倫理観は”いま”のもの

「私たちは未来の社会を想像し、そこで起こり得る怖ろしい可能性に対して怯え、倫理的制約をあらかじめつくろうとするが、しかしその際に参照される倫理観はあくまでも”いま”のものだということに注意しなければならない。」-瀬名秀明「光の栞」-

参照した文章の文脈としては、例えば生命科学の分野において、その発展が無軌道なものにならないように、ある倫理的制約をあらかじめ作っておくという話です。遺伝子を編集して新たな生命を設計し、例えばウイルス兵器を作ったりだとか、人間のクローンを作って、臓器のスペアとして利用するだとか様々なタイプのオールドスクールな生命科学的ディストピアが考えられます。実際の現実は上記のような想像の斜め上を行くことがあらかじめ想像されます。そもそも作っておいた倫理的制約を無効化する形で技術が発展し大衆に受け入れられてしまうといったケースが多いにありえます。というようにあらかじめ想像できてしまうということは実際にはさらに予想もつかない方向から技術の進歩が進むということです。現在の倫理観ではありえないようなことが未来にはごくふつうになってしまうのでしょう。

逆に、現在の倫理観から過去の歴史を見れば、その歴史書にはありえないような汚点の数々があります。例えば戦争の記録。経済の相互依存関係の強い現在の国際関係の常識ではありえないことのように思いますが、過去には戦争は国家間の問題を解決する正当な手段と考えられていました。このような例を出すと、過去と比較して現在の倫理観がより良いのだと思ってしまいがちです。しかし実際のところ過去には過去の倫理観があり、現在には現在の倫理観があり、未来には未来の倫理観があり、それぞれの時点の”いま”の倫理観があるにすぎません。過去の事象を現在から評価することは必要かと思いますが、倫理観にかかわる評価は難しいと感じます。現在の視点から過去は絶対悪と断ずるのは簡単ですが、未来の視点から現在を絶対悪とみなされるのは納得がいきません。みなそれぞれの"いま"の現実を生きているのです。それでも未来の時点から現在は断罪されてしまうのでしょうね。人類の歴史のパターンを見るとそれは明らかです。

倫理観の推移はそれそのものが良質なエンタメのネタにもなります。Apple TV+のドラマのモーニングショーやフォーオールマンカイドを見ていて、とても良いエンタメだと思いつつ、倫理観が激動している現代の生きづらさを感じるのでした。


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