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タオで生きぬく~心と体を元気にして幸運をひらく道~

自分自身を見なおすとき

「私が生きていることにはどんな意味があるのだろうか」
「自分とは何者なのか」
「なぜ人生には、つらいことが起きるのだろうか」
あなたは、最近、そうしたことを真剣に考えているのではないでしょうか。

そして、それらについて、残念ながら答えはないのだ、と感じてはいませんか。

二〇一一年三月十一日の東日本大震災により、東北を中心として多くの大切な命が亡くなり、また家屋や学校、工場などが流されたり、原発の事故が誘発されるなど、ほんとうに悲惨な被害を与えました。

その被害は甚大で、多数の人が避難生活を送ることになり、戦後最大の国難になったといわれます。無数の人が被災し、多くの人命が奪われたなかで、私たちは、こうして今、生かされている奇蹟に感謝するばかりです。今こそ私たち人間は、傍若無人な開発や、過度な欲望によって天地自然のバランスを壊すことのないよう、もう一度冷静な目で自分に向きあい、自分自身を見なおすときではないかと思います。

戦争の時代をくぐり抜けてきた方と違って、現代の人たちは死が身近にある体験は乏しいと思われますが、この大震災や原発災害などによって、すべての日本人が死と隣り合わせの毎日を送るように変わってしまったということができるでしょう。

二〇〇一年九月十一日、ハイジャックされた飛行機がニューヨークに聳(そび)え建つワールドトレーディングセンタービルに衝突し、多数の死傷者が出ました。この同時多発テロの悲惨な映像を見て、近代文明のはかなさや人間の命の意味について考えるようになった人がたくさんいましたが、今回の大地震とその後の出来事はそれに勝るとも劣らない衝撃を人々に与えています。

生きるということ、死ぬということはどういうものなのか、また同じ場所にいても、なぜある人は命を失い、ある人は命びろいをするのか、あなたはそうした疑問をかかえているのではないでしょうか。

「このたびの大津波や原発事故は、想定外だった」という言葉をよく耳にしましたが、大自然の猛威の前にあっては、人間のはからい心がいかに小さなものかということが、痛感されたのではないでしょうか。

本書では、生と死についてのタオの考え方、そしてこのような大きな震災や危機に直面したときに、タオイストはどのように行動し、考え、生きぬいてゆくのか、ということを述べてまいりたいと存じます。

そしてまた、人間にとって重要なことは何なのか、人間の幸福とはどういうものなのかをごいっしょに考えていきましょう。

本書を通じて、ぜひ「元気」になっていただき、「ほんとうの生き方」をつかんで、毎日を送っていただきたいのです。

幸運を呼び込む気のパワー

今、この本を手に取られている読者のなかには、ひょっとして、
「幸運の女神は、いつだって私にそっぽを向いている」
などとつぶやいたりして、運は自力ではどうにもならないものだと思い込んでいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。そして、つらさのあまり、未来に向かって人生を拓くことを半ばあきらめてしまったような方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、道家(どうか)(タオイスト。自然のままに生きる人たち。「どうか」とも「どうけ」とも呼びます) は違います。 「道(タオ)」にのっとって生きる道家は、どんな厳しい環境に置かれても、決してそのようにぐちったり、ぼやいたり、消極的に、気弱に考えることはありません。天の道に沿って歩くならば必ず運は開けると考え、行動し、日々の生活を送っています。

道家は「宿命」と「運命」を分けています。宿命とは、生まれてくる子が両親や人種や性別を選べないように、自分で運べないものです。でも、その宿命にしても、絶対不変のものというわけではありません。

そうです。運とは、あなたが自分の力で切り開いていくものなのです。

たしかにこの世には、そしてあなたの人生には、つらいこと、悲しいこと、苦しいこと、悲しいこと、不安に感じられることがたくさんあるように思えるかもしれません。

しかし、どんな困難が次々と訪れてきたように見えたとしても、あなたがそれらを乗り越えて、運を力強く切り開き、人生を堂々と闊歩(かっぽ)することのできる、エネルギーの源があることに、ぜひ気づいてください。

