた
休止中も保線車両による保守は実施されていた。

廃止理由
・乗客増が見込めない
・老朽化による維持修繕費の増大が見込まれる
・特殊な構造のため部品補充が難しい
・ロッキード社の日本からの撤退でメンテナンスが困難になった
1979年に正式に廃止された。

辞めさせるだけなら誰でも出来る、後始末しないと事故が起きるよ

吉田市長により保守が実施されなくなり、路線は荒れ放題となる
1984年10月13日夜に手柄山駅北方で老朽化した饋電線が800mにわたって落下する事故が発生した。
廃止するなら高所にある設備くらいは撤去しろよという話になる。

2020年(令和2年)9月28日 - 姫路市営モノレール遺構群(旧手柄山駅舎など)が土木学会選奨土木遺産に認定された。
耐震性の問題から大将軍駅が有った中層ビル(公団高尾アパート)は解体された。杭は地中に残ったままである。

姫路博用の仮設と割り切ってつくられたモノレールではなく、ながく使用する予定の恒久的な建造物ということで、杭基礎が強固であり、撤去するとなると地面から引き抜くのが難しい。

長らく車両とともに密閉され非公開となっていた元・手柄山駅は、石見元秀の三男・石見利勝が市長となった2003年以降、公開展示に向けての検討が進められ、現在はホームと車両に入って見学することが出来る。昭和レトロな雰囲気が観光客にもウケている。

手柄山交流ステーション
モノレールの駅と車両展示以外に、山の上の水族館として知られる姫路市英水族館や、植物の育て方を相談する場所もあり、山上駐車場でもイベントが開催されることがある。大規模な空襲慰霊碑や姫路博当時の洋風の城趾も残る。

手柄山のロープウェイは一時的なもので廃止されている。

陸橋で繋がる隣の山には姫路市立温室植物園がある。

手柄山周辺には姫路球場、陸上競技場、武道館、体育館などが密集している。

現在工事中の新市民プール正面には、JR(仮)姫路西駅が出来る予定。

山陽電鉄の手柄駅隣りにあった中央市場は白浜の宮の浜手側に移転し、現在、旧市場は解体工事が行われている。

モノレールは赤字でしたが、姫路博自体は成功でした。

姫路環状線構想は実現して欲しい
姫路市は姫路駅から離れた所にも住宅街が広がっています。
ランドマークである姫路城に引き寄せられるのでしょうね
一部の政令指定都市より人口が多い中核都市です。

神姫バスに依存していますが、運転手不足
逆に自家用車の運転手は大量にいますけど。

JRの駅と山陽電鉄の駅との距離が遠すぎて、徒歩では難しいがトラブル発生時に振替輸送も行われる。
振替輸送時には駅からタクシーを使うことになるが数が足りない。

南北方向で駅間を繋いで欲しい
そして、姫路北部にも人の流れを作れると良いと思う。

LRT

姫路環状線はLRTで実現するとよいですね。
私が生きている間に観ることはないでしょうけど

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