四苦八苦ってつらいの?

仏教の四苦八苦というやつ。人生は苦しいものだという教理には息苦しいものを感じる人がほとんどかもしれません。特に現代だと実際問題、そんなに苦しいことがあるかな?と思ってしまうのも事実。これについて、私の理解を以下に述べます。

この仏教の「苦」というやつ、パーリ語?で「ドゥッカ」という言葉にはそのものずばり苦しいという意味もあるらしいですが、思った通りにならない不自由の苦しさというような意味合いが大きいと聞いています。思った通りにならないことだったら、人生のいたるところにありますから、万人がまあ、そういうこともあるよね。と理解できるような内容だと思われます。

で、今日の思いつきなんですが、生きるという営みは必然的になんらかのフィードバック制御が入るものだと思います。このフィードバックの中に常にエラーが含まれるわけです。普通のことをして、不自然なことを何もしなくても生きていれば常にエラーが起きている。そのことがすでにドゥッカなのではないかなぁと考えました。普通に立っているだけでも座っているだけでも、その瞬間瞬間に身体の感覚を感じれば、ただいまの状態を維持するための力というのがどこかに働いています。

そういう風に考えたら、そりゃあ四苦八苦だよねぇ、当たり前のことだよねぇ、とつくづく思います。

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