天の道に沿って歩く人は、いろいろな困難にあっても、目に見えぬ大きな力に守られていることを知ります。本書には、そうした実際の体験談を掲げてまいります。

もしあなたの運が定められていて、決して変えられないようなものならば、人生はなんとも味気ないものではないでしょうか。

エネルギーの源である宇宙の“気”は、新しい生命を誕生させつづけると同時に、私たちの生老病死や運勢までも支配しています。あなたが、その気を活用するようになり、元気になれば、自分で積極的に運を切り開くことができるのです。

人生がつらいという原因

天下を統一し、三百年近い江戸時代の礎(いしずえ)を築いたのが徳川家康です。その遺訓に、
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如(ごと)し」
という有名な言葉があります。

幼年と少年の時代を人質として忍耐し、長じて大名となってからも、織田信長に命じられて、長男と正妻の命を奪わざるをえなかったのが家康です。

そのように、さまざまな辛酸(しんさん)をなめながら努力と才覚でついに天下人となり、征夷大将軍の位を得た家康は苦労人として知られます。
「堪忍(かんにん)は無事長久の基(もとい)。怒りは敵と思え」
と、家康はこの遺訓のなかで言っているのですが、いったいなぜ人の一生は、そのようにつらいことばかり続くように見えるのでしょうか。

その原因のひとつは、道家が最もきらう病気です。

そしてもうひとつは、金銭欲、出世欲、名誉欲、愛欲、物欲、あるいは見栄や差別といった、執着(しゅうちゃく)する心です。 大震災で多くの人が感じたのは、そうした欲望や見栄や差別などは、生死の境のときには、なんの意味ももたないということでした。

欲望にこだわるために苦しくなる

人間は誰もが、長じるにしたがって欲が出るものです。その欲のために、人間は苦しんだり、悲しんだり、あくせくしたり、他人をうらんだりするものです。

「同じように働いているのに、あの人のほうが月給が多い」
「子どもが老後の面倒をみてくれるだろうか」
「同期の人より早く部長になりたい」
「売り上げがいつも一番でいたい」
「偉くなって、みんなを見返してやるんだ」
「大金持ちになって、豪邸に住み、車を何台も所有したい」
これらは、みんな欲です。

こうした欲望は、向上心などと結びつく場合もありますから、頭からよくないものと決めつけることはできないでしょう。

しかし、人はそんな欲望を、はてしなくふくらませていき、そしてそれらに執着するために、苦しくなるのです。現代は、そうした欲望をそそるものに事欠きません。しかも欲望をよしとする風潮が強いようです。

道家は、これらのこだわりを「我執(がしゅう)」といいます。

それらの我執を放(ほ)かし、無為自然の生き方ができるようになると、今までとまったく違った、生きがいのある楽しい人生が目の前に開けてくるのです。

道家が「性命双修(せいめいそうしゆう)」を説き、心と身体の修行をあわせて行なうのはそのためです。

明るく楽しく豊かに生きる

つらさや苦しみや悲しみだけでなく、病気にしても、ストレスにしても、その元をたどると、その多くは見栄とか欲求といった執着する心、もしくは「どうせ自分はこうだから」という強いプロテクトをもつことから生じています。

「そんなものは放(ほ)かしなさい、そして心に余裕をもちなさい」
と道家は言います。
その基本にあるのは、人生を明るく楽しく豊かに生きるという考え方です。
そうした生き方をするためには、体のスイッチを切り替えることです。

あなたは、
「えっ、心のスイッチを切り替えるんじゃないの?」
と思われたことでしょうが、切り替えるのは体のスイッチなのです。
道家では、後ほど説明いたしますが、心と体は一体であると考えていますから、心の悩みは、まず楽しく体のスイッチを切り替えることによって解決していこうとするのです。

普通の人は、悩みやつらさや苦しみから逃れようとして、頭のスイッチを切り替えようとしますが、頭のスイッチを変えるためには、高僧のように毎日長時間坐禅をしたり、哲学者のように深い思索や思考にふけったり、行者のように長い年月、苦行を続けなければなりません。

道家の修行は、心についても、体についても、無理ながんばりをすることなしに、日常の生活を送りながら、心と体を楽しくいっしょに磨いていくものです。そして同時に、気の力を養うものです。

人生はたとえどれほどつらくて苦しいように見えていても、ほんとうは幸せであり、楽しいものなのです。そして道家は、毎日、明るく朝を迎え、充実感に包まれて夜、眠りにつき、死ぬまで元気で暮らしていくのです。